見出し画像

FE風花雪月雑記 ~全ルート感想・考察~

いったん全ルートクリアして、いろいろ考えたので書き連ねてみます。

プレイ概要

こんな感じでクリアしたので、基本的には青獅子っ子です。

青獅子ノーマル

煤闇ノーマル

金鹿ハード

銀雪ハード

紅花ルナ

青獅子ルナ(引き継ぎなし)

銀雪ルナ 教職員メイン

金鹿ルナ 格闘縛り

煤闇ハード

青獅子ルナ 騎兵縛り
青獅子ルナクラ アッシュユーリスリンハルト3人旅
(並行)

特に記載がない限りは、引き継ぎありカジュアルやっております。
幼少期からかれこれ20年以上ゲームやってますが、ここまでハマったのは初めてでした。ファイアーエムブレムは夫が好きなので知ってはいたけど自分でやるのは初めてで、やるごとに自分自身が成長しているのが楽しくもあります。

(プレイ開始からしばらくして、在宅勤務になった影響は大いにあります)

ざっくり感想

やっぱり青獅子が一番さ!
殿下筆頭にみんな割と重たい悩みをもってるんだけど、それらと折り合いつけたりつけなかったりしながら、最後にはみんなで前を向いていくのが大変良いです。
アッシュを除いて幼馴染、親友、従者というかなりかっちり出来上がった関係性がベースにあり、内輪で完結してる感があります。黒鷲も似たような感じだけど、ここまで濃くはない。
クラスの子だけ覚えてればなんとかなるので、最初のプレイにはわかりやすくて良いかなと思いました。

通してプレイすると、級長3人はもっと話し合ったらよかったのに、そうはできない事情と性格というのがもどかしくもドラマチックでした。

紅花と蒼月はそれぞれとても良い結末ですが、過程が結構きついので翠風が一番ストレスなくて素直にゲームとして楽しいかもしれません。

ざーっくり各ルートの感想。

◆黒鷲
(紅花)
これはこれで良い!が、青獅子好きからするとあんまり周回のモチベーションがわかないルート。エンディングは、フェルディアの悲惨さに目を瞑れば、一番理想的だと思う。

(銀雪)
ストーリー的に使用キャラの自由度が高いのが好き。そういう意味では、夜明けの追討戦があるのがちょっと惜しい。平和になったと思ったときのみんなの想いが聞けるのが良い。

◆青獅子
二章は割と重いしつらい展開だけど、何周しても良いルート。ディミトリが妄執から解放されて、クロードと手を取り合えるのがとても嬉しい。他学級の級長と明確に和解できるのはこれしかないしね。
夜明けの追討戦のキャラ出現位置がおかしい。最終マップの難易度がおかしい。それも良い。

◆金鹿
2回目やって、青獅子と並ぶくらい好きになったルート。全体に爽やかで明るく、クロードの安定感と前向きさにとても救われる。学級のみんなも明るくて良い。

何周やっても発見や色々な楽しみ方がありますね。

以下、考察を書いていきますが、最初に書いた時から倍以上のプレイ時間と周回を重ね、いろんな方の考察も見て違う発想も出てきたので大幅に加筆修正をしています。

フォドラの親離れ戦争

この物語=戦争がもたらした成果とは何だったのか?を考えてみます。

◆神の箱庭
まず本編開始時点のフォドラは、レア様を筆頭とするナバテアの民の箱庭のような状態と考えます。

いくつかの先進的な技術は教団により差し止められていることがアビスの書物から伺えますが、他国出身のキャラを見ていても現時点でのフォドラは後進国ではないので、全世界的に手術や望遠鏡、石油の活用はややオーバーテクノロジーと見えます。

一部には地動説が知られているのに一般人の認識は天動説だったり、高度な技術や世の理を知る萌芽がありながら、信仰がそれを放棄させる。

これは、ナバテアの民に対抗すべく先進的な技術、考え方を推進する闇蠢がいるため、必要以上の進歩はしないよう教団側が綱引きをしている状態と考えられます。

現時点では、ほとんどの住人が一つの宗教観を世界の成り立ちそのものとして認識し、自然の営みすべてが神の思し召し、加護であると当たり前に考えていることが台詞の端々からうかがえます。生徒たちは一部を除けばみんなそれなりに敬虔な信徒であり、教団はともかくとして主のことは信じています。

