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藤森氏によるアインランドのアンセム全文訳があった。
すでに著作権もなくなっているアンセムだが、今の時代に読みべきテキストだ。

Anthem(1938)全訳

アイン・ランド作/藤森かよこ訳『アンセム』
作者前書き
この物語は1937年に書かれた。
今回アメリカで出版するにあたって、私は1938年に英国で出版されたものに改訂を施した。しかし、改訂は文体だけにとどめている。何節かの文章は書き換えたし、いささか極端な表現は削除したが、思想や出来事をつけ加えたり、省いたりはしていない。主題、内容、構成はオリジナルのままである。あらすじも変えていない。いわば改装はしたが、屋台骨や精神は改めなかったわけである。それらを改装する必要などはないからだ。
この物語が書かれた当初、私が集団主義(collectivism)の思想に対して公平でないと評した読者もいた。集団主義が説くことや、それが意図することは、こういうものではないと、彼らは言った。この物語に描かれているようなことを、集団主義は目指していないし、提唱もしていない、誰もそんなことは言っていないと、彼らは評した。
私は、この批判に対しては、次の事実を指摘しておこう。「有用性のために生産を、価値のために生産でなく」というスローガンは、今や常套句のように、しかも適切で望ましい目標を宣言する言葉として、ほとんどの人々に受け容れられている。このスローガンの中に、理解可能な意味が識別できるとするならば、それは何か?人間の仕事の動機は自分以外の他人の要求を満たすことであり、その人間自身の要求や欲望や利益のためではないという思想ではないとしたら、他のどんな思想がこのスローガンに含まれているというのか?
今や、強制労働徴用は、地上のあらゆる国で実践され提唱されている。これは、いったい何を根拠になされているのか?ひとりの人間が他の人々にとって有用であるかどうか、そのような有用性が唯一の考慮の基準であり、かつその人間自身の目的や欲望や幸福は無視されてしかるべきであり、重要性などないと決定する最高の権利は、国家に存するという思想がなければ、こんなことは起きようがない。
我々の世界もまた、この物語に登場するような<天職協議会><優性学協議会><世界協議会>を含むあらゆる<協議会>を有している。これらの組織がまだ我々に全体的な力を及ぼしていないとしても、だからといって、それを可能にしたいという意志が、この世界に欠如していることにはならない。
「社会的利益」「社会的目標」「社会的目的」などは、我々の言語の日常に使用する陳腐な言葉となった。あらゆる活動やあらゆる存在物を社会的に正当化する必要は、当然のごとく考慮されている。ある作家が、著作について、これは、何やら定義できない方法での、「社会全体にとっての利益」のために書いたのだと主張すれば、その作家は丁重なる尊敬に満ちた傾聴と称賛を受けることができる。しかし、作家としてはこれほどに言語道断なる提議というものはない。
なかには、次のように考える読者もいるだろう(私は断固としてそうは考えないのであるが)。この物語が英国で出版された九年前には、世界が向かいつつある方向を直視しないための何らかの言い訳が人々にはあったのだと。今日、証拠は明々白々なのだから、もはや誰にも、そのような言い訳が主張できるはずがない。そのことを直視するのを拒否する人々がいたとしたら、彼らは単なる盲目とか無知というわけではないのである。
現代世界における最大の罪は、道徳的怠慢により集合主義を受け容れる人々のそれである。自分の立場を採る必要から逃げるために保護を求める人々は、自分たちが受け容れつつあるものの本質を認めるのを拒否している。奴隷制を達成するべく特別に考案された計画を支援する人々は、自分たちが自由を愛する者だと言うが、彼らはそのような空虚な肯定の背後に身を隠しているのだ。彼らが言う自由という言葉には何の具体的な意味もありはしない。彼らは、様々な思想の内容は検証されなくてもよいと考える人々である。原則など定義される必要はないと信じる人々である。目を閉じたままにしておけば、事実は消えると信じる人々である。この人々は、自分たちが血なまぐさい破壊や強制収容所にいることを発見すると、道徳的責任から逃げようと期待する。「だって、そんなつもりじゃなかったんだ!」と言いながらメソメソと泣くことによって。
隷属を望む人々は、それを適切に名づけるという名誉を担うべきである。彼らは、彼らが提唱し、許しているものの十全なる意味を正視するべきである。集合主義の十全で正確で特殊な意味を。それが論理的には実は何を意味しているのか、その十全で正確で特殊な意味を。集団主義が依拠している原則の十全で正確で特殊な意味を。これらの原則が導く究極の結果の十全で正確で特殊な意味を。
彼らはそれに直面し、彼ら自身がほんとうに、それを望んでいることなのかどうか、決定しなければならない。
アイン・ランド
1946年春


作者前書き

この物語は1937年に書かれた。

今回アメリカで出版するにあたって、私は1938年に英国で出版されたものに改訂を施した。しかし、改訂は文体だけにとどめている。何節かの文章は書き換えたし、いささか極端な表現は削除したが、思想や出来事をつけ加えたり、省いたりはしていない。主題、内容、構成はオリジナルのままである。あらすじも変えていない。いわば改装はしたが、屋台骨や精神は改めなかったわけである。それらを改装する必要などはないからだ。
この物語が書かれた当初、私が集団主義(collectivism)の思想に対して公平でないと評した読者もいた。集団主義が説くことや、それが意図することは、こういうものではないと、彼らは言った。この物語に描かれているようなことを、集団主義は目指していないし、提唱もしていない、誰もそんなことは言っていないと、彼らは評した。
私は、この批判に対しては、次の事実を指摘しておこう。「有用性のために生産を、価値のために生産でなく」というスローガンは、今や常套句のように、しかも適切で望ましい目標を宣言する言葉として、ほとんどの人々に受け容れられている。このスローガンの中に、理解可能な意味が識別できるとするならば、それは何か?人間の仕事の動機は自分以外の他人の要求を満たすことであり、その人間自身の要求や欲望や利益のためではないという思想ではないとしたら、他のどんな思想がこのスローガンに含まれているというのか?
今や、強制労働徴用は、地上のあらゆる国で実践され提唱されている。これは、いったい何を根拠になされているのか?ひとりの人間が他の人々にとって有用であるかどうか、そのような有用性が唯一の考慮の基準であり、かつその人間自身の目的や欲望や幸福は無視されてしかるべきであり、重要性などないと決定する最高の権利は、国家に存するという思想がなければ、こんなことは起きようがない。
我々の世界もまた、この物語に登場するような<天職協議会><優性学協議会><世界協議会>を含むあらゆる<協議会>を有している。これらの組織がまだ我々に全体的な力を及ぼしていないとしても、だからといって、それを可能にしたいという意志が、この世界に欠如していることにはならない。
「社会的利益」「社会的目標」「社会的目的」などは、我々の言語の日常に使用する陳腐な言葉となった。あらゆる活動やあらゆる存在物を社会的に正当化する必要は、当然のごとく考慮されている。ある作家が、著作について、これは、何やら定義できない方法での、「社会全体にとっての利益」のために書いたのだと主張すれば、その作家は丁重なる尊敬に満ちた傾聴と称賛を受けることができる。しかし、作家としてはこれほどに言語道断なる提議というものはない。
なかには、次のように考える読者もいるだろう(私は断固としてそうは考えないのであるが)。この物語が英国で出版された九年前には、世界が向かいつつある方向を直視しないための何らかの言い訳が人々にはあったのだと。今日、証拠は明々白々なのだから、もはや誰にも、そのような言い訳が主張できるはずがない。そのことを直視するのを拒否する人々がいたとしたら、彼らは単なる盲目とか無知というわけではないのである。
現代世界における最大の罪は、道徳的怠慢により集合主義を受け容れる人々のそれである。自分の立場を採る必要から逃げるために保護を求める人々は、自分たちが受け容れつつあるものの本質を認めるのを拒否している。奴隷制を達成するべく特別に考案された計画を支援する人々は、自分たちが自由を愛する者だと言うが、彼らはそのような空虚な肯定の背後に身を隠しているのだ。彼らが言う自由という言葉には何の具体的な意味もありはしない。彼らは、様々な思想の内容は検証されなくてもよいと考える人々である。原則など定義される必要はないと信じる人々である。目を閉じたままにしておけば、事実は消えると信じる人々である。この人々は、自分たちが血なまぐさい破壊や強制収容所にいることを発見すると、道徳的責任から逃げようと期待する。「だって、そんなつもりじゃなかったんだ!」と言いながらメソメソと泣くことによって。
隷属を望む人々は、それを適切に名づけるという名誉を担うべきである。彼らは、彼らが提唱し、許しているものの十全なる意味を正視するべきである。集合主義の十全で正確で特殊な意味を。それが論理的には実は何を意味しているのか、その十全で正確で特殊な意味を。集団主義が依拠している原則の十全で正確で特殊な意味を。これらの原則が導く究極の結果の十全で正確で特殊な意味を。
彼らはそれに直面し、彼ら自身がほんとうに、それを望んでいることなのかどうか、決定しなければならない。
アイン・ランド
1946年春

第一章

こんなことを書くのは罪だ。他の誰も考えないようなことを考え、誰の目にふれることもない紙にそれを書いたりするなんて、罪だ。卑しく邪悪なことなのだ。これでは、まるで自分たち以外の誰の耳でもなく、自分たちだけに語りかけるようなものじゃないか。だから、我々にはよくわかる。ひとりで何事かをしたり、考えたりするほど汚れた罪はないということを。我々は、法をいっぱい犯した。法律は、こう定めている。<天職協議会(カウンシル)>が命じなければ、人はものなど書いてはいけないと。ああ、罪深い我々をお赦し下さい!

しかし、我々に科せられるべき罪は、これだけではない。我々は、もっと重大な罪を犯した。はるかに大きな罪だ。この罪をなんと呼ぼう。この罪には名前がない。もし、この犯罪が明るみになれば、どんな刑罰が我々を待っているのか、予測もつかない。なんとなれば、このような犯罪が人間の記憶に残ったことはないから。こんなことが我々の歴史になされたことはなかったから。その罪にふさわしい罰則も規定されていないぐらいなのだから。

ここは暗い。蝋燭(ろうそく)の炎はまだ燃えている。このトンネルの中で蠢(うごめく)く物は何もない。我々が紙に書き記す手の動き以外には。この地上にいるのは、我々だけ。こう書いてみると、これは実に恐ろしい言葉ではないか。孤独な言葉ではないか。法律は、こう定めている。人間は誰ひとりとして、ひとりでいてはいけないと。いつでも、どこでもひとりでいてはいけないと。ひとりでいること、孤独は大きな犯罪であり、すべての邪悪さの原因だから。しかし、我々は多くの法律を破ってしまった。今では、もう我々の身体以外には、ここには何もない。地面に伸びた二本の脚しか見えないというのは、奇妙な気持ちがするものだ。目の前の壁には我々の頭部の影が映っているのが見える。これも不思議な気分だ。

四方の壁にはひびが入り、水がその細い糸のようなひび割れにそって流れている。音もなく、黒く、血のように煌きながら。我々は、<街清めびとの館(ホーム)>の貯蔵庫から蝋燭を盗んだ。もし、このことが見つかったら、我々は<矯正監禁宮殿>に十年間収容されるという刑を宣告されるだろう。しかし、こんなことは問題ではない。明かりは貴重であるということだけが大事なこと。我々は、書くために明かりを浪費してはいけない。我々の犯した罪であるその仕事をするためには、そのためには明かりが必要なのだから。今、このとき、この仕事以外に重要なことなどない。我々の秘密、我々の邪悪さ、我々の貴重なる仕事、それ以外には。まだまだ、我々は、我々ひとりだけで書かなければならない。我々は、我々以外の誰の耳にも語りたくない。一度でいいから、我々自身にだけ語りたい。ああ、<大協議会>が、こんな我々を憐れんでくれますように!

我々の名前は、<平等七の二五二一号>だ。すべての人間が左の手首につけている鉄の腕輪には、このような文字と数字が記されている。その腕輪には各自の名前がついている。我々は二一歳。我々の身長は一八三センチ。これこそが、我々の重荷だ。身長が一八三センチある人間はそれほど多くはないから。今までも、たくさんの<教えびと>や<導きびと>の方々が我々を指差し、眉をしかめて、こう言ったものだ。「<平等七の二五二一号>、君たちの骨の中には邪悪がひそんでいる。君たちの骨が、君たちの兄弟の身体以上に成長するはめになるとはね」と。そう言われても、我々は自分の骨も身体も変えることはできないのに。

我々は、ある呪いをかけられて生まれた。その呪いはいつも我々を禁じられた様々な思いに駆り立てた。人間ならば望まないような様々な願いを、我々は心に抱くようになってしまった。我々は自覚している。確かに我々は邪悪だ。しかし、我々には、そんなつもりもないし、それに抵抗する力もない。これには我々も驚いているし、ひそかに恐れてもいるのだ。我々は自分たちの邪悪さを知っているのに、それに抗(あらが)うことができないということを。

我々は、ちゃんと努力はした。他の人々のように、我らが兄弟のようでありたいと努力した。<世界協議会宮殿>の門のところに、次のような言葉が大理石に刻まれている。我々は、心が誘われるといつでも、この言葉を自分たちに繰り返す。

「我々は、みんなでひとり、ひとりでみんな。
   偉大なる我々だけが存在し、他には誰もいない。
   分かつ事のできない永遠なるひとり」

我々は、この言葉を自身に何度も繰り返す。でも駄目なのだ。

これらの言葉は随分と昔に刻まれた。字が掘り込まれている溝には緑色のカビがびっしりはえている。大理石には黄色い筋がはいっている。つまり、この大理石は、人間では数えられないほどの古い時代に生成されたのだ。そして、これらの言葉は真理である。<世界協議会宮殿>の入り口に掲げられているのだから、真理である。<世界協議会>は、すべての真理の総体なのだから。<大復興>から、この言葉はずっとあった。誰ももう憶えていないくらいに古い時代から、この言葉はここに掲げられている。

しかし、<大復興>以前の時代については、我々は口に出してはいけない。決して口には出せない。さもないと、<矯正監禁宮殿>に三年間収容されるという刑を宣告される。<大復興>以前の時代について話すのは、<老いたる人々>だけだ。彼らは、<無用なるひとの館>で、夕暮れなどに、そんな話を小さな声でかわしあう。彼らは、不思議なことをいっぱい小さい声で話し合う。たとえば、<語られざる時代>にあった空にそびえるたくさんの塔の話。それから、馬に引かれることもなく動く馬車の話。炎も出さずに燃え上がる光の話。しかし、その頃の時代は邪悪だった。幾時代かが過ぎて、やっと人間は「偉大なる真理」を見出した。それが、これだ。つまり、すべての人間はひとつであり、すべての人間がともにいっしょに持つ意志以外の意志などない、ということ。

すべての人々は、人々全体は、善良で聡明なのだ。我々だけなのだ。<平等七の二五二一号>である我々だけが、呪いをかけられて生まれた。なぜならば、我々は他の兄弟たちとは違うから。我々の人生を振り返ってみる。そうすれば、それがわかる。ずっと前から、我々はこうだったと。じょじょに段階を経て、我々は今の状態になってしまった。我々は、とうとうこの最終的などうしようもないほどの最高の罪、ここ地下に隠された犯罪の中でも一番悪質な罪を犯すに至ってしまった。

五歳になるまで育った<幼きひとの館>を思い出す。同じ年に生まれた<都(シティ)>の子どもたちは、みないっしょにその館で生活した。そこの睡眠広間には、白くて清潔で、百の寝台以外には何もなかった。その頃はまだ、我々は他の兄弟たちと同じだった。とはいっても、ただひとつだけあの頃でも我々は罪を犯していた。我々は兄弟たちと喧嘩をした。どんな年齢にせよ、理由が何にせよ、兄弟と争うなど、これほどの汚い罪はない。<館協議会>は、我々にそう言った。あの年に生まれたすべての子どもたちの中で、我々は一番ひんぱんに独房に入れられたものだった。

我々が五歳になったとき、<学びびとの館>に送られた。そこには、一〇の監房があった。そこで我々は一〇年間学んだ。人間は、一五歳になるまで、学ばなければならない。その後に働きに行く。<学びびとの館>では、塔にある大きな鐘が鳴ると、我々は起床した。その鐘がまた鳴るとき、我々は就寝した。衣服を脱ぐ前に、我々は広大な睡眠広間に立ち、右腕を上げて、三人の<教えびと>を先頭にして、次の言葉をみなで声をそろえて唱えた。

「我々は無である。人類はすべてである。我々兄弟の恩寵により、我々は我々の人生を生きることを許されている。我々は、国家である兄弟をとおして、国家である兄弟によって、国家である兄弟のために存在する。アーメン」

それから、我々は眠りについた。睡眠広間は、白くて清潔で、百の寝台以外には何もなかった。

我々、<平等七の二五二一号>にとって、あの<学びびとの館>で過ごした日々は幸福なものではなかった。勉強が厳しすぎたからではない。学習内容があまりに簡単だったことが問題だった。こういう事態は、それ自体が大きな罪になる。俊敏すぎる頭脳を持って生まれることは大罪なのだ。我らが兄弟たちと違っているということは、良くないことなのだ。我らが兄弟に卓越することは、邪悪なことなのだ。<教えびと>たちが、そう言った。彼らは、背の高い我々を見上げながら顔をしかめた。

だから、我々は、自分たちにかけられている呪いに抵抗しようと闘った。我々は、学んだことをなんとか忘れようと努力した。でも、どうにも忘れられず、学んだ内容は頭に残ってしまう。<教えびと>たちが教えることを理解しないように努力もした。しかし、いつだって我々にはわかってしまった。<教えびと>たちがすべてを言う前に、もう学習内容は理解できてしまった。我々は、<団結五の三九九二号>を尊敬した。彼らは、顔色の悪い少年で、頭は鈍い。しかし、我々は、彼らが言うようなことを言い、するようなことをするよう努めてみた。彼らのごとくあるために。<団結五の三九九二号>のごとくあるために。しかし、我々は、彼らと同じではないということは、<教えびと>たちはよく認識していた。だから、我々は、他の子どもたちより、ひんぱんに鞭で打たれた。

<教えびと>たちは正しい。彼らは、<協議会>に任務を託された人々だから。<協議会>は、すべての正義の声そのものだ。<協議会>はすべての人間の声を代表しているのだから。たとえ、もし、時折、我々の心の奥の密かな闇の中で、一五歳の誕生日に我々を襲ったことを悔しく思うことがあるとしても。しかし、それも自業自得だ。我々は、それもよくわかっている。我々は、法を犯した。我々は、<教えびと>たちの言葉を心に留めることをしなかった。だから、しかたがない。<教えびと>たちは、我々みなに、こう言った。

「この<学びびとの館>を出た後に、君たちがしたい仕事を選ぶような不埒(ふらち)な真似をしてはいけない。<天職協議会>が、君たちに命じた仕事をすることになっている。なんとなれば、<天職協議会>は、偉大なる叡智により理解しているのである。君たちが、君たちの兄弟からどんな分野で必要とされているか、君たちの価値のないちっぽけな頭で考えつくよりはるかに的確に、知っている。もし、君たちが君たちの兄弟たちに必要とされないのならば、君たちはこの地球のお荷物である。そんなことに理はない。許されない」と。

我々は、このことについてはよくわかっていた。子ども時代にすでによくわかっていた。しかし、我々にかけられた呪いは、我々の意志を砕いた。確かに罪は我々にある。ここに、我々はそれを告白する。我々は、<何かをより好むという大きな罪>を犯した。我々には、他の仕事よりも好きな仕事があったし、他の科目よりも好きな科目というものがあった。<大復興>以降に立ち上げられた<協議会>の歴史には、我々は興味を感じなかった。だから、あまり熱心に歴史の講義には耳を傾けなかった。しかし、<事物の科学>という科目は非常に好きだった。我々は知りたかった。我々の周りの大地、地球を形成するあらゆることを知りたかった。我々は、あまりに多くの質問をしてしまったので、とうとう<教えびと>に質問を禁じられてしまった。

我々は思う。大空にも、海底にも、育つ草木の中にも、数々の謎が、神秘があると。しかし<学識びと協議会>は、こう言った。神秘など存在しないと。<学識びと協議会>は、森羅万象あらゆることを知っている。我々は、我らが<教えびと>たちから多くのことを学んだ。地球が平らなこと、太陽は地球の周りを回転していること、それが昼と夜を形成すること。いろいろな種類の風についても学んだ。海を吹き渡り、我らが偉大なる船の航海を押し進める風について。すべての病気は、瀉血(しゃけつ)すれば治せることも学んだ。

我々は、<事物の科学>という科目を愛していた。闇の中で、秘密の時間に、真夜中目覚めるとき、周りに兄弟たちがいないとき、いたとしても寝台で丸くなった兄弟たちの体の形しか見えず、彼らのいびきしか聞こえないとき、兄弟たちに見られたり、聞かれたり、感づかれたりしないように、我々は目を閉じて、唇を堅く閉じて、息をとめ思ったものだ。学業を終えて働きに行く時がきたら、願わくば<学識びとの館>に配属されたいものだと。

すべての偉大なる現代の発明は、この<学識びとの館>から生まれている。たとえば、蝋と紐から蝋燭を作るといった最新の発明とか。我々がこの技術を知ったのは、たったまだ百年前のことだ。ガラスの作り方もそうだ。おかげで、ガラスのはまった窓のおかげで、我々は雨をしのぐことができるようになった。これらのことを発見するために、<学識びと>たちは大地を調査し、川から砂から風から岩から学ばなければならなかった。もし、<学識びとの館>に行くことができれば、我々もそこから学ぶことができる。それらのことについて質問もできる。もう質問することを禁じられることもない。

我々の心にわきあがる様々な質問は、我々に休息を与えない。我々にはわからない。なぜ、かくもいつも絶えず、我々にかけられた呪いは、我々が知らないことを求めさせるのか?我々は、その衝動に抗(あらが)うことができない。それは我々にささやく。この地球には、偉大なものがあると。もし試みるのならば、それを知ることができるだろうと。また、我々はそれを知らなければならないと。我々は問う。なぜ、我々がそれを知らねばならないのか?しかし、答えは返ってこない。我々は知らなければならない。我々が知ってもいいのだということを、知らなければならない。

だからこそ、我々は<学識びとの館>に配属されたかった。それを願うあまりに、夜になると毛布の下で我々の両手は震えたものだ。自分の腕に懇願したものだ。我々では耐えられないような痛みを、もう起こさないでくれと。そんなことを願うのは、邪悪なことなのだから。朝になっても、我らが兄弟たちの顔にあわせる顔が我々にはなかった。なぜならば、自分自身のためには何も願ってはいけないのだから。そして、我々は罰せられた。<天職協議会>が我々の人生に<職務執行令状>を与えたときに、罰せられた。この令状は、一五歳に達した人間に、生涯従事することになる仕事が何であるかを宣告するものである。

<天職協議会>がやって来たのは、早春のある日だった。彼らは大きなホールで腰掛けていた。一五歳になった我々と、すべての<教えびと>たちが、その広いホールに入場した。<天職協議会>は、高い演壇に腰掛け、<学びびと>たち、ひとりひとりに声をかけるが、それも二言ぐらいだけである。彼らは、<学びびと>の名を呼ぶ。名を呼ばれた<学びびと>たちは、ひとりひとり一歩踏み出し、彼らの前に立つ。<天職協議会>が告げる。<匠(たくみ)びと>とか<薬師(くすし)びと>とか<料理びと>とか<導きびと>とか告げる。そのとき、<学びびと>たちは、右手を上げて、こう言うのだ。「我らが兄弟たちの意志は実行されん」と。

<天職協議会>に、<匠びと>とか<料理びと>と告げられた<学びびと>は、課せられた仕事に従事し、もはやそれ以上学校に通う必要はない。しかし、<天職協議会>に<導きびと>と告げられた<学びびと>は、<導きびとの館>に入ることになる。それは、<都>の中で一番大きな建物だ。なんと三階建てなのだ。そこで、彼らは何年も勉強することになる。<都協議会>や<国家協議会>や<世界協議会>の会員になるべく立候補し、選ばれるために・・・それも、すべての人間の自由で寛容なる投票により。でも、我々は、「導きびと」になりたいとは思わなかった。それがいかほどの名誉であろうと、なりたいとは思わなかった。我々がなりたいのは、「学識びと」だったから。

我々は、大きな広間で待っていた。やっと、<天職協議会>が、我々の名前を呼ぶのが聞こえた。<平等七の二五二一号>と。我々は、演壇まで進んでいった。脚が震えた。<天職協議会>を見上げた。その協議会員は五人で、そのうち三人が男で二人が女だった。協議会員の髪はみな白髪で、顔は乾いた川床のように皹(ひび)がはいっている。みな老人だ。<世界協議会殿堂>の大理石よりも長く生きてきたように見える。彼らと彼女たちは、我々の前に腰掛け、微動だにしない。彼らと彼女たちが呼吸するときに、身に着けている白いトーガの折り目がかすかに動いても不思議ではないのだが、そんな小さな身動きすら見せないほど、彼らと彼女たちは静止した姿勢のままでいた。でも、その協議会員たちはちゃんと生きている。それはわかる。なんとなれば、最長老の協議会員の指が上がり、我々を指差し、また下がったからだ。彼らと彼女たちが動いたのは、もしくは動いたように見えたのはこのときだけだった。最長老のメンバーの唇は全く動いていなかったのに、<街清めびと>と告げる声は我々の耳にはっきりと聞こえた。

我々は頭を上げた。<天職協議会>の会員たちの顔を見たとき、我々は首筋が強張るのを感じた。そのとき我々は幸福を感じた。我々は自分たちの罪深さを重々承知していた。だから、こう思ったのだ。これで我々は、その罪深さを償う方法を手にすることができると。これで<生涯職務執行令状>を受け容れることができると。我々は、我らが兄弟たちのために働くことができると。喜んで、心から進んで。我々は、兄弟たちに犯した罪を抹消することができるのだ。我らが兄弟たちは、我々の罪を知らない。しかし、我々自身は、その罪を自覚している。こう思ったからこそ、我々は幸福を感じることができた。自分自身を誇りに思った。罪深い自分自身に勝利をおさめることができることにも、誇りを感じた。我々は右手を高く上げて、言った。我々の声は、その日にその広間で発せられた誰の声よりも、明晰で確固としたものだった。我々は宣言した。

「我らが兄弟たちの意志は実行されん」と。

それから、我々は<天職協議会>の会員たちの目をまっすぐ見つめた。しかし、彼らと彼女たちの目は、冷たい青いガラス製のボタンのようだった。

こういうわけで、我々は<街清めびとの館>に入った。狭い通り沿いに建つ灰色の建物だ。そこの中庭には日時計があった。この日時計によって、その館の協議会は、時刻を知らせる鐘を鳴らすべき時を知る。鐘が鳴ると、我々は起床する。我々の寝室の窓から見ると、東の方にかけて空はまだ緑色で冷たい。日時計の陰が三〇分を示す間に、我々は着替えをし、食堂で朝食をすませる。食堂には、五台の長いテーブルがあり、それぞれのテーブルには、二〇の粘土でできた皿と二〇のこれまた粘土製の椀が置かれている。食事がすむと、箒(ほうき)と熊手を持って、我々は<都>のあちこちの街路に出かける。五時間が経過する頃には、太陽が空高く上がっているので、我々は<館>に昼食を取りに帰る。昼食には三〇分かけていい。それがすめば、また働きに出かける。また五時間が経過する。舗道に落ちる影が青くなる頃だ。その時間になると、空の色は、あからさまに明るく鮮やかというわけではない類(たぐい)の深い明るさを帯びた水色になっている。我々は夕食をとりに、また<館>に戻る。夕食時間は一時間だ。

それから、鐘が鳴る。我々は、<都会館>のひとつに向かって、まっすぐな行列を作って歩く。そこで親睦集会があるからだ。そこには様々な職種の館から、行列をなして人々が到着する。蝋燭がともされ、様々な職種の<協議会>が説教壇に立ち、我々の義務について、我らが兄弟たちについて語る。それから、来賓の<導きびと>が説教壇に上がり、その日に<都協議会>で作成されたいろいろな演説を読み上げる。なんとなれば、<都協議会>は、すべての人間の代表なのだから、そこで成されたことはすべて、誰もが知っていなければならないのだ。それが終われば、聖歌を歌う。「兄弟を讃える歌」だ。「平等を讃える歌」も歌う。「「集合的魂を讃える歌」も歌う。我々が<館>に戻る頃には、空は生気のない紫色になっている。<館>の鐘が鳴る。

<親睦活力回復娯楽活動>の三時間を過ごすために、我々は<都劇場>に向かって、またまっすぐに行列を作って歩く。そこでは、ある劇が上演されている。「演技びとの館」から派遣されたふたつの大きな演技者集団(コーラス)が出演している。彼らは、みないっしょに台詞を言い応答する。その応酬はふたつの大きな声になる。上演される劇のテーマは「苦役」であり、かつ苦役というものがいかに善なるものかを伝える。それが終われば、我々は<館>に帰る。またまっすぐに行列を作って歩いて帰る。空は、銀色の雨粒に刺し貫かれた黒いふるいのようだ。そのふるいは震え、今にも炸裂して雨粒を激しく落としそうだ。何匹かの蛾が街灯にぶつかる。我々は床につき、眠りに落ちる。早朝の鐘がまた鳴るまで眠る。睡眠広間は白くて清潔だ。百の寝台以外には何もない。

こんな具合に、我々は四年間の毎日を過ごした。我々が罪を犯したのは、ふたつの春が過ぎた頃だった。すべての人間は、四〇歳まで、我々のように生きる。四〇歳になると、人間は消耗され尽くす。四〇歳になると、人々は<無用なるひとたちの館>に送られる。そこで<老いたる人々>は暮らす。<老いたる人々>は働かない。国家が暮らしの面倒を見るからである。彼らは、夏には陽当たりのいいところに座り、冬には火のそばに座る。あまり、彼らは話したりしない。もう衰弱しているからだ。<老いたる人々>は、自分たちがまもなく死ぬことを知っている。奇跡がおきて、四五歳まで長生きする人々は、<古代びと>となる。子どもたちは<無用なるひとの館>のそばを通るとき、まじまじと彼らを見る。それが我々の人生だ。われらの兄弟もみな、こうやって生きる。我々の時代の前に生きた兄弟も、こうやって生きて死んでいった。

そう、確かに、こうやって生きるのが、我々の人生だったはずだ。もし、我々が罪を犯していなかったのならば、そうであるはずだった。しかし、我々が犯した罪は、我々のすべてを変えてしまった。我々をその罪に駆りたてたものこそ、我々の持つ呪いだ。我々は、良き<街清めびと>だったし、我らが兄弟たちの<街清めびと>たちと同じだった。ただ、物事を知りたいという願いを、呪われた願いを心に秘めているということ以外は、同じだった。我々は、夜になると星をあまりに長時間見つめていたし、木々も大地も見つめていた。<学識びとの館>の裏庭を清掃していたときなど、我々はガラスの小瓶や、金属の破片や、乾いた骨など集めた。みな<学識びと>たちが廃棄したものだ。我々は、それらをじっくり調べるために、これらの収拾物を保管しておきたかったのだが、隠すような場所がなかった。だから、それらを<都汚水槽>に運び込んだのだ。そのときだったのだ、我々があれを発見したのは。

おととしの春の日のことだった。我々<街清めびと>は、三人編成で働くことになっていた。だから、そのときの我々は、例のうすら馬鹿の<団結五の三九九二号>と<国際四の八八一八号>と組んでいた。<団結五の三九九二号>は、長じて今や病気がちの若者となり、ときどき激しい発作に襲われ、口から泡をふき、白目をむいて倒れたりする。しかし、<国際四の八八一八号>は違っていた。彼らは、長身の屈強な若者であり、瞳はホタルのように光る。彼らの瞳には笑いがあふれているので、よく光り輝く。かといって、我々は、<国際四の八八一八号>を見上げて、彼らに答えて微笑むことなどできはしない。彼らの瞳の中にあふれる笑いのせいで、彼らは、<学びびとの館>では好かれていなかった。理由もなく微笑むのは適切な行為ではない。彼らは、石炭のかけらを拾い上げて、壁に絵など描く。それがまた人々を大笑いさせるような絵だったので、そのことも彼らが、<学びびとの館>で好かれていない理由でもあった。絵を描くことが許されるのは、<芸術の館>の兄弟だけだ。だから、<国際四の八八一八号>は、我々と同じく<街清めびとの館>に配属されたのだ。

<国際四の八八一八号>と我々は友だちだ。これは、口に出してはいけない悪いことだ。なぜならば、これは犯罪なのだから。他の人間より誰かを愛することは、「何かをより好むという大きな罪」である。我々は、すべての人間を愛さなければならない。すべての人間は我々の友なのだから、そうであらねばいけない。だから、<国際四の八八一八号>と我々は、我々の友情について口に出したことは、いっさいない。しかし、我々は知っている。互いの目をじっと見れば、それはわかる。言葉に出さなくても、我々が互いを見るとき、我々は他のことも互いに了解できてしまう。言葉では表現できない不思議なことが、わかりあえてしまう。しかし、これらのことは、我々を震撼させもする。

そう、あれは、おととしの春の日だった。<都>のはずれで、<都劇場>の近くで、<団結五の三九九二号>が発作に襲われて倒れた。我々は、彼らを劇場の天幕の陰に横たえて休ませてから、作業をすませるために<国際四の八八一八号>と出かけた。劇場の裏手に谷間があり、我々はいっしょにそこまで来た。その谷間には、木々と雑草以外に、何もない。谷間の向こうには草原があり、草原の向こうには<未知の森>がある。その森については、人間は考えてはいけないことになっている。そういう人跡未踏の森がある。

我々は、風が劇場から吹き寄せた紙類やぼろの類を集めていた。そのとき、雑草の間に鉄の棒が一本あるのが目にはいった。古い、雨にさびついた棒だ。我々は、力をこめて引っ張ったが、その棒はびくとも動かなかった。だから、我々は、<国際四の八八一八号>を呼んで、いっしょに鉄の棒の周りの土をこすり取った。突然、地面が我々の目前で裂けた。古い鉄の格子が黒い穴を覆っていたのが、見えた。

<国際四の八八一八号>は後ずさりした。しかし、我々はその鉄格子を引っ張り、はずした。鉄のらせんが見えた。それは、底も知れない闇の奥に向かう縦坑を降りていく階段だった。

「降りてみる」と、我々は<国際四の八八一八号>に言った。

「禁じられている」と、<国際四の八八一八号>は答えた。

我々は言った。「<協議会>はこの孔(あな)のことなど知らない。だから、禁じることもできない」

彼らは答えた。「<協議会>は、この孔のことを知らないのだから、ここに入っていいという法律を作ることなどできない。法律で許可されていないことはすべて、禁じられている」と。

しかし、我々は言った。「行く。ともかく行ってみる」と。

彼らは怯えていた。それでも、そばに立って、我々が降りていくのを見守っていた。

我々は、鉄のらせんに手足をつかってぶら下がった。下には何も見えない。頭上には、さっき我々が入り込んだ穴が見え、そこから空が見えるが、その空の穴がだんだん小さくなっていった。その空の穴の大きさが、とうとうボタンのサイズぐらいになっても、我々はさらに下に降りていった。それから、やっと足が地面についた。周囲が見えないので、目をこすった。地下をだんだんと降りてきたので、目は闇になれていたのだが、それでも我々は自分たちが目にしたものが信じられなかった。

我々が学び知っているような人間という存在が、このような場所を建設できたはずがない。我々の先人たる兄弟が建設できたとも思えない。しかし、ともかく、それは確かに人間の手によって作られたものだった。それは大きなトンネルだった。壁は強固で、触ると滑らかだ。石のような感じだが、石ではない。地面の上には、鉄製の長い薄い路(トラック)ができていたが、それは鉄ではなかった。ガラスのように滑らかで冷たい。我々は跪(ひざまず)いた。匍匐前進(ほふくぜんしん)した。我々の手は、その鉄の線を手探りで進み、その路がどこに行くのか見定めようとした。しかし、我々の前に広がる夜のような闇が明けることはない。闇の中に、その鉄の路だけが輝いている。そのまっすぐの白い路がついて来いと、我々に呼びかけていた。しかし、それ以上は行くことができなかった。背後から我々を照らしていたわずかな光が届かなくなりつつあったから。だから我々は来た路を戻った。また鉄の線を手探りしながら。なぜかわけもなく、胸の鼓動が激しくなり、指先まで響くように感じられた。そのとき、我々はわかった。