現実の世界でも宗教観の違いは戦争の火種となりますので、特に厳格なセイロス教の考え方は、他国との軋轢を生みやすいものであると考えられます。
事実、パルミラやダスカーとの摩擦は、根底にある宗教観が相互に理解できていないことが遠因であるように見えます。

しかし、人間は自ら成長する生き物ですので、フォドラが成長頭打ちになっている裏で、神の手が届かないフォドラ以外のエリアではコツコツと技術が進歩していきます。遠くを見る技術も、医学で人を治療する技術も進歩していきます。

周囲の国が進歩するのに合わせ、フォドラも変わっていく必要があります。

ナバテアの民は、過去に人類が技術を得た結果として衰退した光景を見ています。その二の舞にはしない、というのが箱庭状態にしている一つの動機といえます。
支配というよりは、導くものとして人類にしかるべき成長を促したい。子を管理していたい親のようなものと考えます。

周りの進歩に合わせて段階的な技術の推進はしていくと思いますが、おそらく人類の自由に歩かせるつもりはないですし、本編でのレア様の厳格さを見るに、当面は信仰を基礎にした管理を続けていくつもりかと思います。
とすると、英雄の遺産や紋章システムは続投、「神懸かりの国」「人外魔境」という外から見たフォドラの姿は変わらないこととなります。

◆「獣」の正体
これはメタな話かもしれませんが、OPムービーのタルティーン会戦と本編時点とで兵士の装備が何も変わっていません。現実の世の中では人類の進歩は軍事的なところから始まることが多く、それと同じと考えた場合、フォドラは1000年間ほぼ進歩していません。

元々相当な進化をしていたものが一度駆逐され(=アガルタの民)、ナバテアの民が新たな人類を育てて約1000年前にほぼ本編と同じところまで進歩。
ネメシス打倒以降は、残った紋章や英雄の遺産を技術の代替にしつつ、発展を差し止めてきた・・と考えられます。
1000年進歩していなくても周りから遅れていないことを踏まえると、ネメシス打倒の時点では周囲の国々よりやや進んだ文明を持っていたのかもしれません。

進歩も停滞もナバテアの民の匙加減ひとつとも言え、アガルタが現人類を「獣」と呼ぶのは、ナバテアの民に飼われたペットということなのかもしれません。

レア様やセテスが人類を庇護すべき愛すべきものと思っているのは本心でしょうが、自分たちを否定されることは想定していません。
子と親は別々の考えを持ち、ときには否定をしながら自立していくものですので、今の教団と人類の関係性が正しいかというと、そうではないように思います。

(この辺がレア様陣営とエーデルガルトのギャップで、管理している側が完全な善意であっても、されている側からすると「理不尽な支配」と思えることは現代の様々な場面でもあります。どちらの言い分が「真実」ということはないのだと思います)

外部の国とのかかわりを考えても、瓶詰めの人外魔境状態で居続けることは好ましくないでしょうから、エーデルガルトの乱は人類独立のためには大切な出来事であったと考えられます。

教団が残るルートであっても、後事を任されたベレトスは人類を「管理」する気はなく、セテスやレア様もその意向に従うはずなので、エンディング以降のフォドラは神の管理と庇護を抜け、人の国として歩んでいくことになると思います。

そのスピードが一番早いのは紅花(エンディング時点で独立)、のんびりなのは青獅子でしょうが、各キャラのエンディングなども含め周辺諸国と仲良くしていくことが示唆されていますので、ときに争いはあったとしても、基本的には各国とともに歩み、進んでいくことになるでしょう。

神の国フォドラが人の国としての一歩を踏み出した。
4ルートに共通する結末はそこかなと思います。

大団円はありえたか?

多分に「そうだったらいいのに」という願望を含みますが、煤闇の章から続いた先は、きっと大団円(に近いもの)だと考えています。

あの時点で女神再誕の儀が終わったところですので、エーデルガルトは行動を開始しているものの決定的な悪事は働いていません。
煤闇の章は8月中に終わっていると思われるので、本人はともかくとして、周りはまだ和解を受け入れられるタイミングと考えられます。