唐突にわかった。ここは、<語られざる時代>の遺跡なのだと。あれは、本当だったのだ。そういう時代があったというのは。驚嘆すべきあの時代は、真実だったのだ。何百年も何百年も前の人間たちは、我々が喪失してしまった数々の秘密を知っていたのだ。だから、我々は思った。「ここは、汚れた場所なんだ。ここにあるものは<語られざる時代>のものに触れているのだから、呪われているんだ」と。しかし、その鉄の路をたどり、這って進みながら、我々の手は、そこから離れられないかのように、その鉄にすがりつく。まるで手の肌が乾くので、その金属の奥からその冷たさの中で鼓動を響かせるなにか秘密の流動体を乞い求めるかのように、我々の手はその鉄にすがりつくのだ。

我々は、やっと地上に出た。<国際四の八八一八号>は我々を見て、後ずさりした。

彼らは言った。「<平等七の二五二一号>、顔色が白い。青白いなんてものじゃない」と。

そう告げられても、我々は口もきけなかった。彼らを黙って見上げるだけだった。

彼らは、我々に触れたらとんでもないことが起きるのを恐れているかのように、また後ずさりした。微笑んではいるのだが、陽気な微笑ではなかった。茫然自失して懇願しているようでもあった。しかし、それでも我々は口がきけなかった。それから、やっと彼らは言った。

「<都協議会>に我々の発見を報告しよう。我々はどちらも報償される」

やっと、我々は口がきけた。我々の声は硬く、容赦のないものだった。我々はこう言ったのだ。

「<都協議会>に我々の発見を報告しない。誰にも、このことは知らせない」と。

彼らは両手を耳まであげた。こんな言葉を、彼らは耳にしたことがなかったから。

我々は訊ねた。「<国際四の八八一八号>、君たちは協議会に我々のことを報告する?君たちの目前で、我々が鞭打たれるのを見る?」

彼らは急に体をまっすぐさせて、答えた。

「そんなはめになるなら、死んだほうがましだ」

我々は答えた。「ならば、黙っていて。この場所は我々のものだ。この場所は、我々<平等七の二五二一号>の所有するものだ。この地上のほかの誰のものでもない。ここをあきらめるとしたら、我々の人生をあきらめることになる」と。

そのとき、我々は見た。<国際四の八八一八号>の目が目蓋(まぶた)まで涙がいっぱい溢れていることを。しかもその涙をこぼさないように耐えていることを。彼らは小さな声で何か言ったが、声が震えているので、なんと言ったか定かではなかった。

「<協議会>の意志は何ものにも勝る。それは、我らが兄弟の意志だからだ。それは聖なるものだ。でも、君たちがそれを望むのならば、我々は君たちに従う。我らがすべての兄弟に善であるよりも、君たちとともに邪悪でいることを選ぶ。<協議会>が、我々の思いをご容赦下さいますように!」

それから、我々はそこからいっしょに離れて、<街清めびとの館>に向かって歩いた。我々は黙って歩いた。

このようなわけで、毎晩が次のように過ぎていくことになった。星が高く空に上がり、<街清めびと>たちが、みな<都劇場>の座席に座るとき、我々<平等七の二五二一号>は、こっそり劇場から抜け出し、夜の闇の中を、我々の場所に向かって走る。劇場を抜けるのは簡単だ。蝋燭が吹き消されて、<演技びと>たちが舞台に登場すれば、我々が座席の下や天幕の布の下をはっても、誰も気がつかない。あとで、兄弟たちの行列が劇場を退出するときに、影を縫って戻ってきて、<国際四の八八一八号>の隣の列にすべりこむのも簡単だ。通りは暗いし、あたりには人影もない。夜の街路を歩くような使命でもなければ、<都>を歩き回ってはいけないので、人通りはないのだ。毎晩、我々はあの谷間に向かって走り、そこに到着すると石を取り除く。人々の目から、あの鉄の格子蓋を隠すために、我々がそこに積み重ねておく石を取り除く。毎晩三時間、我々は地下で過ごす。

我々は、<街清めびとの館>から蝋燭を何本か盗んだ。火打石とナイフと紙も盗んだ。みな、この場所に持ってきた。<学識びとの館>からは、ガラス製の小瓶と火薬と酸を盗んだ。さて、我々は毎晩三時間、ここに、トンネルに座り込んで、研究している。奇妙な金属を溶かし、酸を混ぜ、<都汚水槽>で見つけた動物の死体を切開する。街路で拾い集めた煉瓦でかまどを造っておいた。だから、谷間で見つけた木を燃やすことができる。火がかまどでチラチラと燃える。青い影が壁に映り踊る。我々の邪魔をするような物音は聞こえない。我々以外に誰も、そこにはいない。

我々は<写本>を盗んだ。これは大罪だ。<写本>は貴重品だ。<書記の館>の兄弟たちが、一年もかけて一冊の手書きの書物を、きれいな筆跡で写したのだから。<写本>は、めったに目にすることはできない。いつもは、「学識びとの館」に保管されているからだ。我々は地下に座り、盗んできた写本を読む。何冊もの写本を読む。我々がこの場所を発見してから、はや二年が過ぎた。この二年間で、我々は、<学びびとの館>での一〇年間に学んだことより、はるかに多くのことを学んだ。

写本に書かれていないようなことも、我々は学んだ。「学識びと」が知らないような秘密も、我々は知った。未だ探検されざるものが、いかに偉大なものであるか、だんだん我々は理解するようになった。何度生まれ変わり何度人生を重ねても、我々の未知なるものへの探求に終わりはない。しかし、我々が望んだのは、我々の探求が終わること、そのものではない。我々は、我々だけの時間と場所を得て、学ぶこと以外何も欲しいものはない。日ごとに、我々の眼が鷹のそれより鋭くなり、水晶の塊よりも明晰になること以外に、望むことはない。

奇妙なのは、邪悪のありようだ。我々は、兄弟に対してあからさまに嘘をついている。我々は、数々ある我らが<協議会>の意志を無視している。この地上を歩く何千もの人々の中で、我々だけが、この時間に我々だけが、それをしたいという理由以外は何の目的もない作業をしている。我々の罪が邪悪なのは、物事を探り出そうとする人間的頭脳を我々が持っているからではない。もし、今、我々がしていることが発見されたら、我々は罰を受けるが、その罰は、あれこれいろいろ考える人間的心を我々が持っているからではない。我々の罪が邪悪なのは、<古代びとの中でも最古の人々>の記憶のなかにもついぞないことを我々がしているからだ。今、我々がしていることは、人間が決してしたことがないことなのだ。だから、我々のしていることは邪悪なのだ。

しかし、そうなのではあるが、我々は恥辱を感じられない。後悔も感じない。我々は自らに言う。我々は見下げ果てた人間だ、反逆者だと。しかし、我々の魂が感じるべき重荷を、我々はいっこうに感じない。恐怖心もない。我々の魂は、湖のように澄み切っている。太陽の瞳以外の何の目にも煩わされない湖のように。我々の心は、我々が生きてきた二〇年の歳月の中で、初めての平安を感じている。そう、だから奇妙なのだ。これが邪悪さのありようなのか。これは実に奇妙なことではないか!

第二章

<自由五の三〇〇〇号>・・・<じゆう、ごのさんぜん、ごう>・・・<自由五の三〇〇〇号>・・・

我々は、この名前を記したい。その名を口に出して言いたい。しかし、ささやき声以上に大きい声で言う勇気は我々にはない。男が女に注目することは禁じられている。そして女は、男に気を留めることを禁じられている。しかし、我々は、女たちの中でも、あるひとりの女のことを思ってしまう。彼女たちの名前は、<自由五の三〇〇〇号>だ。他の誰のことも、我々は思い出しもしないのに。

土仕事を課せられている女たちは、<都>の向こうにある<農耕びとの館>に住んでいる。<都>が終わるあたりに、うねうねと都から北に向かって延びる道路がある。我々<街清めびと>は、この道路を最初の一・六キロ地点の標石があるところまで清掃しておかなければならない。この道路に沿って垣根が設けられていて、垣根の向こうにはさまざまな畑が広がっている。畑の土は黒々と、よく耕されている。畑は、我々の前に大きな扇状に広がっている。空の果てにある何かの手の中に集められた何本かのあぜ溝が、その手から放たれて前方に広がり、我々の方に向かって来るにつれて広く大きく開かれているかのようだ。薄緑色のスパンコールをつけた黒いプリーツが何本も広がっているような風景だ。女たちが畑で作業している。女たちが着ている膝上まで届く白いチュニックは風になびき、かもめの翼のようだ。黒い土の上で、伸びやかに翻(ひるがえ)される翼のようだ。

我々は、そこで<自由五の三〇〇〇号>を見た。あぜ溝沿いに、彼女たちは歩いていた。彼女たちの体はまっすぐで、鉄の刃のように細かった。瞳は褐色で、硬質な輝きに光っていた。その瞳には、何かを恐れているような色合いもなく、気弱な優しげな風情もなく、何らかの罪をかかえている屈託もない。髪は太陽のような金色で、風に吹かれて輝いていた。その髪の奔放な動きを抑えようとする人間がいたら誰だろうと敢然と反抗するかのような、そんな無頼な野趣を、そのたなびく金色の髪は放っていた。彼女たちは手から種を投げている。軽蔑に満ちた贈り物を投げつけるかのように、投げている。大地は、彼女たちの足元の乞食であるかのように。

我々は立ちつくした。生まれて初めて、恐怖と痛みを我々は知った。快楽よりも貴重なこの痛みを、落としたりしないように、我々はじっと立ちつくしていた。

そのとき、他の女たちからあがった声が、ある名を呼んだ。「<自由五の三〇〇〇号>」と。彼女たちは振り向き、声がした方向に歩いていった。だから、我々は彼女たちの名前がそれであるとわかった。彼女たちが向こうに去っていくのを、我々はじっと見つめていた。その白いチュニックが青い霞の向こうに消えていくまで、じっと見つめていた。

翌日、我々は北に向かう道路に来ると、畑で働いている<自由五の三〇〇〇号>に目を注いだ。じっと見つめた。それから毎日、北に向かう道路で一時間待つという病気を、我々は知ることになる。毎日、我々は、そこで<自由五の三〇〇〇号>を見た。彼女たちも、また我々を見たのかどうかは、わからない。しかし、彼女たちも我々を見ている、我々に気づいていると、我々は思う。

それからしばらくたったある日、彼女たちが垣根の近くまで来た。そのとき、突然、彼女たちが我々の方を振り返った。くるりと勢いも激しく、彼女たちは振り返った。彼女たちの体の動きは、急に始まったときと同じく、急に止まった。まるで、刀でさっと切ったような、鞭がさっと振り下ろされたような敏捷な動き。彼女たちは、石のように静止して、まっすぐに我々を見つめた。まっすぐに我々の眼を見つめた。彼女たちの顔に微笑は浮かんでいない。我々を歓迎するまなざしではない。しかし、彼女たちの顔は張り詰め、瞳は暗かった。それから、彼女たちはすばやく踵を返し、歩き去って行った。

しかし、そのまた翌日、我々が道路に来ると、彼女たちが微笑んだ。確かに、我々に向かって微笑み、我々のために微笑んだ。それに応えて我々も微笑んだ。彼女たちは頭をのけぞらせ、両腕をだらりとおろした。腕も細い白い首も重い脱力感に急に襲われたかのように。彼女たちは長々と我々を見ていたわけではなく、空を見上げていた。それから、肩越しに我々の方をちらりと見た。我々は、その瞬間、ある手が我々の体に触れたかのように感じた。その手に、唇から足まで優しくさっと撫でられたように感じた。

それからは毎日、我々は互いにまなざしだけで挨拶を交わすようになった。話しかけたりなどはしない。<親睦集会>でグループ分けされたときのメンバーと以外は、他の職種の人間に話しかけるのは犯罪なのだ。ただ一度だけだが、垣根のところに立って、我々は額のところまで手を挙げた。それから、その手をゆっくり動かして、手のひらを下に向けた。<自由五の三〇〇〇号>に向かって。誰か他人がそれを見ても、何も推測できるはずがなかった。我々がしたことは、太陽から目をおおっている行為にしか見えなかったから。しかし、<自由五の三〇〇〇号>は、それを見て理解した。だから、彼女たちは片手を額まで挙げて、我々がしたように手を動かした。こうやって、毎日、我々は<自由五の三〇〇〇号>に挨拶する。彼女たちはそれに応える。そして誰もそれを疑わない。

我々のこの新しい罪を、我々は不思議に思わない。これは、我々が犯した二番目の大きな罪、<何かをより好むという罪>だ。我々は、他のすべての我らが兄弟のことは考えない。ほんとうは、みなを公平に思わなければならないのだが。しかし、我々はひとりの姉妹だけのことを思っている。彼女たちの名は、<自由五の三〇〇〇号>。なぜ、彼女たちのことを考えてしまうのか、我々にはわからない。ただ、地上が善なるもので、生きることは重荷ではないと、今の我々は感じている。

我々は、彼女たちのことを、もはや<自由五の三〇〇〇号>とは思っていない。我々は、彼女たちに名前を与えた。いろいろ考えた末にひとつの名を決めた。我々は、彼女たちを<金色(こんじき)のひと>と呼ぶことにした。人間に、他人と区別できるような名を与えることは罪だ。それでも、我々は、彼女たちを<金色のひと>と呼ぶ。なぜならば、彼女たちは他の誰とも違うから。<金色のひと>は、他の誰かと同じではない。

<交接期>以外には、女のことを男は考えてはいけないという法律がある。しかし、そんな法律など、我々は気に留めない。<交接期>とは、毎年の春のその時期のことをさす。二〇歳以上のすべての男と一八歳以上のすべての女は、ある晩に、<都交接宮殿>に送られる。<優生学協議会>によって、男たちはそれぞれに、女たちのひとりをあてがわれる。子どもたちは、よって冬に生まれることになる。しかし、女たちが自分の産んだ子どもたちに会うことはない。子どもたちは、自分の両親を決して知ることがない。我々も、二度その<都交接宮殿>に送られたことがあったが、それは醜く恥辱に満ちた経験だった。そのことを思い出すのは、嫌だ。

我々は、実に多くの法を破った。今日、我々はもうひとつ法を犯した。今日、我々は、あの<金色のひと>に話しかけてしまった。

他の女たちは、畑のはるか遠くにいた。我々が道路脇のそばの垣根で立ち止まったときのことだ。<金色のひと>は、ひとりで堀のところで跪いていた。畑の中に、その堀は巡らされている。彼女たちが、水を唇にもっていたとき、その手から水滴がこぼれ落ちた。その水滴が、太陽に照らされて、火花のようだった。そのとき、<金色の人>が我々を見た。

彼女たちは身動きせず、そこに跪いたまま、我々を見つめる。光の輪がいくつか彼女たちの着ている白いチュニックの表面で戯れている。堀の水面に映った太陽がその光の輪を作っている。凍りついたように空中で静止している彼女たちの指から、きらめく水滴が一粒こぼれ落ちる。

それから、<金色の人>は立ち上がり、垣根まで歩いて来る。まるで我々の眼にこめられた命令がほんとうに耳に聞こえたかのように。我々の編成隊のうち他のふたりの<街清めびと>は、道路から百歩ほど離れたところにいる。<国際四の八八一八号>は、我々を裏切ったりはしないだろうし、<団結五の三九九二号>は、事態がわからないだろうと、我々は思う。だから、我々はまっすぐ正面から<金色のひと>を見つめる。彼女たちの長いまつげが、彼女たちの白い頬に影を落としているのが見える。彼女たちの唇に太陽の光がきらめいているのが見える。

「君は綺麗だ、<自由五の三〇〇〇号>」

彼女たちの顔は動かない。目をそらすこともない。ただ、彼女たちの瞳が大きくなり、目の中に勝ち誇ったような何かが浮かんだだけだ。しかし、それは我々に対する勝利ではなく、我々には推測できない何かに対する勝利のようだ。  

そのとき、彼女たちは訊ねる。

「あなたたちのお名前は?」

「<平等七の二五二一号>」と我々は答える。

「あなたたちは、私たち兄弟のひとりではありません、<平等七の二五二一号>。なぜならば、私たちは、あなたたちにそうあって欲しくはありませんから」

彼女たちが何を言ったのか、我々にわかるはずがない。彼女たちが何を意味しているのか、彼女たちの言葉からはわからない。しかし、そのとき我々は、言葉で表されなくても、彼女たちの言わんとしていることがわかった。

「そう、君たちも我らが姉妹のひとりではない」と、我々は答えた。

「あなたたちはたくさんの女たちの中にいる私たちを、見分けることができますか」

「見分けることができるよ、<自由五の三〇〇〇号>。この地上のすべての女たちといっしょにいても、君たちのことはすぐ見つけられる」

すると、彼女たちはこう訊ねる。

「<街清めびと>の方々は、<都>のあちこちに配属されるのですか?それとも、いつも同じ所で作業なさるの?」

「いつも同じ所で作業する。誰もこの道路の担当を我々から奪うことはない」と、我々は答えた。

「あなたたちの目は、誰の目とも違います」と、彼女たちは言った。

それから突然、我々は冷気を感じる。腹の底まで届く冷気を感じる。脈略もなく我々の心に浮かんだ思いのために。

「君たちは、いくつ?」と、我々は訊ねる。

 彼女たちは、我々が何を考えたかわかる。なぜならば、そのとき初めて、彼女たちは視線を下ろしたから。


「一七歳です」と、彼女たちは小さな声で告げる。

重荷が下ろされたかのように、我々はため息をつく。我々は、なぜか<交接宮殿>のことを思い出していたからだ。我々は、<金色のひと>を<交接宮殿>に送りこませてなるものかと思う。どうやってその事態を阻止したらいいのか、どうやって<協議会>の意志に逆らえるのか、我々にはわからない。しかし、突然に、やろうと思えばできると気がつく。なぜ、そのような考えが浮かんだのか、わからない。あんな醜いことが、我々と<金色のひと>に関係があるなんて。彼女たちが、あんな関係に耐えられるはずがない。

まだ、理由もないのに、我々は垣根のそばに立っていたのだが、そのとき唇が憎悪で硬くひきつるような感じがする。我らが兄弟すべてに対する憎悪が、突然心にわいてくる。<金色のひと>は、それを見て、ゆっくり微笑む。彼女たちの微笑みの中に、我々は彼女たちの中に見たことがない悲しみを初めて見る。<金色のひと>は、女たち特有の知恵から、我々が理解できることよりもはるかに多くのことを深く理解できるらしい。

そのあと、畑に我らが姉妹たち三人の姿が見える。彼女たちは道路の方に向かって歩いてくる。だから、<金色のひと>は我々から歩き去って行った。彼女たちは、種のはいった袋を手に取り、歩き去り遠ざかりながら、地面のあぜ溝に種をまいた。しかし、種は荒々しく吹き飛んだ。<金色のひと>の手が震えていたから。

それでも、<街清めびとの館>に戻る道を歩きながら、我々はわけもなく歌でも歌いたいような気持ちになる。だから今夜、我々は食堂で叱責されてしまった。自分でも気がつかないうちに、大きな声で、聞いたこともないようなメロディーを歌ってしまったからだ。<親睦集会>以外に、理由もないのに歌うのは不適切なことなのだ。

「我々は幸福なので、歌っているのです」と、我々は、叱責した<館協議会>のひとりに答えた。

「君たちは、それは確かに幸福だ」と、彼らは答えた。「我らが同胞のために生きるときほど、幸福なときが我々にあろうか?」と。

そして今、ここ、我々のトンネルに座りながら、あの<館協議会>のひとりが言った言葉について、我々はいぶかしんでいる。それは禁じられているのだ。幸福でないことは、禁じられている。その理由が、我々に説明されたことがあった。人間は自由である。地球は人間のものだ。地上のすべての事物は、すべての人間のものである。人間すべての、人々全体の意志は、あらゆるものにとって良きことである。だから、すべての人間は幸福に違いない。幸福でなければならない、と。

しかし、夜になって睡眠広間に立ち、就寝のために衣服を脱ぎながら、我々は我らの兄弟を見渡し、不思議に思う。我らが兄弟たちの頭は下げられている。彼らの目は鈍重だ。互いに目を見交わすこともしない。我らが兄弟たちの肩は丸く、筋肉は引きつっている。まるで肉体がどんどん縮んで、体が見えなくなればいいと思っているかのようだ。我らが兄弟を眺めていると、ひとつの言葉が我々の心の中に忍び込んでくる。その言葉とは、恐怖。

睡眠広間に漂う空気の中に宙ぶらりんになっている恐怖がある。街の通りの空気の中に宙ぶらりんになっている恐怖がある。恐怖が、街中を、<都>のいたるところを、徘徊している。名前も形もない恐怖が徘徊している。すべての人々は、その恐怖を感知しているのだが、誰ひとり、それをあえて口に出す者はいない。

我々も、またその恐怖を感じる。<街清めびとの館>にいるときになど感じる。しかし、ここ我々のトンネルでは、我々はもはや恐怖など感じない。地下では空気も綺麗だ。人間の匂いがしない。ここで過ごす三時間は、地上で過ごす時間を耐える力を我々に与えてくれる。

我々の体が、我々自身を裏切りつつある。<館評議会>が、我々を疑惑の目で見ているから。あまりに大きな喜びを感じたり、我々の体が生きていることを喜んだりすることは、良くないことである。なぜならば、我々の存在など問題ではないし、我々が生きようが死のうが、我々にとっては問題ではないからである。我々の生死は、我らの同胞が望むようにあるべきものなのだから。しかし、我々<平等七の二五二一号>は、生きていることが嬉しい。もし、これが悪徳なのならば、ならば我々は美徳など欲しくはない。

しかし、我らが兄弟たちは、我々とは違う。すべてのことが、我らが兄弟たちにとって、うまくいっていない。たとえば<友愛二の五五〇三号>は、聡明で優しい瞳をした物静かな若者だが、彼らはわけもなく、昼間だろうが夜だろうが、見境なく突然に号泣する。彼ら自身、説明できない嗚咽(おえつ)で彼らの体は震え揺れる。<連帯九の六三四七号>は、頭のいい若者だが、昼間は恐怖にかられることもないのだが、睡眠中に金切り声で叫ぶ。大声で泣き叫ぶ。「助けて、助けて、助けて!」と。夜に向かって叫ぶ。その声の響きは、我々の骨まで凍らせる。しかし、<薬師びと>は<連帯九の六三四七号>を治せない。

蝋燭の薄暗い光のもとで夜に衣服を脱ぐとき、我らが兄弟たちは無言のままだ。彼らは自分たちが思っていることをあえて口に出したりはしない。なぜならば、すべての人間が、すべての人間に同意しなければならないが、彼らが考えていることがすべての人間の考えと同じであるかどうかわかるはずはない。だから、彼らは自分たちの思いを話すことを恐れている。それゆえに、消灯で蝋燭の光が消えるとき、彼らはホッとして嬉しい。しかし、我々<平等七-二五二一号>は、窓の向こうの空を眺める。空には平安がある。清浄さも尊厳もある。<都>のはるか向こうに、草原が広がっている。その草原の果てには、暗い夜空のもっと向こうの闇には、あの<未知の森>がある。

我々は、あの<未知の森>を調べてみたいわけではない。あの森のことを考えたいわけではない。なのに、我々の眼は、空の向こうのあの黒い区域に戻っていってしまう。今まで人々が、あの<未知の森>に踏み込んだことはない。あそこを探検するだけの力がないのだ。恐怖がいっぱいつまった防護物のようなうっそうとした古代樹林の中を進むべき道がないのだ。百年に一度か二度、<都>の住人の誰かが、ひとり逃走し、あの<未知の森>に、やみくもに目算もなく逃げ込むらしい。そういう噂はささやかれてきた。しかし、彼らは戻ってこなかった。彼らは飢餓で死ぬか、<未知の森>を徘徊する野獣たちのかぎ爪の餌食になるのだ。しかし、こんな話は伝説に過ぎないと、我らが<協議会>は言う。いくつもある<都>が点在する間の地には、たくさんの<未知の森>があるという噂を聞いたことがある。それらの森は、<語られざる時代>の多くの街や都市の廃墟の上に木々が育ったものであるという噂も聞いたことがある。木々は廃墟を飲み込み、廃墟の下に埋もれる幾多の骨を飲み込み、破滅したすべての事物を飲み込み、それが<未知の森>になったのだという噂である。

我々は、夜、<未知の森>を見上げるとき、<語られざる時代>の秘密について考えをめぐらす。その時代をめぐる秘密は世界から失われてしまったが、どうしてそういうことになったのだろうかと、我々は不思議に思う。大きな争いの伝説をいくつか耳にしたことがある。多くの人間がある側について戦い、数の少ない一派が別の側について戦い、数の少ない一派は<邪悪なる人々>であり、彼らは征服されたというのだ。そのとき、巨大な火が国中に燃えさかり、その火の中で、<邪悪なる人々>と邪悪さによって生み出されたすべての事物は、焼き滅ぼされたというのだ。その火こそ、<大復興の夜明け>と呼ばれるもので、それは<焚書の大火>でもあった。その火は、<邪悪なる人々>の書物をすべて焼き尽くした。<邪悪なる人々>のすべての言葉ともども、すべて焼き尽くした。大きな山々のような火が、あちこちの<都>で三ヶ月もの間燃えさかり、火柱が立ち、それからあの<大復興>が到来したという。

<邪悪なる人々>の言葉・・・<語られざる時代>の言葉・・・我々が失ってしまった言葉とは、何だろうか?

<大評議会>が、我々を憐れんで下さいますように!我々は、このような疑問を書き記したくはなかった。こうやって、それを書いてしまうまで、自分たちが何をしているのか、我々は気がついていなかった。我々は、この疑問を問わないことにしよう。もうそれについては考えないことにしよう。我々が失ってしまった言葉とは何なのか、と考えることはやめよう。我々の頭上に死を招くことはやめよう。

しかし、それでも・・・それでも、やはり・・・

ある言葉がある。ひとつの言葉だ。人間の言葉ではないのだが、かつてはそうであったらしい言葉だ。これは、<口に出せない言葉>である。誰も口に出してはいけないし、耳にしてもいけない言葉だ。しかし、時々、まれにではあるが、時々、どこかで、誰かがその言葉を発見する。古い写本の屑の中に発見することもあれば、古代の石の欠片(かけら)に刻まれているのを発見することもある。しかし、それを口に出したりしたら、死に追いやられる。この地上には死をもって罰せられるような犯罪はないのだが、これだけは例外である。<口に出せない言葉>を口に出すという犯罪だけは、死刑を科せられる。

<都>の広場で生きたまま焼き殺された、<口に出せない言葉>を口に出した罪びとを我々は見たことがある。その無残な光景は、長年、我々の心に残り、我々にとり憑き、どこまで行ってもまとわりつき、我々の心の休息を奪ったままだ。そのとき、まだ我々は一〇歳の子どもだったが、他の子どもたちや<都>の住人全部といっしょに、刑場となった大きな広場に立った。その火あぶりの刑の執行を注視するべく召集されたのだ。役人たちは、その<罪びと>を広場に引っ立てて、火刑用のまきの山のところに連れてきた。彼らは、<罪びと>の舌を抜きとってしまったので、<罪びと>はもう何も言えなかった。その<罪びと>は若くて長身だった。金色の髪をして、清清(すがすが)しい朝を思わせるような青い瞳をしていた。彼らは、まきの積んである所まで歩いたが、彼らの足どりには、たじろぐところがなかった。その広場にいる人々の顔の中で、その<罪びと>に対して金切り声を立て、叫び、つばを吐きかけ、呪いをかける人々に比べれば、その<罪びと>の顔がもっとも平静で幸福そうだった。

火刑柱にその<罪びと>の体が鎖で巻きつけられ縛りつけられた。炎がまきの山につけられた。その<罪びと>は<都>を見渡した。唇の端からは、細い糸のような血が流れていたが、その唇は微笑を浮かべていた。そのとき、我々の頭に恐ろしい考えが浮かんだ。その考えはそれ以後、我々の脳裏から去ったことがない。我々は、それまでにも<聖者>について教えられたことがあった。<労働の聖者>がいるし、<各種協議会の聖者>がいるし、<大復興の聖者>がいる。しかし、我々は実際のところ<聖者>なる人間に会ったことはなかったし、<聖者>の顔というものは、かくあるものという実例も見たことがなかった。しかし、そのとき、我々は思った。あの火刑場に立ちつくしながら思った。聖者の顔というのは、我々の目前の炎の中に我々が見ている、あの顔なのではあるまいかと。<口に出せない言葉>を言ってしまった、あの<罪びと>の顔なのではあるまいかと。

たくさんの炎が立ち上ったとき、あることが起きた。我々の目以外の誰の目にもとまらなかったことである。他の人間に気づかれていたら、今ごろ、ここに、我々はこうして生きてはいないはずだから。おそらく、それは錯覚だったのかもしれない。我々が勝手にそう思っただけのことかもしれない。しかし、我々には、どうしてもそう思えてならなかった。あの<罪びと>は死刑見物の群集の中から我々を選び、まっすぐに我々を見つめていた、と。その<罪びと>の目は苦痛を訴えてはいなかった。彼らの体が苦悶で歪むということもなかった。彼らの中には歓喜しかなかった。誇りしかなかった。人間の誇りにふさわしいものよりも、はるかに聖なる誇りが、彼らの中にはあった。まるで彼らの瞳は、我々に炎の中から何ごとかを告げようとしているかのようだった。言葉にならないある言葉を我々の眼に送ろうとしているかのようだった。彼らの瞳は、その言葉を推量しろと我々に懇願しているようだった。その言葉を決して我々が失ってはいけないと、この地上から、その言葉を消してはいけないと、訴えているようだった。しかし、炎はさらに立ち昇り、我々はその言葉を推量できなかった・・・

何なのだろう?あの火あぶりのまき山の上の<聖者>のごとく、焼き殺されなければならないとしても・・・消して失ってはならない言葉とは何なのだろうか?あの<口に出せない言葉>とは。

第三章

我々<平等七の二五二一号>は、自然の新しい力を発見したばかりだ。それを、独力で発見したのだ。我々ひとりだけが、それを知っている。

それは、ここに明言される。やむをえない場合は、鞭でうたれてもいい。そうしよう。<学識びと協議会>は断言したことがある。我々人間はすべてのことを知っている、だから未だ知られていないことなど存在しない、と。しかし、<学識びと協議会>は何も見えていないのだと、我々は思う。この地球の秘密は、すべての人間が目にすることができるものではないのだ。それらを探求する人間だけに見えるものなのだ。我々には、それがわかる。なぜならば、我らが兄弟たちの知らない秘密を、我々は発見したのだから。

この力が何であり、どこから生じているのかは、わからない。しかし、その本質はわかる。我々は、それを見守り、それを使用して作業した。我々がそれを生まれて初めて見たのは二年前のことだった。ある晩、我々は死んだ蛙の体を切開していた。そのとき、片方の足が痙攣するのを見た。その蛙は確かに死んでいたのに、その体が動いた。人間には未知な何らかの力が、蛙の足を動かしていた。我々には理解しがたかったが、それから何回も実験を重ねて、解答を発見した。蛙は銅線でぶらさげられていたのだが、塩水処理してある蛙の死体を通って、銅線に不思議な力を伝えたのは、我々が切開に使用した金属だったのだ。我々は、銅の破片と亜鉛の破片を塩水がはいったびんの中に入れた。それから針金を、その水に触れさせた。我々の指の下で、奇跡が起きた。前には決して起きたことがない奇跡だ。新しい奇跡。新しい力。

この発見は、我々を夢中にさせた。他の研究はうっちゃって、我々はこのことだけに従事した。その力で作業をし、それを試した。ここに書けないほど多くのいろいろなやり方で試した。それぞれの段階が、我々の目の前のヴェールを剥ぐ新たな奇跡だった。我々は、やっと認識できるようになった。我々は、この地上における最大の力を発見したのだと。なんとなれば、それは、それまで人間が知っていたあらゆる法則を拒むものだったから。我々が<学識びとの館>で盗んできた針やコンパスを、その力は動かし回転させた。まだ子どもの頃、我々はこう教えられた。磁石は北を指す。これは何物も変えることのできない法則である、と。しかし、我々が見つけた新しい力は、すべての法則を拒む。その力が稲妻の原因となるのだと、我々は発見した。何が稲妻を起こすのか、誰も知らなかったのに。激しい雷雨のとき、我々は例の我々が入り込んだあの穴のそばに鉄の高い棒を立てて、それを下から観察した。稲妻が、その棒を何度も何度も打つのを、我々は目撃した。そして、今や次のことが判明したのだ。金属は空の力を引き寄せる。金属は、その力を発生させるために使用されうる、と。

我々は、この発見をもとに、不思議なものをいくつか造った。そのために、この地下で見つけた銅線を活用した。我々は、前にこの地下にあるトンネル全部を歩いたことがある。蝋燭をつけて歩いたのである。しかし、半マイル以上は先に行けなかった。地面と岩が、トンネルの両端をふさいでいたからである。しかし、その道程で見つけた事物をみな集めて、作業場に持ち込むことはできた。中に金属の棒がはいった奇妙な箱もいくつか発見した。たくさんの金属製のコードと糸と、これも金属が螺旋状に巻いたものが入っている箱である。我々は、壁についたガラスの奇妙な球につながる針金も見つけた。その球の中には、蜘蛛の巣より薄い金属の糸が入っていた。

これらの物が、我々の作業をやりやすくしてくれた。それらが何なのか我々にはわからないのだが、<語られざる時代>の人々は、我々が発見した空の力を知っていたのだし、これらの箱や針金やガラスの球は、その力に関係するものだということは、推測がつく。まだ今の我々にはわからない。しかし、きっと我々はそれが何であるか学ぶだろう。もはや我々はやめることができない。この我々が得た知識は、我々しか知らないのだということが、我々を震撼させるとしても。

すべての人間によって、そのすべての人間の知恵によって選ばれた多くの<学識びと>よりも偉大な知恵を所有する人間など存在しない。なのに、我々には可能なのだ。我々は、その偉大な知恵を所有している。こう言い切ってしまうことに、我々は抵抗を感じる。こんなことを言っていいのかと心に葛藤が残る。しかし、それは、今こうして明言される。もう、我々にとってはどうでもいい。もうすべての人間のことも、すべての法則のことも、我々の持つこの金属と針金以外の何もかもすべて、忘れる。まだまだ学ばなければならないことがいっぱいある!我々の前にある道は実に実に長い。たったひとりぼっちで、この道を行くことになろうと、何を気にかけることがあろうか?