ここでのポイント。

・レア様が死体を長期保存しているやべぇ人だということがわかる
・神器と思われるアイテムで人がラスボス化する
・しかもレア様は以前の事故も見てきたように話す
・エーデルガルトとディミトリがおそらくお互いの素性を知る
・リンハルトとクロードがアビスの書庫を読破する
・6月、8月の課題出撃で教団に疑問を抱く生徒は少なからずいる
・赤き獣戦であれだけ大暴れしてて、他の生徒が気付いてないわけがない

ここまでそろえば、士官学校の生徒から小波のように疑問が広がっていくのではないでしょうか。

ここでディミトリとエーデルガルトの2人が腹を割って話せるかが最重要ですので、果たしていけそうかを考えてみます。

◆エーデルガルトの分水嶺
彼女は今回の計画のために士官学校に入ったのでしょうから、出願より前・・と考えると、1178年頃には計画および準備をしていたでしょうか。本編前年の1179年時点でトマシュ=ソロンが士官学校入りしてモニカが失踪していますので、実はもう計画は「動いていた」といえます。

こちらの年表を見ていると、エーデルガルトが1174年に帝国に戻り、76年にダスカーの悲劇。
タレスがダスカーの悲劇を指して「おぬし(炎帝)が力を得るためにやったこと」と言っていて、エーデルガルトも「私が造り出される過程では、無関係な多くの者の命も奪われていった」と言っているので、実際に炎の紋章を植え付けられたのはそれ以降と考えます。ダスカーの悲劇は、実は何かの実験だったのかもしれません。アランデル公の寄進が途絶えたのは1174年らしいので、王国から連れ戻しに来た前後でタレスになっていたのだと思われます。

エーデルガルトが「完成」したのはダスカー後の1176年~77年頃。その間に女神に絶望し、以降タレスとともに今回の計画を練っていた・・となるでしょうか。

(地下にずっといた可能性はありますね。亡命先から戻ってしばらくしてから姿を消すより、すべてが終わってから「今戻ってきた」態で表に出した方がスムーズですし、蒼月「人の行く道」でのディミエルの会話も別れてからあまり年数経ってないような言い方でしたし)

しかし、こう書くとアガルタはとんだマッチポンプですね。
自分たちでエーデルガルトを傷つけておいて、女神を打倒するなら力を貸す、という。

エーデルガルトの計画は2.3年越しということが分かりましたので、いざ進行中の1180年で軌道修正ができるかどうか・・・は、ディミトリと先生にかかっていそうです。

全くの余談ですが、王国への亡命やダスカー周りについて妄想を広げていくと、11人兄弟のうち(おそらくは紋章持ちという理由で)エーデルガルトが実験の主目的の一人であり、計画を察した本物のアランデル公により王国に亡命。74年にバレて公爵は殺害され、成り済ましたタレスに連れ戻された・・という感じでしょうか。たぶんコルネリアが色々調べていたんでしょうね。

ダスカーで欲しかったのは…被験者の実母の血肉とかでしょうか。
紋章を持っていたであろうランベールが普通に殺されたっぽいところを見ると紋章持ちの身柄や血が欲しかったわけではなさそうですし、その場で大量虐殺をしているので実験台が欲しかったわけでもなさそう。邪魔になりかねない王族はじめ大勢を殺すことで王国と教団を混乱、疲弊させつつ、パトリシアを無傷で確保すること・・が目的だったのかな、と想像します。

◆ディミトリの復讐
彼もまた、勉学以外の目的で士官学校に入学しています。

「復讐を果たすため」と言ってはいますが、本編中の諸々の言動を踏まえると、アランデル公を疑ってはいるものの、エーデルガルトやパトリシアの関与まではないと考えていた様子です。(うっすら、察してはいたでしょうけど)なので、特に誰かを標的にしてきたわけではなく、復讐相手を見極めるために入学してきたと考えられます。

実際、エーデルガルトは直接関与していたわけではないのですが、自身の改造の過程にダスカーの悲劇があったこと、そうして得た力で自分の道を拓こうとしていることから、否定することはできなかったのでしょう。真面目ですね。ディミトリ自身は、そこまで聞けば特にエーデルガルトのせいだとは考えないと思います。

◆分かり合えるか?
まず、ディミトリが引き返せなくなるポイントはルミール村だと思っているので、煤闇終了時点でエーデルガルト本人の口からきちんと真実を話せば、彼は聞くと思います。