第四章

何日も何日も過ぎた。ふたたび、あの<金色のひと>に話しかけることができるまで何日も何日も過ぎた。しかし、太陽が白くなる日がやって来た。太陽が破裂して、大気中に炎を広げ、畑もじっと動けず息もできず、道路に舞い上がる埃も、その熱とほてりの中で白くなる、そんな炎暑の日がやって来た。畑で働く女たちは、暑さで疲れ、作業ものろのろ遅れがちで、我々が道路清掃にやって来たときには、彼女たちは道路からかなり離れた地点にいた。しかし、<金色のひと>だけが垣根のところでひとり立ち、待っていた。我々は立ち止まり、彼女たちの瞳を見る。世界に対して硬くなで軽蔑に満ちた彼女たちの瞳は、我々が口にするどんな言葉にも従おうとするかのように、じっと我々を見つめている。

我々は言う。

「我々は、君たちに名前をつけたよ、<自由五の三〇〇〇号>。我々が考えた名前なんだ」

「何という名前でしょうか?」と、彼女たちは訊ねる。

「<金色のひと>」

「私たちもあなたたちのことを考えるとき、あなたたちを<平等七の二五二一号>とは呼びません」

「どんな名前を、君たちは我々につけたの?」

彼女たちは、まっすぐ我々を見つめて、頭を堂々と高く上げて、こう答える。

「<征服されざるもの>」

長い間、我々は口を開くことができない。やっと答える。

「そのようなことを考えてはいけない。禁じられているよ、<金色のひと>」

「でも、あなたたちはそのようなことを考えていらっしゃるのでしょう。あなたたちは、私たちがそのようなことを考えるのを、望んでいらっしゃる」

我々は彼女たちの目をみつめる。嘘が言えない。

「そうだね」と、我々は小さな声で言う。彼女たちの顔に微笑が浮かぶ。それから我々は言う。「ねえ、我らの一番愛しいひと、君たちは我々に従ったりしちゃあいけない」と。

彼女たちは後ずさりする。彼女たちの目が見開かれ、その瞳が動きを止める。

「もう一度、その言葉を言って下さる?」と、彼女たちはささやく。

「どの言葉を?」と、我々は訊ねる。しかし、彼女たちは答えない。だから、我々は、その言葉が何であるか、気がつく。

「我らの一番愛しいひと」と、我々はささやく。

こんなことを女たちに言った男などいなかったのだ。

<金色のひと>の頭が、ゆっくりお辞儀するようにたれる。彼女たちは、我々の前でじっと立ちつくす。両腕は脇に下ろしている。彼女たちの体が、我々の眼に従属の意志を伝えるかのように、彼女たちの手のひらは我々に向かって開いている。我々は、口を開くことができない。

それからやっと、彼女たちは頭を上げて、飾り気なく、穏やかに言う。彼女たち自身の不安を忘れたいかのように。

「今日は暑いわ。あなたたちは何時間も働いていらっしゃるのだから、お疲れでしょう」と、言う。

「疲れてなどいないよ」と、我々は答える。  

「畑はもっと涼しいわ。飲み水もあります。喉は渇いていません?」と、彼女たちは言う。

「乾いているよ。でも垣根を越えることはできないから」と、我々は答える。

「お水をお持ちいたしましょう」と、彼女たちは答える。

それから彼女たちは堀のそばに跪く。両の手で堀から水を掬い、立ち上がり、その水を我々の唇に持ってくる。  

その水を飲んだのかどうか我々ははっきり意識できなかった。ただ、そのとき突然に我々は知った。彼女たちの手の中には何もないということを。我々は、ただ彼女たちの手の中に我々の唇をつけたままでいる。彼女たちにも、それはわかっている。しかし、彼女たちは身動きしない。

我々は頭を上げて、後ずさりする。どうして我々はこういうことをしてしまったのか、わからなかったから。その理由を理解することが、我々には恐ろしくもはあったから。

それから<金色のひと>は一歩退いて、不思議なものを見るようなまなざしで、自分たちの手を見つめる。それから、<金色のひと>は、誰かが近寄ってきたわけでもないのに、我々が立たずむ垣根から離れる。後ずさりしながら離れる。まるで我々から体をそむけることができないかのように。彼女たちの両腕は胸の前で曲げられている。手を下に降ろすことができないかのように。

第五章

我々はやった。我々はそれを創造した。暗黒のような幾時代かを経て、やっと我々は、それを実現させた。我々だけで。我々の力だけで。我々の手と頭脳だけで。我々だけで、我々ひとりだけで。

我々は、自分たちが何を言っているか、わかっている。頭が、ぐるぐる回っている。我々は、自分たちが作った明かりを見上げる。今夜は我々が何を口に出しても、赦されるだろう・・・

今夜、数え切れないほどの時間と実験の末に、とうとう我々は、<語られざる時代>が残した様々な物から、ある不思議なものを作り上げる作業を終えた。かつて我々が達成したことがないほどの強力な空の力を生むために考案されたガラスの箱だ。この箱に我々の針金を入れて、その流れを閉じ込めたとき、針金が輝いたのだ!その針金の線に命が宿り、赤くなり、光の輪が我々の目の前にある石の上に浮かんだ。

我々は立ち、頭を両手でかかえた。我々は、自分たちが創造したものが何であるのか見当がつかなかった。我々は火打石に触れたわけではないのに。火を作ったわけではなかったのに。なのに、ここに光がある。どこからも照らされていないのに、光がある。金属の中心から生まれる光がある。

我々は、蝋燭を吹き消す。闇が我々を飲み込む。我々の周りに残されているものは何もない。夜の闇と、牢獄の壁に走るひびのような、光る細い糸の形をした炎以外には何もない。我々は、手をその針金に伸ばす。赤い輝きに照らされた自分たちの指を見つめる。我々は自分たちの体も見ることはできなかったし、感じることすらできなかった。その瞬間、何もこの世に存在していなかったからだ。暗い深淵のような闇の中で輝く針金の上に掲げた自分たちの両の手以外には。

それからしばらくして、やっと我々は目前にあるものの意味するところを考えた。これで、このトンネルに明かりをともすことができる。我々の住む<都>ばかりでなく、世界中の<都>に、明かりをともすことができる。金属と針金以外の何も使わずに。我々は、我らが兄弟たちに、新しい光をもたらすことができる。彼らが知っているどんなものよりも清潔で明るい光だ。空の力は、人間たちの命令どおりに作られることができる。その秘密と、その力には限界がない。もし、我々がその力の秘密を問うことを選べば、その力は、我々にどんな恩恵でももたらすことができるのだ。

それから、我々は自分たちが何をしなければならないか認識した。我々の発見は、あまりに偉大なので、もはや街の清掃をして時間を浪費することはできない。この秘密を、自分たちだけのものにしておいてはいけない。この地下に埋もれたままにしておいてはいけない。我々には、我々だけの時間がもっと必要だ。<学識びとの館>にあるような実験室も必要だ。我らが兄弟の<学識びと>たちの手助けも欲しい。彼らの知恵を我々の知恵に加えたい。我々すべてにとって仕事は山積している。世界のすべての<学識びと>にとって、すべきことがいっぱいある。

一ヶ月もすれば、<学識びと世界協議会>が我々の<都>で集会を開くことになっている。それは大きな<協議会>である。あらゆる地域の賢者たちが、その<協議会>の会員として選ばれる。彼らは、地球上の様々な<都>で、年に一度集まる。我々は、その<協議会>に出かけよう。彼らの目の前に、我々からの贈り物として、空の力がはいったガラスの箱を差し出そう。そして、すべてを彼らに告白しよう。彼らもそれを目にすれば、理解し、我々を赦すだろう。なんとなれば、我々の贈り物は、我々が犯した罪よりも偉大だから。彼らは、それを、きちんと<天職協議会>に説明してくれるだろう。そうなれば、我々は<学識びとの館>に配属されるだろう。こんなことは、前代未聞の事態だ。しかし、我々が人々に提供する贈り物は、未だ誰も手にしたことがないような偉大なものなのだから、それも当然だ。

しかし、我々は待たねばならない。我々のトンネルを守らねばならない。前には守ることはなかったのだが、今は守らねばならない。<学識びと>以外の誰かが、万が一でも我々の秘密を知ったならば、彼らはその重要性や偉大さを理解できないし、我々を信じることもできないだろう。連中には何も見えやしないのだ。ひとりで歩いたという我々の罪以外は何も見えないのだ。彼らは、我々と我々の明かりを破壊するだろう。我々は、自分たちの身のことなどどうでもいいのだが、あの我々が作り出した光だけは・・・

いや、自分たちの身などどうでもいいということはない。生まれて初めて、我々は自身の体が気にかかる。なんとなれば、この針金は、我々の体から裂いた血管のように、我々の血液とともに輝く血管のように、我々の体の一部なのだから、我々は、金属でできたこの糸を誇りに思う。もしくは、それを作ったこの我々の手を誇りに思う。我々が生み出したものと、それを生み出した我々の手との間を分ける線など、あるのだろうか?

我々は両の腕を伸ばす。生まれて初めて、我々は気づく。我々の腕はこんなにも強いものなのだと、気づく。そのとき、ある奇妙な思いが心に浮かぶ。我々はどんな容姿をしているのだろうか?こんな疑問を持つのは、生まれて初めてだ。人間は決して自分の顔など見ないものなのに。兄弟たちに、そんな質問も決してしないものなのに。なぜならば、自分たちの顔や肉体に関心を持つのは、邪悪なことだからだ。しかし、今夜は、我々がどのような姿形をしているのか知りたい。なぜなのか、その理由はわからないのだけれども。

第六章

我々は書き記さなかった。ここに書くのも三〇日ぶりだ。三〇日間、我々はここに来なかったから。このトンネルに来なかった。我々は逮捕されていたのだ。

最後にここに書いたあの晩に、それは起きた。その晩、我々は砂時計のガラスの中の砂をちゃんと気をつけて見るのを忘れてしまったのだ。三時間が過ぎたことを我々に告げ、<都劇場>に戻るべき時刻を教えてくれる砂時計を見るのを忘れてしまったのだ。そのことを思い出したとき、しその時刻はすっかり過ぎてしまっていた。

我々は、<劇場>に急いだ。しかし、劇場の大きな天幕は空を背景にして灰色だった。そこからは何の音も声も聞こえなかった。<都>の街路は、我々の前に暗く空しく伸びていた。我々が、あのトンネルに戻り、そこに隠れたら、我々は発見されてしまうだろう。我々とともに、あの我々が作った光も発見されてしまうだろう。だから、我々は<街清めびとの館>に戻って行った。

<館協議会>が我々を尋問するので、我々は、<協議会>の会員たちの顔を見上げる。彼らの顔には好奇心などない。怒りもない。しかし慈悲もない。彼らのうち最長老の会員が我々に訊ねる。「お前たちはどこに行っていたのだ?」と。我々は、我々のガラスの箱と我々の光のことを思う。他のことはみな忘れる。だから、我々は答える。

「お話しするわけにはいきません」

<館協議会>のその最長老の会員は、それ以上我々を問うことはしない。彼らは、会員の中でも一番年下のふたりの会員の方を振り返り、言う。声はうんざりと退屈している。

「この我らが兄弟<平等七の二五二一号>を、<矯正監禁宮殿>に連行しなさい。彼らが自白するまで鞭を打ちなさい」

そういうわけで、我々は<矯正監禁宮殿>の地下にある<石の部屋>に連行された。この部屋には窓がなく、鉄の棒以外は何もなく空っぽである。ふたりの男が、鉄の棒のそばで立っている。鉄の前垂れをして、顔には皮の覆面をつけ、あとは全裸である。我々をそこに連れ込んだ<館協議会>の人々は、その部屋の隅に立っていたふたりの<裁きびと>たちに我々を託して、退室した。<裁きびと>たちは、小柄でやせっぽちで、白髪の猫背の男たちだった。彼らは、例の皮の覆面をかぶったふたりの屈強な男たちに合図する。

彼らは、我々の体から衣服を剥ぎ取り、我々を無理に乱暴に跪かせる。それから我々の両手を鉄の棒に縛る。

鞭が最初に振り下ろされたとき、背骨がふたつに折れたように感じた。二回目の鞭が振り下ろされて、最初の鞭によって起きた苦痛を中断させたので、一秒ほど我々は何も感じないですんだ。が、すぐに痛みが喉を突き、火が肺の中を駆けめぐる。息もできなかったのだから灰の中には空気はないはずなのに、激しい火が肺を駆けめぐる。しかし、我々は泣き声も叫び声ももらさなかった。

鞭は、風が鳴っているような、風が歌っているような音をたてた。我々は、何度鞭打たれたか、数えようとしたのだが、しかしどこまで数えていたのか覚えていられなくなる。鞭が、我々の背に振り下ろされているのは意識できるのだが、しかしもはや背中には何も感じないのだ。炎を上げて燃える格子模様がずっと我々の目の前で踊り続けていた。その格子模様のこと以外は何も考えられないのだった。格子、赤い四角形の格子・・・そのとき、我々は気づく。自分たちが、その<石の部屋>のドアについている四角形の鉄格子を見ているのだと。四方の壁にも四角形の石がある。鞭が我々の背中に四角形を刻んでいる。我々の背中の肉を斜めに横切り、また斜めに横切り、四角形を刻んでいる。

それから、我々は目の前に鉄拳を見た。それは、我々の顎を打ち砕く。ひっこんだ鉄拳に、我々の口から吹き出た血の泡がついていた。<裁きびと>が訊ねる。

「お前たちは、どこにいた?」

しかし、我々は頭をひっこめ、鉄棒に縛られた手に顔を隠し、唇をかみ締める。

鞭が再び振り下ろされた。いったい誰が、燃えさかっている石炭くずを床にばらまいているのかと我々は不思議に思う。周囲の石の床には、赤色の点々が散らばり、きらきら輝いているから。

そのときの我々には何もわからなかった。ただ、ふたつの声が、ずっと怒鳴っているのが聞こえるだけだ。彼らは何分かおきに、そう言っているだけだということは我々にもわかるのではあるが、彼らの怒鳴り声は切れ目なく次から次へと聞こえるのだ。

「お前たちはどこにいたお前たちはどこにいたお前たちはどこにいたお前たちはどこにいた?・・・」

我々の唇が動く。しかしそこからもれる音は、喉の奥にしたたり落ちてしまう。かろうじて次のような音だけが出る。

「ひかり・・・ひかり・・・ひかり・・・」

我々は、そのとき自分たちが何と言っているのか、もう自覚できなかった。

目を開けた。我々は独房の煉瓦の床に腹ばいになって寝転がっていた。我々の前からかなり離れたところの煉瓦の上にあるふたつの手を、我々は見つめた。それらを動かしてみた。で、その手が自分たちの手だとわかった。しかし、体は動かせなかった。そのとき我々は微笑した。あの光のことを思い出したからだ。我々は、あの光を裏切らなかった。

何日間も、我々は独房に寝転がっていた。一日に二回独房のドアが開く。一回目はパンと水を運んでくる役目の男たちであり、二回目は<裁きびと>たちだ。何人かの<裁きびと>が独房にやって来た。最初は、最も位の低い<裁きびと>が。それから最高の名誉を持つ<都裁きびと>たちが来た。白いトーガを身に着けて、彼らは我々の前に立ち、質問する。

「自白するか?」

しかし、我々は頭を振る。彼らの目前で床に横たわりながら。彼らは退室して行く。

我々は、過ぎていく日と夜を数えた。そして、今夜、我々は逃亡しなければならないと知った。なんとなれば、明日、<学識びと世界協議会>が我らの<都>で集会を開くから。

<矯正監禁宮殿>から脱出するのは簡単なことだった。そこの錠前は古くて、看守もいない。看守など配置する必要などないのだ。そこにいるように命じられた場所がどこにせよ、そこから逃亡するに至るまで<協議会>に反抗した人間など、未だかつて存在しなかったのだから。我々の体は壮健なので、体力はすみやかに回復していた。我々はドアに突進した。難なくドアは開いた。暗い廊下を縫い、暗い街路を縫い、我々はあのトンネルにたどり着いた。

蝋燭に明かりをともした。我々の場所は発見されず、何もかも手付かずのままだった。我々が置いておいたときのままに、我々のガラスの箱が冷たくなったかまどの上に、目の前に、あった。もう大丈夫だ。あんな連中が何だ!背中の傷が何だというのだ!

明日になったら、日の光がいっぱい差し込む中で、我々はこのガラスの箱を持ち、このトンネルを開けっ放しにして、<学識びとの館>まで堂々と街を歩いていく。我々は、彼らの目の前に、かつて人間に捧げられた贈り物の中でも最高のものを置いてやるのだ。我々は、彼らに真実を告げよう。我々の告白として、これらも、我々が書き記してきた何ページにもわたるこの記録も、彼らに手渡そう。我々は、彼らと手と手を結び、ともにいっしょに研究するのだ。人類の名誉を賭けて、空の力を究明する研究をするのだ。ああ、我らが兄弟たちに祝福あれ!明日になれば、君たち我らが兄弟たちは、我々を君たちの仲間に加えるだろう。我々は、もうはぐれ者でも浮浪者でもなくなる。明日になれば、我々は君たちのひとりになれる。我らが兄弟たちのひとりに再び戻ることができる。明日になれば・・・

第七章

森の中は暗い。頭上で木々の葉がそよぐ。日暮れていく空の最後の金色の光を背景にして、葉の色は黒ずんでいる。コケの茂みは柔らかく温かい。幾夜も、我々はこのコケの上で眠ることになるだろう。森に住む野獣が我々の体を引き裂くときまでは。もう寝台などない。コケの茂みが寝台だ。未来もない。襲い掛かる野獣という未来以外はない。

我々は今や年老いている。今朝は若かったのに。あのガラスの箱を<都>の街を抜けて、<学識びとの館>まで運んだときは、若かったのに。誰も、我々を邪魔しなかった。<矯正監禁宮殿>から我々を探しに街を回っている人間などいなかったし、だいたいほかの誰も我々が逮捕されていたことなど知らなかったのだ。<学識びとの館>の門でも、誰も我々を止めなかった。誰もいない通路を通過し、我々は<学識びと世界協議会>が厳粛なる集会を開いている大広間に入った。

最初、その広間に入ったとき、青い空を映して輝く大きな窓以外は何も目に入らなかった。それから、長いテーブルをめぐる席についた<学識びと>が見えた。彼らは、大空が立ち上がるそのふもとに蹲(うずくま)る形も定かでない雲のようだった。我々も知っているような有名な<学識びと>もいるし、名前は聴いたことがないが遠い地域からやってきた<学識びと>もいた。彼らの頭上の壁には、大きな絵が掲げられている。蝋燭を発明した二〇人の輝かしい人々を描いた絵である。

我々が入って行ったとき、そこにいた<学識びと協議会>の全員が振り返って、我々を見た。この地上に生きる偉大で賢明なる人々が、我々のことをどう考えたらいいのかわからないのだった。彼らは、何事が起きたのかといわんばかりの驚きと好奇心で、我々を注視した。我々がひとつの奇跡であるかのような目つきだった。確かに我々の衣服は破れ、血の乾いた茶色い染みで汚れていた。我々は、右手を挙げて言った。

「ご挨拶をさせていただきます。<学識びと世界協議会>の名誉ある兄弟の方々!」

その<協議会>会員の中でも最長老で、最高の賢人である<集団〇の〇〇〇九号>が口を開き、こう訊ねてきた。

「我らが兄弟よ、あなた方はどなたかな?どう見ても<学識びと>には見えないが」

「我々の名前は<平等七の二五二一号>であります。我々は、この<都>の<街清めびと>であります」と、我々は答えた。

そのとき、一陣の大きな風がその集会場の広間を吹きぬけたようだった。<学識びと>たちは、一斉にざわざわと話し始めた。彼らは怒っていたし、震撼してもいた。

「<街清めびと>とは!<街清めびと>が、<学識びと世界協議会>にやって来るとは!信じられない事態だ。規則違反だ!法律違反だ!」

しかし、我々は彼らを黙らせる方法がわかっていた。

我々は言った。「我らが兄弟の方々!我々のことなどどうでもいい。我々の罪などどうでもいいのです。大事なのは、我らが兄弟の方々であります。我々のことなどお気になさらないで下さい。我々などどうでもいいのです。ただ、我々の言うことに耳を傾けていただきたい。我々は、みなさんに、ある贈り物を持ってまいりました。未だかつて人間に与えられたことのない贈り物であります。どうか聴いて下さい。我々は、この手の中に人類の未来を開く物を持っております」

すると、彼らは静かに我々の言葉に耳をすませた。

我々は、彼らの前のテーブルの上に、あのガラスの箱を置いた。その箱について、我々が行ってきた長い探求について、我々の地下トンネルについて、<矯正監禁宮殿>からの脱出について、我々は語った。我々が話している間、<学識びと>たちは、誰も片手さえ動かさず、目ですら動かさなかった。説明し終わってから、我々は箱に針金をあてた。<学識びと>たちは、体を前かがみにして、じっと座したまま、その箱を見守った。我々はといえば、静止して立ったまま針金に目を注いだ。ゆっくりと、ゆっくりと、血が頬を紅潮させていくように、赤い炎が針金の中でちかちか震えた。それから、炎が輝かしく光った。

<協議会>の人々を恐怖が襲った。彼らは飛び上がって、テーブルから走って逃げた。壁に背中を押しつけて、みないっしょに身を寄せ合った。なんとか勇気を振り絞るには、互いの体のぬくもりが必要だと言わんばかりに、互いの身をしっかり寄せ合った。

我々は、彼らの狼狽(ろうばい)ぶりを眺めて、大声で笑い言った。

「何も恐れないで下さい、我らが兄弟のみなさん。これらの針金の中には偉大な力がこめられていますが、この力は飼い慣らすことができるものです。この力は、あなた方のものです。我々は、これをみなさんに進呈いたします」

それでも、彼らは身動きしなかった。

「我々は、空の力をあなた方に進呈いたします!」と我々は叫んだ。「我々は、この地上に、空の力を駆使する鍵を進呈します。受け取って下さい。我々を、あなた方のお仲間に加えて下さい。実にふつつかな弱輩者ではありますが。いっしょに研究をしようではありませんか。この力を利用しようではありませんか。人々の労苦をこの力で軽減しようではありませんか。蝋燭や松明(たいまつ)など捨ててしまいましょう。我々の街を、すべての町を、光で満たしましょう。人々に新しい光をもたらしましょう!」

しかし、<学識びと>たちは、我々の顔を眺めているだけだった。そのとき突然、我々は恐怖を感じた。なぜならば、彼らの瞳はじっと動かず、小さく、邪悪さをたたえていたから。

「我らが兄弟よ!我々におっしゃることが何もないのですか?」と、我々は叫んだ。

そのとき、壁際にいた<集団〇の〇〇〇九号>が前に歩を進めた。テーブルに戻ったのだ。他の<学識びと>たちも、彼らにならった。

「いいや、ある。お前たちに話すべきことが、我々にはいっぱいある」と、<集団〇の〇〇〇九号>が口を開いた。

<集団〇の〇〇〇九号>の声の響きが、大広間に沈黙をもたらし、かつ我々の心臓に激しい鼓動をもたらした。

<集団〇の〇〇〇九号>は言った。「そうだ。我々には、すべての法を破り、自分たちのしでかした破廉恥な行為を大いばりで自慢するような、見下げ果てた人間に言うべきことが、いっぱいある!お前たちは、いったいどういう神経を持っているのか?どうしてそんなことが思えるのか?お前たちの兄弟の頭脳よりも、もっと偉大な知恵を自分たちの頭脳が持っているなどという不埒きわまることが、なぜ思えるのだ?<協議会>が、お前たちは<街清めびと>であるべきと定めたのだ。なのに、どういうわけで、街を清掃するということよりも人々に役立てることが自分たちにできるなどと、そんなとんでもないことを、お前たちは考えついたのだ?」

「なんと、身の程知らずなことあろうか、溝掃除人ごときが」と、<友愛九の三四五二号>が口をはさんだ。「自分たちのことを、余人に変えがたい人間として考えるとは。大勢のひとりとは思わないとは、なんとまた!」

「お前たちなど、火あぶりにされるであろう」と、<民主主義四の六九九八号>が言った。

「いや、鞭打ちの刑だ。鞭で打たれ打たれて、打たれ終わったらついには肉の欠片もなくなるまで打たれるがいい」と、<満場一致七の三三〇四号>が言った。

<集団〇の〇〇〇九号>が言った。「いや、我らが兄弟よ、これは我々だけでは決めることはできない。このような大罪は犯されたことがないのだから、我々だけで判断するわけにはいかない。小さな<協議会>では駄目だ。人間とも思えないこやつを<世界協議会>に送ろう。彼らの意志に任せよう」

我々は彼らを見渡して、懇願した。

「我らが兄弟の方々!あなた方は正しい。<世界協議会>の意志が、我々の体に下されますように。我々にとっては、それはどうでもいいのです。しかし、この光はどうするのです?この光を、あなた方はどうなさいますか?」

<集団〇の〇〇〇九号>が我々を見て、微笑んだ。

「そうか、お前たちは自分たちが新しい力を発見したと考えているわけだ。しかしお前たちの兄弟みなが、そう考えるだろうか?」と、<集団〇の〇〇〇九号>が言った。

「いいえ」と、我々は答えた。

「すべての人間に考えられていないことは、真実ではありえない」と、<集団〇の〇〇〇九号>が言った。  

「お前たちは、このことをひとりでしたのか?」と、<国際一の五五三七号>が訊ねた。

「はい」と、我々は答えた。

「みなといっしょに、集団的になされないことは、善ではありえない」と、<国際一の五五三七号>が言った。

「<学識びとの館>でも多くの者が、今までにも奇妙なことを随分考えついてきた。しかし、彼らの兄弟たちの<学識びと>が、その考えに反対の投票をしたときには、彼らは自分たちの考えを捨ててきた。みなが、そうしなければならないように」と、<連帯八の一一六四号>が言った。

「この箱は役にたたない」と、<協調六の七三四九号>が言った。

「人々が主張するように、物事はあるべきだ」と、<調和九の二六四二号>が言った。「それに、そのようなものは、<蝋燭局>を破滅させてしまうだろう。<蝋燭>は、人類にとって偉大なる恩恵である。すべての人々に是認された恩恵である。したがって、ひとりの人間の気まぐれのために、<蝋燭>が破壊されてはならないのだ」とも言った。

<満場一致二の九九一三号>が言った。「これは、<世界協議会計画>を挫折させるだろう。<世界協議会計画>がなくては、太陽も昇れない。蝋燭が、すべての<協議会>からの是認を確保して、必要とされる蝋燭数が決定され、松明のかわりに蝋燭を使用するために<世界協議会計画>が修正されるまでに五〇年かかった。こんなものが出てきたら、たくさんの国家で働く何千何万もの人間に重大な影響を与えてしまう。また再び、こんなに早く<世界協議会計画>を変更することなどできるはずがない」

<類似五の〇三〇六号>が言った。「それに、もしこれが、人々の労苦を軽減するとしたら、それは重大な悪ではないだろうか。他人のために汗を流し苦労することにおいて以外に、人間に存在すべき大義などない」

そのとき、<集合〇の〇〇〇九号>が椅子から立ち上がり、我々のガラスの箱を指差した。

彼らは言った。「この箱は、破壊されねばならない」と。

他の<学識びと>みんなが、声を揃えて叫んだ。

「それは、破壊されねばならない」

それから、彼らは我々のガラスの箱に飛びかかった。

我々は箱を掴み、飛びかかってきた<学識びと>たちを脇に押しのけ、窓に向かって走った。最後に、我々は振り返って、彼らを見た。彼らは、人間が知らない方がふさわしい醜悪な顔をしていた。それは、我々の喉からもれる声でさえ詰まらせるほどの無残なものだった。

「お前たちは馬鹿だ!馬鹿ばかりだ!最低最悪の馬鹿だ!」

我々は、こぶしで窓を突き破った。窓ガラスが音をたてて雨のように降り注ぐ中を、我々は外へ飛び出した。

我々は地面に落ちた。しかし、手からあのガラスの箱を決して離さなかった。それから、我々は走った。ただ、やみくもに走った。人々も家々も形のない急流となって、我々を通過して行った。我々の前の道路は平らには見えず、まるで道路の方が我々に会うために跳躍しているようだった。我々は、地面が立ち上がり、我々の顔を打つのではないかと身構えたほどだ。しかし、それでも我々は走った。どこに向かっているのかわからずに、ただ走った。ただ走らなければならないということしか、我々にはわからなかった。ともかく世界の果てまで走らなければならなかった。我々の命が尽きるまで走らなければならなかった。

それから、唐突に我々は気がついた。自分たちが、柔らかな地面に寝転がり、走るのをすでにやめていることに気がついた。我々の目の前には、今まで見たこともないような高い木々が立っていた。大いなる沈黙の中、それらの木々は我々の頭上高くそびえていた。それでわかった。我々は、<未知の森>にいたのだ。ここに来ることなど頭をかすめることさえなかったのに、なのに、我々の足は我々の内なる知恵に導かれて、<未知の森>に来たのだった。我々の足は、我々の意志に逆らい、<未知の森>に我々を運んだのだった。

我々のあのガラスの箱が傍らにあった。その箱まで、我々は腹ばいに進み、箱の上におおいかぶさった。両の腕の中に顔を埋めて、我々はじっと身を横たえた。

何時間も、その姿勢で我々は横たわっていた。しばらくしてから身を起こし、箱を手に取り、森の中をさらに奥に向かって歩いていった。

もう、どこに行こうが問題ではない。誰も我々を追跡などしないことはわかっている。あいつらは、<未知の森>に足を踏み入れることなど決してしない。我々が、あいつらを恐れる理由は何もない。この森は、自らの獲物を自ら始末する。そんなことすら、もう我々に恐怖を与えることはない。ただ、我々は遠ざかりたかった。<都>から離れたかった。<都>の空気に触れる空気からさえ離れたかった。だから、我々はずんずん進んで行く。両の腕にあのガラスの箱をかかえて、心は空っぽのまま、ただ森の奥に進んで行く。

我々は、もう終わりだ。どんな日々が我々にこの先残されていようと、我々は、その残された日々をひとりだけで過ごすのだ。孤独の中に発見された腐乱死体のことを耳にしたことがある。我らが兄弟たちそのものである真理から、我々は自らを引き裂いたのだ。我々に戻る道はない。償う術(すべ)などもうない。

我々の両腕の中にあるガラスの箱だけが、我々に力を与える生き生きとした心臓だ。我々は、自分自身に嘘をついてきた。我らが兄弟たちのために、我々はこのガラスの箱を作ったわけではない。我々は、ただこのガラスの箱そのもののために、この箱を作ったのだ。我々にとって、それは我らが兄弟より優先するものだ。その真実は、我らが兄弟たちの真実を越えた真実だ。しかし、こんなことを、なぜいちいち考えなければならないのか?もう我々に残された日々は多くはないのだ。大いなる沈黙を守っている木々の中のどこかで待っている毒牙まで、我々は歩いているのだから。もういちいち後悔するべき何物も、我々には残されていない。

その瞬間、一撃の痛みが我々を襲う。こんな痛みは初めてだった。我々が生まれて初めて感じた激しい心の痛みだった。我々は、<金色のひと>のことを思い出す。もう二度と会えない<金色のひと>のことを思い出す。それからしばらくして、我々の痛みは消える。これでいいのだ、一番いいのだ。我々は、呪われた極悪人のひとりだ。<金色のひと>が我々の名前を忘れ、我々の名を持った体を忘れるのならば、それが一番いい。

第八章

驚くべき一日だった。この森で過ごした第一日目は。

太陽の光線が、我々の顔に斜めに落ちたとき、我々は目覚めた。我々は飛び上がりたかった。今までの人生で毎朝飛び上がって起きなければならなかったように。しかし、突然思い出した。もう起床の鐘は鳴らないし、この森のどこにも鳴りたてる鐘などないということを。我々は仰向けになり、両腕を大きく広げた。仰向けに寝転がったまま我々は空を見上げた。木々の葉の淵は銀色だ。その葉の銀色の淵は、我々の頭上に高く流れる木々の緑と、その木々の間を流れる火の川のような陽光に震え、さざ波を立てている。

我々は動きたくない。好きなだけ、このまま寝転がっていていいのだと、我々は突然気がついたのだ。そう思うと、たまらなくなって我々は大声で笑う。今の我々は、起き上がってもいいし、走ってもいいし、跳躍してもいいし、また倒れて寝転んでもいい。こんなふうに考えるのは道理にあわないと思うのだが、そう思う前に、寝転がっていた我々の体は起き上がっている。飛び跳ねて起き上がっている。我々の両腕は、腕の望むままに伸びる。我々の体は、ぐるぐる旋回する。あたりの低木の茂みの葉の中にサラサラと音をたてる風を起こすまで、ぐるぐるぐるぐる旋回する。それから我々の手は一本の枝をもぎ取り、それを一本の木に向かって高く振り回す。何のために?ただ、自分たちの体の内にある力強さを知るという素晴らしい驚きを味わうだけのために、振り回す。その枝が折れて、クッションのように柔らかなコケの茂みの上に落ちる。我々の体は、コケの茂みの上をゴロゴロ転がる。もう分別も何もかもなくして、ゴロゴロ転がる。我々のチュニックにも髪にも顔にも乾いた葉っぱがくっつく。そのとき突然、我々の耳に聞こえたのは笑い声だった。我々自身の笑い声だった。我々が大きな声で笑っているの。もはや我々の中に残っている力は、笑いしかないかのように。

しばらくしてから、我々はガラスの箱を手に取り、森の奥に進んで行った。我々は、ずんずん進んで行った。前をふさぐ木々の枝を切り拓いていくように進んで行った。まるで葉の海を泳いでいるようだった。その葉の海には、我々の周りで高まり、崩れ落ち、また高まる波のような茂みもある。その茂みの波は、緑色の波しぶきを木々の高みまで高く投げ飛ばしている。我々の前に、木々が開ける。我々に前進を促しているのだろうか。森は、我々を歓迎しているようだ。思惑も何もなく、我々は進んで行く。何も気にしない。我々の身体が詠う歌以外には何も感じない。

空腹を感じて、我々は歩みを止める。木々の枝の中を鳥が何羽か見える。我々の足元から飛び上がっている。我々は石を拾い上げて、一羽の鳥をめがけて、矢を射るように石を投げる。鳥は、我々の目の前に落ちる。火を起こし、それを料理し、食した。これほど食事というものが美味に感じられたのは、我々には生まれて初めてのことだった。そのとき、突然我々は思う。我々が必要とし、自らの手で獲得した食べ物からは、大きな満足が見出せるものなのだと。また空腹になりたいと思った。すぐに空腹にならないかと思った。食べることにまつわる、この不思議な新しい誇らしさを、再び我々は感じたい。

食事が終わって、我々はまた歩く。木々の間を縫う一筋のガラスのように横たわる小さな川までたどり着く。それは、実に静かな小川なので、そこに水は見えず、ただ地面の表面に切り口が開いているのだった。その小川の水に映った木々は、その水の奥に向かって下向きに伸びているように見える。空は、水底にあるかのように見える。我々は、小川のそばに跪き、水を飲もうと体をかがめる。そのとき我々は静止してしまった。我々の目の前の小川に映った空の青さの表面に、我々の顔が映っていたからだ。我々は、生まれて初めて、自分たちの顔というものを見たのだ。

我々は、そこに座りこんで、息を止めてしまう。我々の顔と体は美しかった。我々の顔は、我らが兄弟たちの顔とは違っていた。我々は、我らが兄弟たちの顔を見ると、なぜかわけもなく憐憫を感じていたものだが、自分たちの顔を見ても、それを感じなかったから。我々の体も、我らが兄弟たちの体とは違っていた。我々の四肢は伸びやかでほっそりとして、硬く強かったから。我々は思った。この小川の中から我々を見つめているこの存在は信頼することができると。この存在とともにいれば、恐れることなど何もないと。

我々は、日が沈むまで歩き続ける。木々の間を夕闇の影が集まったとき、我々は木の根と木の根の間にある窪地で足を止める。今夜はここで眠ることにしよう。今日というこの日、我々は呪われた人間であるということを、我々は初めて思い出す。我々は声をたてて笑う。

我々が、ことのいきさつを、こうして書き記している紙は、我々があの<学識びと世界協議会>に持ち込んではみたものの、彼らに決して渡さなかった何ページにもわたる実験記録とともにチュニックに隠し持っていたものだ。我々には、我々自身に語るべきことが多くある。これからの日々に、それに適した言葉を我々は見つけることだろう。今の我々には、まだ、その語るべきことを語ることができない。なぜならば、まだ我々には事態がよく理解できていないから。

第九章

何日もの間、我々は書かなかった。我々は語りたくもなかった。我々に起きたことを思い出すためには、言葉など必要なかったから。

我々の背後から何ものかの足音が聞こえたのは、森にやって来た二日目のことだった。我々は、茂みに中に身を隠した。待った。足音はどんどん接近してくる。木々の向こうに、白いチュニックの折り目が見える。一筋の金色も見える。

我々は茂みから飛び出す。走り寄る。我々は、<金色のひと>を見つめながら、呆然と立つ。

彼女たちは、我々を見る。彼女たちは、両手をぎゅっとこぶしの形に握り締める。手をこぶしにしたまま、両の腕がだらりと垂れ下がる。両腕が自分自身を抱いて支えてくれればいいのにと思っているような風情だ。その間にも、彼女たちの体はこきざみに震えている。言葉も出ないようだ。

我々は、彼女たちに思い切って近寄っていくこともできずに、ただ訊ねるだけだ。我々の声は震えている。

「どうやってここに来たの、<金色のひと>?」

彼女たちは、ただささやくだけだ。

「やっとあなたたちを見つけました」と。

「どうやって、この森に来たの?」と我々は訊ねる。

彼女たちは、頭を上げる。彼女たちの声には、自分たちを誇りに思う響きがこめられている。彼女たちは、答える。

「私たちは、あなたたちを追ってきました」と。

今度は、我々のほうが言葉を失う番だ。彼女たちは、さらに言う。

「あなたたちが、<未知の森>に行ってしまったという噂を聞いたのです。<都>の人たちはみな、そう言っていますから。そう聞いた日の夜に、私たちは<農耕びとの館>から逃げたのです。誰も歩いたはずがない草原に、あなたたちの足跡があるのを見つけました。だから、私たちは、その足跡を追ってきたのです。そうしたら、この森に入ることになりました。あなたたちの体が通過するときに折れた枝を道のように、ここまでたどって来たのです」

彼女たちの白いチュニックは、引き裂かれていた。森の木々のいっぱいある枝が、彼女たちの肌を切っていた。なのに、そんなことに気づいてもいないかのように、全く疲れも知らないかのように、恐れなど何もないかのように、彼女たちは語る。