これまでにまとめてきた時系列で仮定すると、ダスカーの悲劇がエーデルガルトの意思というわけではないですし、その後にモニカやトマシュを殺していることや自分たちも殺そうとしていたことは、例えばロナート卿を討伐した自分たち(教会)をディミトリ自身が正当化しきれていないので、果たしてどう違うのか、明確な答えは出せないはずです。
エーデルガルトのやってきたことを何もかも認めはしないまでも、基本的には大事に思っている相手なので、尊重する冷静さをこの時点では持っていると思います。

問題はエーデルガルトがちゃんと真実を言えるかですね。
まだ10代なのと、いつ殺されてもおかしくない立場なので仕方ないのですけど、級長3人が妙に大人なせいで話がややこしくなっていると個人的には思っていて、もうちょっと周りを頼ろうよ、と、いや、頼れないからそう振る舞うしかなかったのはわかるんだけどもうちょっと人を信じてみようよ、と思うわけです。(難しいでしょうけど!)

で、じゃあ煤闇の大冒険を経て、エーデルガルトは変わったかというと多分あまり変わっていないんですが、「教会は妄信できない」という周囲との共通言語ができたこと、計画を引き続き続行することが難しくなりそうなことの2点において、再考の余地が生まれます。

エーデルガルトは別に先生や級友たちと協力したくないわけではなくて、できれば味方や理解者は欲しい。でもやろうとしていることがことだし、自分の立場もあって、迂闊に巻き込めない。
彼女の中で大事なのは、まず教会の力を排して人間が人間として自立して生きていくこと。王国勢やナバテアの民を殺すのは計画遂行の手段であり、さらに言えばアガルタ側のニーズに近いといえます。
殺さずに済むなら、エーデルガルト自身が積極的に殺したいわけではないと考えます。(レアだけは、たぶん殺したいんだと思いますが・・)

煤闇で赤きものを倒して灰狼の生徒たちを見送り現実に戻ると、そこには血だらけ傷だらけになった聖堂があり、先生の母親がレア様に長期保存されていたうえに魔獣に飲み込まれたグロテスクな事実がある。
この時点で、今後の身の振り方や学校生活どうしよう、と各自が考えます。
特に級長は国の長として「このままつつながなく士官学校生活を送ることが、みんなの幸せか」を考えるはずですが、おそらくは答えは「否」。
少なくとも、何も問題なし、という判断にはならないはずです。(本編で起きた様々な事件との大きな違いは、レア様自身への信頼が揺らぐことと考えています)

どうしよっかね、という話はするはずで、そのうえでマイクランの討伐に行って彼の魔獣化まで見届けたとなると、益々このまま放ってはおけない空気になるのではないでしょうか。

ディミトリ、エーデルガルトは自分の計画のためにこのまま続行したいでしょうが、クロードがそれを許さなそうですし、変な言い訳をしても逆に腹に何か持ってると自白するようなものです。

とすると、士官学校が普通に続く前提で練っていたエーデルガルトの計画は崩れますので、軌道修正を図らざるを得なくなります。士官学校の生徒でいられるのはどうあってもこのタイミングだけなので、今後の計画はかなり厳しいものになると考えられ、いっそこの場で味方をつけてアガルタと教会を打倒する案が出るのは不自然ではないと考えます。

なお、本編開始時点のコスタスにより級長の誰かが死んでいた場合、その時点で戦争になった可能性があります。しかしそれは前年からトマシュやモニカを仕込んでいたことと矛盾しますし、フレンの誘拐や聖廟・聖墓への侵入など、士官学校にいるゆえのメリットも享受していることを踏まえると戦争したかったわけではなさそうなので、計画の本来の全体像がどういったものだったのかは気になるところです。

◆かくして
煤闇の章を経て、一致団結とはいかずとも「このままのんびり士官学校で過ごすわけにはいかないぞ」となった級長たちと先生。

ここで級長3人の行動原理を振り返ります。
(あくまで私の解釈です)

●エーデルガルト
目的:できる限り最短でセイロス教による支配を終わらせる
許せないこと:セイロス教
●ディミトリ
目的:ダスカーの悲劇の真相究明と復讐
許せないこと:他者(特に弱者)を踏みにじること
●クロード
目的:民族や生まれによる隔てのない世界にしたい
許せないこと:偏見