「私たち、あなたたちを追ってきたのです。あなたたちが行くところならば、どこにでも私たちはついて行きます。あなたたちが危険にさらされるのならば、私たちもまたその危険に立ち向かいます。もし、死が襲ってくるのならば、いっしょに死んでも構いません。あなたたちは、地獄に落ちることを宣告されています。あなたたちが地獄に行くのならば、私たちもいっしょです」と、彼女たちは言う。

彼女たちは、じっと我々を見つめている。声は低く落ち着いている。彼女たちの声には、苦渋の響きもなければ、元気を装っているようなこれ見よがしの勝ち誇った響きもない。

「あなたたちの目は、炎のようです。でも、私たちの兄弟たちの目には、希望もなければ炎もない。あなたの口元は、花崗岩から切り取られたかのような強さがありますが、彼らの口元は軟弱で卑屈です。あなたたちの頭は高く掲げられているのに、私たちの兄弟たちはすぐにへつらいぺこぺこする。あなたたちは歩くのに、彼らは這いつくばる。私たちは、あなたたちといっしょに破滅したいのです。あの私たちの兄弟たちとともに祝福されるより、その方が私たちにはいいのです。私たちとともに、あなたたちのしたいことをなさって下さい。でも、私たちをここから追い払わないで。あなたたちから遠ざけるようなことは、しないで」

彼女たちは跪く。我々の前に金色の頭をたれる。

我々は、自分たちが何をしたのか意識できずに、<金色のひと>を立ち上がらせる。彼女たちの体に触れたときだった。狂気が我々を襲ったのだろうか、我々は彼女たちの体を掴み、自分たちの唇を彼女たちのそれの上に重ねる。<金色のひと>は一度吐息をもらしたが、それはうめき声でもある。彼女たちの両腕が我々の体をしっかり抱きしめる。

我々は、長い間、そのままいっしょに抱き合っていた。二一年間生きてきて、こんな悦びが人間には可能であるとは、知らなかった。そのことが我々を震撼とさせる。

それから。やっと我々は言う。

「ああ愛しい人。森のことなど何も恐れないで。我々だけならば、危険は何もないよ。もう我らが兄弟たちなんて必要ない。あいつらの言う善とか、あいつらの言う邪悪とか、もう忘れよう。我々がいっしょにいるということ以外は、我々と君たちの間に絆があるということ以外は、みんな忘れよう。手を貸して。上を見てごらん。<金色の人>よ、ここは我々の世界だ。不思議な知られざる世界だけど、我々の自身の世界だ」

それから、我々は、手に手をとって、さらに森の奥深く進む。

その晩、我々は知った。自分たちの腕の中に、女たちの体を抱くことは、醜いことでもないし恥ずべきことでもなく、人間という種に当然許された歓喜だと。

我々は、何日もの間、歩いた。この森は果てることがない。我々も、森が終わるのを求めているわけではない。我々と<都>の間にある日々の連続に付け加えられる一日は、そのつど祝福が付け加えられるようなものだった。

我々は、一本の弓と何本かの矢を作った。食料として必要な数以上の鳥が、これで確保できる。森で、泉や果物も発見できる。夜になると、木や下草がなく開拓地のように開けた土地を選んで、その周囲に火の輪を作る。その火の輪の真ん中で、我々は眠る。だから野獣たちは我々を襲うことができない。野獣の目が、石炭のように緑色や黄色をした目が、我々を向こうの木々の枝から凝視している。輪になった火は、我々を囲む宝石の王冠のようにいぶり、煙を出す。その煙が、月光に照らされて青い何本かの柱の形となって、空中にとどまる。我々は、その輪の真ん中で眠る。<金色のひと>の両腕は、我々の体に巻きついている。彼女たちの頭は、我々の胸の上にある。

いつか、我々は探検をやめて、家を建てるだろう。もう十分に遠くまで来たと判断したときだ。しかし、まだ急ぐことはない。我々の前にある日々に終わりはない。この森のように果てることがない。

我々には、我々が見出したこの新しい生活が、ほんとうには理解できていない。ただ、この新生活は、きわめて明瞭で、きわめて素朴に思える。いろいろな疑問が我々を悩ますようになると、我々は歩く速度を速めて、後を振り返って、我々の後についてくる<金色のひと>を見つめる。すると、すべてのことを忘れる。彼女たちが行く手をさえぎる枝を押し開けて進むとき、葉の影が彼女たちの腕の上に落ちる。しかし、彼女たちの肩は太陽に照らされている。彼女たちの腕の肌は、木々の枝の葉の色を映して青い霞色だ、しかし、肩は白く輝いている。光が頭上の太陽から注いでいるから白く輝いているのではなく、彼女たちの肌の内側から光が放射されているから白く輝いているようなのだ。我々は、彼女たちの肩に落ちた葉っぱを見つめる。その葉は、彼女たちの首が曲線を作るあたりにとどまっている。葉の上の露が、宝石のように、彼女たちの首のあたりで輝き、きらめく。彼女たちは我々に近寄ってきて、立ち止まる。そして声をたてて笑う。我々が考えていることがわかるのだ。彼女たちは、じっと従順に待っている。問いかけることなどしない。我々がまた前方を振り向いて、前に進む気になるまで、待っている。

我々は前進する。足の下の大地を祝福する。黙って歩いていると、また数々の疑問が心にわいてくる。我々が見出したものが、孤独という破滅なのならば、ならば、その破滅以外に人間が望むものなどあるのだろうか?この至福以外に、何を望むのだろうか?これが、ひとりでいるという大きな邪悪なのならば、いったい何が善で、何が邪悪なのか?

多数から生まれるものならば、何でも善である。ひとりから生まれるものは、何でも悪である。我々は、この世に生まれて最初の呼吸をしたときから、そう教えられてきた。我々は、その法則を犯してしまったが、それそのものの是非を疑ったことは一度もなかった。しかし、今は、この森を歩きながら、我々はだんだんと、その教えを疑い始めている。

兄弟みんな、同胞たちのために役立つ苦労をすること以外の人生は、人間にはありえない。でも、我らが兄弟たちのために我々が努力していたとき、我々は生きていなかったといえる。そうしても、ただ疲れるだけだった。兄弟たちと分け合える喜び以外に、人間には喜びがない。でも、我々に喜びを教えてくれたのは、我々があの針金の中に創造した力であり、<金色のひと>だった。この喜びは、両方とも、我々だけ、我々ひとりだけのものだ。喜びは、我々ひとりの中から生まれるのだ。他の兄弟たちなど関係がない。我々が得た喜びは、どんな観点から見ても、我らが兄弟とは関わりがない。だから、我々は考えあぐねてしまう。

人間というものに関する考え方に、何か間違いがある。ゾッとするような間違いがある。その間違いとは何だろうか?我々にはわからない。しかし、ある認識が、我々の内部でうごめいている。生まれ出ようとして苦しんでいる。

今日、<金色のひと>が突然に立ち止まって、言った。

「私たちは、あなたたちを愛しています」

しかし、そのとき彼女たちは眉をひそめて、頭を振り、絶望的なまなざしで、我々を見つめた。

「いいえ、私たちが言いたいことは、そんなことじゃない」と、彼女たちは小さな声で言う。

それから、彼女たちは黙っていた。しばらくして、やっと彼女たちは、ゆっくりと語りだす。彼女たちの言葉は、たどたどしく、初めて話すことを学んでいる子どもの言葉のようだ。

「私たちは、ひとり・・・ひとりだけ・・・かけがえのないひとり・・・そして、私たちは、ひとりであるあなたたちを愛している・・・ひとりのあなたたち・・・かけがえのない」

我々はお互いの目を見つめる。そのとき、奇跡のような吐息が我々に触れ、飛び去り、身を寄せ合ったままの我々を空しく置き去りにした。そのことが、我々と<金色のひと>には感じられた。

我々は、見つけることのできないある言葉を求めて、我々の心が引き裂かれたように感じた。

第十章

我々は、テーブルについている。何千年も前に作られた紙の上に、今こうやって書き記している。明かりは薄暗い。<金色のひと>の姿がよく見えない。古い大昔の寝台の枕の上に一房の金色の髪がかかっている。ここは、我々の家だ。

今日、夜明け頃に、我々はこの場所に出くわした。何日もの間、我々は切れ目なくつながっている山々を渡ってきた。実は、我々が入り込み進んで来た森は、いくつかの崖の間にうっそうと立ちがっていたのだ。草ひとつはえていない岩の野が広がったあたりに出ると、いつでも我々の目前には大きな峰があった。西の方角にも北の方にも南の方にも、我々の目が届く限り、あちこちに大きな峰が見えた。峰はどれも赤く茶色で、それらの上部は緑色の小川のような森を抱き、その森にはヴェールのように青い霞がかかっていた。こんな山々のことなど、我々は聞いたことがなかった。地図でも見たことがなかった。<未知なる森>は、あちこちの<都>とその住人たちから、これらの峰を守っていたのだ。

我々は、野生のヤギでさえ行こうとはしないような険しい道を登った。石が足元から崩れ落ち、その落石が山の斜面の下方にある岩にぶつかり、さらにもっと奈落へと落ちていく音を聞きながら、登った。山々は、落石が岩にぶつかる度にこだました。落石が岩にぶつかる音が聞こえなくなっても、こだまだけは長く残った。それでも、我々は登った。ここならば、誰も我々の追跡などできないし我々を捕まえることもできないとわかっていたから、登った。

それから、とうとう、夜明け頃に、我々は木々の間に白い炎を見たのだ。目前の険しい峰より高いあたりだ。最初、それは炎に見えたので、我々は立ち止まってしまった。しかし、その炎は動かない。なのに、液体状の金属のようにまぶしいのだ。その白い炎に向かって、我々は岩の間を登った。登った先には、広々と開けた頂上があった。背後にはいくつかの山々がそびえている。そこに一軒の家が立っていた。見たこともないような家だ。白い火と見えたものは、その家の窓ガラスが太陽に反射していたのだった。

その家は二階建てで、屋根は床のように平坦で見慣れない形をしていた。その家の壁ほど窓が多い壁というものはなかった。正面の壁にいっぱいある窓は、そのまま角を回り、側面の壁へと続いているのだった。といっても、こんな壁で、どうやってこの家が立っていられるのか、我々には想像もつかなかった。その壁は強固だが滑らかだった。例の地下のトンネルの中で見た、普通の石ではないような石でできていた。

言葉に出さなかったけれども、我々と<金色のひと>は両方ともわかっていた。この家は、<語られざる時代>の遺物なのだ。周囲の木々が、時間と風雪と、時間や風雪よりも容赦ない人間たちから、この家を守ってきたのだ。我々は、<金色のひと>の方を振り返って、訊ねた。

「怖い?」

しかし、彼女たちは頭を振った。だから、我々と<金色のひと>は、扉まで進み、思い切って扉をさっと開けた。その<語られざる時代>の家の中に、いっしょに足を踏み入れた。

この家の中にある様々な事物について学び理解するのに、まだまだ何日も何年もかかるだろう。今日のところは、見て、自分たちの目に映った光景を信じることぐらいしかできない。我々は、まず窓を閉ざしていた重いカーテンを開いた。室内が明るくなったので、その家の各部屋は狭いとわかった。ここでは、せいぜい一二人以下の人間しか住めなかったろう。たった一二人用の住居を建てることを許されたなんて、奇妙なことだと、思った。

それにしても、そんなに光でいっぱいの部屋など、我々はついぞ眼にしたことがなかった。その太陽の光線は、様々な色、いっぱいの色、こんなに多種多様な色がありえるのだろうかと思う以上の沢山の色の上で踊っていた。我々は、それまで白い家と茶色の家と灰色の家以外の色の家を見たことはなかった。壁には、大きなガラスの破片がいくつかはめられていたのだが、それはガラスではなかった。我々がそのガラスを見上げたら、そこに我々自身の体と、我々の背後にある物の全部が見えたのだ。まるで、湖の表面に映っているような具合に。我々が今まで見たこともなくて、その使い方もわからないようなものもいっぱいあった。それから、どこにでも、どんな部屋にも、ガラスの球があった。中に金属の蜘蛛の巣のようなものが入っているガラスの球だ。我々が、あの例のトンネルで見たことがあるものに似ている。

睡眠広間を見つけたが、入り口のところで、びっくりして我々は立ちつくしてしまった。その寝室は実に実に狭いのだ。なんと、寝台がふたつしか置かれていないのだから。家の中には、他に寝台はひとつもない。だから、この家にはかつてふたりの人間しか住んでいなかったということがわかる。これは、理解を超えることだ。いったいどんな世界だったのだろうか?<語られざる時代>の人々が生きた世界とは、我々には想像もつかない。

我々は衣装も見つけた。<金色のひと>は、それを見て息をとめた。それらの衣装は、白いチュニックでも白いトーガでもなく、豊かな色彩でできあがっていたからだ。そして、それぞれの衣装は、どれひとつとして同じものはなかった。我々が触れると、崩れてボロボロになってしまった薄い衣装もあったが、もっと重くて厚い生地でできた衣装もあった。それらの生地は、触ると柔らかく、我々が見たこともないものだ。

床から天井までいっぱいの棚で構成された壁を持つ部屋もあった。その棚には、写本が列をつくって並んでいる。見たことがないほどの大量の写本だ。見たことがないほど不思議な形をした写本だ。それらの写本は、柔らかくもなく、巻物にもなっていない。それら写本は、布と革でできた硬い殻でおおわれている。各ページに書かれている字は、やたら小さくて、なおかつ、その小ささも均一で、字のサイズにばらつきがない。こんな手書きができる人間がいるのだろうかと、我々は驚嘆した。写本のページをぱらぱらと繰って文字を眺めてみた。写本は我々と同じ言語で書かれている。しかし、我々には理解できない単語もたくさん見受けられる。明日は、これらの写本を読み始めてみるとしよう。

その家の内部を全部見終わったとき、我々は<金色のひと>を見つめた。ふたりとも、互いの心の中にある思いが理解できた。  

我々は言った。「この家から離れないことにしよう。この家を奪われないようにしよう。ここは、我々の家だ。もう旅は終わりにしよう。ここは、君の家だよ、<金色のひと>。そして我々の家でもある。この家は、他の誰のものでもない。この大地が広がる限り、どこに住んでいる人間にも、この家は渡さない。我々は、他の人々とこの家を共有することはしない。我々は、他の人々と我々自身の喜びや、愛や、空腹を共有することはない。それと同じことだ。だから、我々が生きる最後の日まで、そのようにする」

「あなたたちの意志は実行されることでしょう」と、彼女たちは応えた。

しばらくして、我々は我々のものになった家の大きな暖炉にくべる焚き木集めに出かけた。窓の下方に木々を縫って流れていた小川から水も運び込んだ。一匹の野生のヤギを殺して、その肉を運び、料理した。この家の厨房に違いなかった驚くべきものがいっぱい備えつけられた場所で見つけた奇妙な銅の鍋で、料理した。

我々は、この作業を我々ひとりだけで行った。なぜならば、我々が何を言っても、<金色のひと>をガラスではない例の大きなガラスの前から離すことができなかったから。彼女たちは、そのガラスの前に立ち、そこに映った自分たちの姿をまじまじと見つめていた。ひたすら見つめていた。

山々の向こうに太陽が沈むと、<金色のひと>は床の上で眠り込んでしまった。クリスタルでできた宝石だのビンだの、絹の花々のような衣装の山の間で、眠り込んでしまった。我々は両腕の中に<金色のひと>を抱きかかえて、寝室まで運ぶ。彼女たちの頭は我々の肩の上にだらりともたれかかっている。それから、我々は一本の蝋燭に火をつけて、写本でいっぱいの部屋から紙を持ってきて、窓辺に座る。今夜は眠れそうにもないと、わかっていたから。

さて、今、我々は大地と空を眺めている。むきだしの岩と沢山の峰と月光の荒野は、まるでこの世に生まれる準備をしている世界のようだ。誕生を待つ世界だ。その広々とした風景は、我々に合図をしてくれとせがんでいるように見える。火花のような合図を、最初の命令を待っているように見える。しかし、どんな言葉をこの光景に命令として与えればいいのか、我々にはわからない。この大地は、どんな行動を目撃することを期待しているのか、我々にはわからない。しかし、それは待っている。それだけは、我々にもわかる。その風景は、我々の前に置くべき素晴らしい贈り物を持っていると、我々に告げているようにも思える。しかし、同時に、我々からの贈り物も欲しがっている。我々は、いつか命令を下す。この風景の目指すべき目標を、この風景に与える。岩と空でできたこの輝く空間に最高の意味を与える。

我々は前方を見る。我々は自らの心に懇願する。声にはならないが、確かに我々の耳に聞こえたこの自然の呼びかけに答えることができるように我々を導いてくれと、懇願する。我々は両の手を見る。何世紀にも渡る埃が目に入る。偉大な秘密も、それから多分、偉大な邪悪も、すべて隠すこの埃。しかし、この埃が、我々の心の中の恐怖をかき立てることはない。ただ、無言の畏敬と憐憫が心にわきあがるだけだ。

知識よ、我々に来たれ!我々の心が理解したのに、我々の目にはっきり明示されないその秘密とは何だろうか。今にも我々にその秘密を告げようともがいているのだろうか。我々の目前に広がる岩と空の空間は、胸の鼓動のように鳴り響いているようだ。

第十一章

我あり。我思う。我は望む。

わたしの手・・・わたしの魂・・・わたしの空・・・わたしの森・・・わたしのものであるこの大地・・・

この上、何をわたしは言わなければならないだろか。これが言葉なのだ。これが答えなのだ。

今、わたしは山の頂の上に立っている。頭を挙げて、両腕を広げる。これだ、わたしの体に、わたしの魂、これが、探求の目的なのだ。わたしは、物事の意味を知りたかった。わたしがこの世に存在しているということの正当性を保証するものを見つけたかった。でも、今のわたしは、わたしの存在を保証してくれるものなど必要ない。わたしの存在を是認する言葉など必要ではない。わたしが、その保証だ。その是認だ。

物事を見ているのは、わたしの眼だ。わたしの眼の視力がこの地上の美しさを認める。聞くのは、わたしの耳だ。わたしの耳の聴力が、世界に歌を与えるのだ。考えるのは、わたしの脳だ。わたしの脳の判断が、真実を見つけることができる唯一のサーチライトだ。選択するのは、わたしの意志だ。わたしの意志の選択が、わたしが尊敬できる唯一の命令だ。

多くの言葉がわたしに譲渡されてきた。賢明な言葉もあれば、誤った言葉もある。しかし、ただ三語だけは聖なるものである。「わたしは・それを・望む!」

どの道をわたしが行こうと、わたしを導く星は、わたしの中にある。道案内の星と道を指し示す天然磁石は、このわたしの中にある。このふたつは方向を指し示すが、いつもひとつの方向しか示さない。それらは、わたしを指し示すのだ。

わたしが立っているこの大地が、宇宙の中核なのか、もしくは永遠の中に埋没した小さなしみのような塵芥なのか、わたしにはわからない。わからないし、気にもしない。なぜならば、どんな幸福がこの地上においてわたしに可能なのかは、わかっているから。わたしの幸福には、わたしの幸福を立証するもっと高次な目的など必要がない。わたしの幸福は、何らかの最終地点へ達する手段ではない。それそのものが最終地点なのだ。それそのものが、それ自身の目標なのだ。それが、それ自身の目的なのだ。

わたしは、他の誰かが達成したいと思っている目標への手段でもない。わたしは、他人が使用する道具ではない。わたしは、他人の要求を満たす召使ではない。わたしは、他人の傷を巻く包帯ではない。わたしは、他人の祭壇に捧げられる生贄(いけにえ)ではない。

わたしは人間だ。わたしがもつこの奇跡とは、所有すべき保持すべきわたしのものであり、守るべきわたしのものであり、活用すべきわたしのものであり、そのまえに跪くべきわたしのものである。

わたしは、わたしの宝物を他人に降参して譲ることなどしない。共有することもしない。わたしの精神という財産は、吹き飛ばされて真鍮の貨幣になって貧しい人々のための義捐金(ぎえんきん)になどにならない。わたしは、わたしの宝物であるわたしの思想や、わたしの意志や、私の自由を守る。これらの宝物の中で最高のものは、自由である。

わたしは、わたしの兄弟たちに何も負ってはいない。彼らから借金をして金をかき集めたこともない。わたしは、わたしのために生きてくれと、他人に頼んだりしないし、他人のために生きることもしない。わたしは、誰の魂も欲しくないし、わたしの魂は、他人が欲しがるためにあるのではない。

わたしは、わたしの兄弟たちの敵でもないし、友でもない。しかし、わたしの敵であれ友であれ、その敵意にふさわしい、または好意にふさわしい何かをわたしから得ることはできる。しかし、わたしの愛を獲得するためには、わたしの兄弟たちは、彼らが生まれたときの状態より以上の存在になっていなければならない。わたしは理由もなく、わたしの愛を与えない。わたしの愛をくれと主張したがる通りすがりの者に、そんな機会は与えない。わたしは、わたしの愛で人々に栄誉を授ける。しかし、その愛は、努力で獲得されるべきものなのだ。

わたしは、人々の中からわたしの友を選ぶ。わたしは、友を選ぶのであって、奴隷や主人を選ぶのではない。わたしは、わたしの心にかなう友を選び、その友を愛し尊敬する。友に命令したり、従ったりはしない。お互いにそれを望むときには、互いの手を取り、ときにはひとりで歩く。なぜならば、人間は、自らの精神の殿堂においては、ひとりだから。それぞれの人間が、自らの殿堂を侵されず汚されないように保持することができるようにしよう。その人間が望むときに、他の人間と手をつなぐことを許そう。しかし、そんなときでも、その人間の聖なる殿堂の入り口を踏み越えることはしないでおこう。

自らの選択によるものと、再考したうえでのことでなければ、<我々>という言葉は、語られてはいけない。この言葉を、ひとりの人間の魂の中に最初に置かれては絶対にいけないのだ。そんなことになれば、<我々>という言葉は、怪物になる。この地上のすべての悪の根源となる。多数の人間がひとりの人間を迫害する原因となる。口に出して告発もできない虚偽となる。

<我々>という言葉は、人々の上に降り注ぐ石灰のようなものだ。それは積り積もって固まり、石となり、その下にあるものをすべて打ち砕く。白いものも、黒いものも、石灰の灰色のなかに等しく失われてしまう。<我々>という言葉によって堕落した人々は、善良なる人々の美徳を盗む。弱者は強者の力を盗む。愚劣なる人々は、賢者の知恵を盗む。<我々>という言葉は、そういう言葉なのだ。

すべての人間の手が、たとえば決して清浄とはいえない人々の手でも、触れることができるような、私の喜びとは何なのだろうか?愚劣なる人々でさえ、わたしに命令できるとしたら、いったいわたしの知恵とは何だろうか?すべての生き物が、たとえ出来損ないの人々、無能なる人々でさえ、わたしの主人であるとするのならば、わたしの自由とはいったい何だろうか?もし、わたしが頭を下げ、同意し、従うだけしかしないのならば、いったいわたしの人生とは何だろうか?

しかし、わたしは、この腐敗の信条によって育てられてしまった。

わたしは、<我々>という怪物によって形成されてきた。奴隷の言葉、略奪者の言葉、悲惨さと虚偽と恥辱の言葉である<我々>によって、わたしは作られてしまった。

そして、やっと今、わたしは、神の顔が見える。わたしは、この神を地上より高く掲げる。この神は、人間が存在して以来、求めてきたものだ。この神は、人間に喜びと平安と誇りを与える。

この神とは、このひとつの言葉。

<わたし>

第十二章

わたしは、<わたし>という言葉に出会った。わたしの新居となった家で見つけた書物の冒頭を読んでみたら、その言葉が書かれていたのだ。この言葉の意味を理解したとき、わたしは思わず、その書物を手から落としてしまった。わたしは泣いた。涙を流すことなど知らなかったわたしだったのに、声を出して泣いた。桎梏(しっこく)のもとにある人類の解放を思い、人類が可哀想で、わたしは泣いた。

わたしが、かつてわたしの呪いと呼んだものは祝福すべきものなのだと、やっとわかった。なぜ、わたしの中の最上のものがわたしの罪であったのか、やっとわかった。といっても、わたしは、その自分の罪を罪とは感じられなかったのだが、その理由も今はわかる。何世紀にも渡る鎖と鞭でさえ、人間の魂を殺すことはできないし、人間の中にある真実を感じる心を抹殺することもできやしない。

何日もの間、わたしは多くの書物を読んだ。読み終わってから、わたしは<金色のひと>を呼んだ。わたしは、自分が読み学んだことを、彼女に話した。聞き終わって、彼女はわたしを見つめた。彼女が発した最初の言葉は、こうだった。

「わたしは、あなたを愛しています」

そのとき、わたしは言った。

「ねえ、わたしの愛しい人、人間に名前がないのはおかしいんだ。それぞれの人間が、他人と自分を区別する自分自身の名前を所有していた時代が、かつてあったんだ。だから、わたしたちも自分の名前を選ぼうよ。何千年も前に生きていたある人間のことを、わたしは読んだ。ここにある本に沢山の名前が書かれていたけれども、わたしは、その人間の名前を自分のものにしたい。彼は、神々の光を奪って、人類にもたらした。彼は、人間たちに、自らが神々になることを教えた。そのために、彼は苦しむ羽目になった。人類にとって光となるようなものをもたらした人間は、すべからく迫害にあったものだけれど、彼もそうだった。彼の名前は、プロメテウス」

「では、それがあなたのお名前だわ」と、<金色のひと>は言った。

わたしは、さらに言った。「わたしは、ある女神についても読んだ。その女神は、大地の母であり、すべて神々の母でもある。彼女の名前は、ガイア。ねえ、<金色のひと>、これを君の名前にしよう。だって、君は新しい神々の母になるのだから」

「ガイアがわたしの名前」と、<金色のひと>が言った。

今、わたしは前方を見つめている。わたしの未来は、わたしの前に開けている。あの火あぶりになった<聖者>は、わたしを彼の後継者に選んだとき、この未来が見えていたのだ。あの聖者は、彼の前にこの世に生き、同じ大義のために死んだ聖人となり殉教者となった人々の後継者として、わたしを選んだのだ。同じ大義のため、同じ言葉のために死んだ人々の後継者として、わたしを選んだのだ。どんな呼び方をするにせよ、彼らの大義と彼らの真実を託したその言葉のために、彼らは死んだ。わたしは、彼の後継者として選ばれたのだ。

わたしは、ここに住む。このわたし自身の家に住む。わたしは、わたし自身の手の労苦によって大地から獲得した食物を取る。わたしは、わたしのものとなった書物から、幾多の秘密を学ぶ。これから何年もかかるだろうけれども、わたしは、過去の人類の達成したことを構築しなおしていく。そして、それらをさらに先へ未来へと運んでいく。わたしに開かれるであろう様々な業績を、わたしの兄弟たちには永遠に閉ざされてしまっている業績を、未来に運んでいく。兄弟たちの頭脳は、彼らの中でも最も弱く、最も愚鈍な人々に、拘束されているのだから、その業績を手にすることはできないのだ。

わたしは、すでに学んだ。わたしが探ったあの空の力は、すでにはるか昔から人類には知られていたものだったということを。人類は、それを<電力>と呼んだのだ。<電力>とは、人類の最大の発明物を動かす力だったのだ。それは、この家を、壁についているガラスの球から発する光で照らしたのだ。この光を生み出すエンジンも、わたしは発見した。いつか、それを修理してみせる。また再び動かせる方法も学んでみせる。この力を運ぶ針金の使い方も勉強する。それから、わたしの家の周りに、この力を伝える針金の障壁を作り、わたしの家に通じる道に渡すのだ。花崗岩の壁よりも突破するのが困難な、蜘蛛の巣のような障壁光を作ってみせる。わたしの兄弟たちが渡ることができないような障壁を造ってみせる。そうなると、彼らには、わたしと戦う術などありはしない。彼らには、頭数が多いという野蛮な力しか持ち合わせがないのだから。わたしには、わたしの頭脳があるのだから。

それが終わったら、そう、ここ、この山の頂上で、眼下に世界を見下ろしながら、太陽しか頭上に頂かずに、わたしはわたし自身の真実を生きることにしよう。ガイアは、今、わたしの子どもを身ごもっている。わたしたちの息子は、ひとりの人間として育てられる。彼は、<わたし>と自分を言うことを教えられ。その言葉に誇りを持つよう教えられる。彼は、まっすぐに歩くこと、自分の足で歩くことを教えられる彼は、自分自身の魂への畏敬の念を教えられる。

いつかすべての書物を読み終わり、わたしが生きる新しい道を学んだら、わたしの家に備えができて、わたしの大地が十分に耕かされたら、そうなったら、わたしは、ある日、忍んで行こう。これが最後と思い定めて、わたしが生まれたあの呪われた<都>に忍んで行こう。<国際四の八八一八号>以外の名を持たない友を、わけもなく泣き叫ぶ<友愛九の六三四七号>のような人々みんなを、夜になると助けを求める<連帯九の六三四七>を、その他の少数の人々を、わたしの地に呼ぼう。心の奥にある魂が抹殺されていない男や女たちみんなを、彼らや彼女たちの兄弟の頸木(くびき)のもとで苦しむ人々みんなを、わたしの地に呼ぼう。彼らや彼女たちは、わたしについて来るだろう。わたしは、彼らや彼女たちを、わたしの砦に連れてくるのだ。それから、ここで、この<未知なる荒野>で、わたしと彼らや彼女たち、わたしの選んだ友人たち、わたしの同士となる建設者たちは、人類の新しい歴史に最初の章を書き記すことになる。

わたしの未来には、なすべきことがいっぱいある。わたしは、ここ栄誉の戸口に立ちながら、過ぎた日々を振り返る。しかし振り返るのもこれが最後だ。わたしが書物から学んだ人類の歴史を概観して、わたしは不思議に思う。人類の歴史は長い。人類の歴史を動かした精神は、人間の自由の精神だ。しかし、自由とは何か?何からの自由か?ひとりの人間から、その人間の自由を奪えるものなど何もない。その人間以外の多数の人間だけが、その人間個人の自由を奪うのだ。だから、自由であるためには、人間は同胞たちから自由でなければいけない。それが自由だ。これが自由である。それ以外の何ものでもない。

歴史の始まりにおいて、人間は神々の奴隷だった。しかし、人間は神々の鎖を破りはずした。それから、人間は王たちの奴隷となった。しかし、人間は王政の鎖もはずした。今度は、人間は、生まれや親類縁者や人種の奴隷となった。しかし、その鎖もはずした。人間は、同胞たちに宣言したのだ。ひとりの人間には、神も王も他人も-----その他人の数がどれほど多くとも------取り上げることができない権利があると。ひとりの人間の権利こそ、人類の権利だ。この権利以外の権利など、この地上にはない。人類は、自由の出発点に立っていたのだ。その自由こそ求めて、人類は、何世紀にも渡って血を流してきたのだ。

しかし、なのに、人類は、人類がやっと獲得したものすべてを放棄してしまった。そして、人類の起源たる野蛮な状態よりも低劣な状況に陥ってしまったのだ。

いったい、何がそんなことを許したのか?人類から理性を奪い取るような、どんな災害があったのか?恥辱と屈従に人類を跪かせるような、どんな鞭が振り下ろされたのか?その災害とは、その鞭とは、<我々>という言葉を崇拝するという行為だ。

人々が、そんな崇拝を受け容れてしまったときに、何世紀にも渡って構築された世界の仕組みが、崩壊してしまった。その仕組みのそれぞれの梁(はり)は、あるひとりの人間の思考から生まれた。時代を下るごとに、その時代の誰かひとりの人間の思考から生まれた。ひとりの人間の精神から、その精神それ自身のため以外には存在しなかったそのような精神の深いところから、世界を構築するひとつひとつの梁が生まれた。それらの梁がすべて崩壊してしまったのだ。その崩壊を生き残った人々は、自分自身たちの正当性を立証する何物も持たないので、やたら従属したがり、やたら他人のために生きたがってしまったので、自分たちが先人から受け取ったものを未来に伝えることも、保持することもできなかったのだ。かくして、すべての思想、すべての科学、すべての知恵が、この地上から消滅した。かくして、人々は、大勢の頭数があるということしか提供するものがない人々は、鉄鋼製の塔を失い、空飛ぶ船を失い、動力を生み出す針金を失い、彼らが創造したわけではなく、維持することも決してできなかったすべての事物を失った。おそらく、時代が下ってから、失われた事物を復活させるだけの頭脳と勇気を持った人々も生まれたし、おそらく<学識びと協議会>の水準より更に前進した人々もいたに違いない。しかし、彼らは、わたしが、あの<学識びと世界協議会>で受けたのと同じ対応をされたに違いない。そんな対応を受けた理由も、わたしのときと同じだったに違いない。

しかし、わたしは、そんなことがありえたのかと、まだ不思議でならない。はるか昔の、崩壊から今のような時代に至る過渡期である野蛮な時代でさえ、それがわからなかったのだろうか?そんな愚かなことがありえたということが、わたしには不思議でならない。彼らは、自分たちがどんな状態になりつつあるのか、わからなかった。かつ先を見る眼のなさや臆病さのために、それにふさわしい運命に至ってしまったのだが、それすらも彼ら自身では理解できなかった。そんなことが、ありえるのだろうか?<わたし>という言葉を知っている人間ならば、人類が獲得してきたものを諦めることなど、どうやってできるのか?または自分たちが失ったものの価値がわからないなどということが、どうしてありえるのか?そんなことは、わたしには想像もつかない。しかし、確かに、それは実際に起きたのだ。わたし自身が、現にあのひどい人々の住む<都>に住んでいたではないか。人類が、どんな恐怖が自らの身にもたらされることを許してしまったのか、今のわたしは知っているではないか。

おそらく、過渡期の当時、明晰な洞察と清浄な魂を持った少数の人間もいたに違いない。彼らは、あの言葉<わたし>を放棄することを拒否したに違いない。来たりつつある、彼らが止めることができない事態を前にした彼らの苦しみはいかほどのものであったろうか!多分、彼らは抵抗し警告して大声で叫んだのだが、人々は彼らの警告には耳を貸さなかったのだろう。そして彼ら少数の人間は、望みのない戦闘を戦った。そして彼ら自身の血で染まった旗印とともに滅びた。いや、滅びることを選んだのだろう。なぜならば、彼らにはどんな時代が来るのか、よくわかっていたから。わたしは、何世紀も越えて彼らに敬礼と挙手を送る。彼らを悼む心とともに。

しかし、彼らが掲げて闘った旗印は、今やわたしの手の中にある。彼らの心の絶望は、それだけで終わったわけではないし、彼らの夜は希望のないままではなかったのだと、彼らに告げる力がわたしにあればいいのに。彼らが敗北した戦闘が、また敗北に終わることなど断じてありえない。彼らが死を賭けて救おうとしたものは、断じて滅びることはない。ありえないのだ。闇を超えて、人類が耐えられる屈辱を超えて、人間の精神はこの地上に生き続ける。それはときに眠ることはあるかもしれないが、いずれ必ず覚醒する。それは鎖をかけられるかもしれないが、必ず脱出する。人間は前進する。人類全体ではなく、個々の人間は前進して行く。

ここ、この山の頂に立ち、わたしとわたしの息子たちとわたしが選んだ友人たちは、わたしたちの新しい国を、要塞を築き上げる。それは、この大地の中心となる。最初のうちは、姿を消したり隠したりしていても、いずれその新しい国の鼓動は日を追って大きな響きをとどろかせる。その言葉、<わたし>は、この大地のすみずみまで浸透する。世界中の道路という道路は、この世界の最良の血液をわたしの国の戸口に運ぶ動脈となる。わたしの兄弟たちと、わたしの兄弟たちの<協議会>も、いずれその言葉を耳にする。しかし、わたしに抵抗しようにも彼らは非力で無能だ。わたしが、この地上のすべての鎖を破る日がやって来る。奴隷化された人々たちでできた街や都市を倒壊させる日がやって来る。そのとき、わたしの家は、世界の首都になる。それぞれ個人の人間が、自由に自分自身のために存在できる世界の首都になる。

その日が来るのを願い、わたしは戦う。わたしとわたしの息子たちとわたしの選んだ友は、戦う。個人の人間の自由のために戦う。個人の人間の諸権利のために戦う。個人の人間の人生のために戦う。個人の人間の名誉のために戦う。

わたしは、ここわたしの要塞の門の石に、わたしの指針であり旗印である言葉を刻み込む。万が一、わたしたちが戦闘で死んだとしても、それ自体は決して滅びることのない言葉を刻み込む。この地上で死滅することなどありえない言葉を刻み込む。なぜならば、その言葉は、この地上の中心であり、意味であり、栄光であるのだから。

聖なる言葉。

自我(エゴ)

『アンセム』 完



オザケンの兄は小澤 淳というらしい。

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