許せない線を超えないようにしつつ、目的が達成できればこの3人は協力できます。

まず、クロードの目的はエーデルガルトの目的クリアが通過点のひとつになります。利害は一致していますし、許せないことも特に抵触することはありません。

次にクロードとディミトリですが、この2人は良くも悪くも考えていることがかみ合っていないので、利害の一致もなければ競合もありません。

やはり問題はエーデルガルトとディミトリで、エーデルガルトの目的は一見すると弱者への配慮が足りませんし、ダスカーの悲劇の真相の一部にエーデルガルトがいるので、伝え方を間違えると聖墓で大暴れするディミトリの再現になります。

ルミール村の事件はエーデルガルト自身「知っていれば止めた」と言っており、無辜の民が無差別に命を落とすことへの嫌悪感はあるようですが、彼女が何と言おうとフレンの血を取らせた時点で何かの実験に使うことは想定されるわけで、ディミトリの地雷を踏まないためにはフレンを守ることが必要です。
女神再誕の儀の終了時に「あの件は死神を貸す」と言っているので、8月時点でイェリッツァは虎視眈々とフレンを狙っており、実はあまり時間がありません。(煤闇のEp2で乱入してくるのもその流れなんだろうなぁ)

こだわりの強いディミトリとエーデルガルトを両方立てつつ話を進めるのは難しいでしょうが、うーん、まぁ、8月時点でちゃんと話せているなら何とかなるのかな、と思いました。(雑)

このルートにおける先生の担当学級によって、成功率が変わりそうですね。特にエーデルガルトの支援値が高いかどうかで。

金鹿担任の場合、クロードの言うことが正論で共感できても所詮は外野なので、腹を割り切れずに本編と同じルートを辿ると思います。(翠風の宮城戦で「大地の痛みを知らないあなたにフォドラは任せられない」と言っているし)
青獅子はどれだけディミトリに向き合えているか…かなぁ。彼が安定していれば、エーデルガルトが多少ツンツンしていても宥めすかしてくれそうです。安定してないと厳しいかな…
黒鷲の場合、エーデルガルト自身が匂わせまくるので、これ本当は洗いざらい話したいんじゃない?という気がするんですよね。(そうでないとちょっとザルすぎ)なので先生を信頼できていれば、あとはきっかけひとつなのかな、という気がします。

うまくすると1月や2月にソティスの記憶が戻りますが、本編中の言動を見るにソティス自身は「教え導く」ことはしても、管理やコントロールをしたいわけではないように見えます。レア様たちに比べると「子離れ」できている印象がありますので、ベレトスが自立を強く望むなら好きにしろ、というところかと思います。

そうなればナバテア勢はそれに従うはずですので、アガルタの民を殲滅し、ナバテアの民が隠居をし、3人の級長と先生にフォドラが委ねられます。

レアないしソティスが生きたままというのはエーデルガルトの本意ではないでしょうが、本当に神殺しをしたければ先生を殺すことになるわけで、それもまた本意ではない以上、若干不完全燃焼な要素は残しつつも級長3人が生きてそれぞれの目的を達成した、というのが落としどころになるかなと思います。(スッキリしたければ各ルートになるよ!ということで)

なんか最後とても雑にまとめましたが、改めてこう突いてみると、3人の級長は本当に確固たる意思を持って入学してきていますね。
当初は割と安直にみんな手を取り合う想像をしてましたが、やはり無理があるなーと思ったので、飛躍しすぎない程度に寄せてみました。
ここまで書いておいてあれですが、様々な要素がある中での「上振れ」の結果という感じで、実際は敢えなく戦争が起こる可能性の方が高そうですね。希望は捨てずにおきたいと思いますので、この主旨で書き残しておきます。

また随時、調整していきたいと思います。

(おまけ)普通のお嫁さんになった先生

たまたまだったんですが紅花ルートでアッシュと結婚して、人間に戻った先生を指して「素敵なお嫁さん」と言ってたことがすごいぐっときました。

アッシュは全キャラ中でも屈指の「普通の人」です。
そんな彼に、素敵なお嫁さんという普通過ぎることを言われる先生。しかもその後、天下統一でもなんでもなく、二人で手の届く範囲で世直しの旅をしているというのが、自分がアッシュ贔屓であることを抜きにしても、ベレスちゃん良かったね、と思えて泣けました。

画像1

1周目に青獅子で始めてからアッシュは一番好きなキャラなんですが、400時間のプレイの果てにこのペアエンドが見られて、長い長い恋が実ったところを見たような気持ちになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?