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死の覚悟

 先日のコミティアで、初めて合同誌を頒布した。
企画自体は、ずっとまえ、2年くらいは考えていたものだったが去年の春くらいに、ふと、自分の創作を続けていける自信がなくなって、やるならこのタイミングしかないと思い、思い切って樫野創音さんに声をかけた。秋くらいには今までの部数だと完売する規模感にもなってきていて、結果的にちょうどいい時期にもなっていたように感じる。

 ナイトフライトの話をいつまで擦るんだと思われるかもしれないが、彼との交わりを考えるとやはりナイトフライトの存在は外すことはできないと思う。あれから3年以上たっていて、今なおたまにほめてもらえたり、彼や彼が身を置くバンドでも少し特別な曲として扱ってもらえているようで、所詮MVを担当させていただいたというだけの私もすごくありがたく感じていた。でも、あの時本気を出したつもりではあっても、やっぱり納品直後からまだやれたなという気持ちだけが不完全燃焼の煙を上げていて、それはいまも私の胸のうちでぷすぷすと焦げ付いている。だからという訳ではない、もともと私が彼の曲が大好きで、あとがきにも書いたがやはり「シャドウ」からもらったものがやっぱりまだ根底に流れていて、今回描きたいと思っていた話に彼の曲は絶対に合うという自信があったから彼を誘ったわけだが、一部あの夜の話でまだ使えなかった火種をもう一度ともしてみたい気持ちがあったのも事実だ。(ネームこそ良かったものの結局はいつものように締め切りに追われて、作画が荒いし、本当にちゃんとやりたかった音楽や楽器の描写も中途半端で、またも先方には申し訳ないことをしたわけですが。)

 本当にずっと、環境が変わること、働き始めること、その後も創作を続けるのか、底知れぬ不安があった。就職と同時にそういうことをやめていく話は周りで散々聞いてきたし、自分もそういう側の人間だと思っていたからだ。だからネームの切り始めは、完全に遺書を書くつもりで組み立て始めた。読んだ人にはわかるかもしれないが、本編終盤のアンプのカット、本来はあそこで話を終わらせるつもりだった。
 プロット自体はずっとまえから埋まっていたものを掘り起こしたが、ネームを直している間に、嬉しい出会いがたくさんあったりした。ティアマガのピックアップ枠にのせてもらえたり、一次創作なのに完売できるようになったり、いろんな人に絵を褒められたり、好きなレーベルさんからジャケットのご依頼をいただいたり。今もうやめてしまっているわけではないが、どうしても商業デビューを目指すためのネームが切れなくて、インプットとアウトプットの難しさとエンタメへの昇華、自分の努力できなさに辟易してペンをとるのすら嫌になって、そんな中で好き勝手やってる同人が少しづつ評価されたのは、言葉にできないくらい嬉しかった。結局入社直前の3月末まで、なんなら今もおんなじ不安自体は消えていないが、そういったありがたい事象に対してあまりにも背を向けすぎている展開を見直して、出力されたのが白紙のページの後であった。李弦は人に願いを託す(これも結局独りよがりで絶大な呪いではあるが)、翠はそれを真正面から受け止めてあげる。彼女らにとってはそれが一番前向きな選択だったのだろうと私は思う。私も前を向きたいと思う。たとえそれが泥臭くても、なんとかやっていけたらと思う。果てしない不安と憂鬱の海に飲まれながらも、皆様のおかげで灯台は見えている。だから彼女たちも、形はどうあれ、すべてを放り出す形にはならずに済んだのだと思うと、周りの影響というものにやはり感謝せねばならない。

 今は明確な目標もできた。どこの編集部でもネームはべた褒めされた(Y姫さんから名刺をいただけたのはすごくうれしい事だったと思う)。でもやっぱり絵の粗さと拙さが全てを邪魔しているという事実を改めて突きつけられている。いや、これはもう4年程前に「一生分の呪いを君に」という本を頒布したときからずっとわかっていたのにも関わらず逃げてきた自分のツケで、完全なる自業自得である。話を最後まで読ませる力と話を読んでもらう力は別だし、商品価値を考えるならなおさらである。今まで声をかけていただいたどの編集さんからもおんなじようなことを言われ続けているのにも努力を欠いたのは愚かしい。でも、逆に考えればそれなりの水準までネームを上げられていることでもあるので、もうずっとネームを送れていない編集さんの言っていたことは正しくて、感謝をしなければならない。だから、今の目標は、とにかく絵をブラッシュアップすることだ。もちろんネームやそのほかのお仕事や活動もやらないといけないけれど。

 明らかに新刊の記事っぽい形で出しておきながら、せっかく作ってもらった曲の話をしないのももったいないので、少しだけ話そうと思う。
 あいにくなことに、音楽を聴くのが大好きでも、音楽自体のことは一切わからない。創音さんが何を意識してメロディーや演奏を組んでくれたのか、その真意を汲み取るのは私には叶わない。でも、その熱は伝わってきて、デモ音源を聴く前に歌詞が送られてきて、その一文字一文字が織りなすもの語りには目頭が熱くなったし、デモトラックや完成品を聞かせてもらった時の感情は忘れられない。
イントロから聞いた時、少し意外だったのは印象明るめに始まったことである。どちらかというと陰鬱でゆっくりとした曲が来そうだと予測していたら、真に「エンドロール」たる資質をもった幕開けが耳に届いたから、だからびっくりした。明るく、エモーショナルな曲に対して何度も繰り返される「どうやったって届かない」というフレーズの重苦しさが際立つ。そうだよ、届かない、届かないんだよ。でも樫野創音は、泥臭く、それでもあがくことをあきらめない。星を探している、どうにかメッセージを放ち続けている。李弦自身は自分が音楽を届けることをあきらめはしたが、私にとってはまだ頑張れるだろというメッセージを勝手に感じて、ここでもまた彼に支えられることになってしまった。
曲の内容で言えば、この悲痛な「届かない」ゾーンのあとが最高に樫野創音節を感じて、すごく良かった。この音がやっぱり大好きなのだ。
それから歌詞でやっぱり好きなのは

もう行かなくちゃ
君の手が 指が 離れる前に

の部分である、ワード選び一つ一つが冴えわたっているのは言わずもがな、かなり本編を意識して詩を、文字を紡いでくれたのだろう。私はきっとこのフレーズを忘れない。本当に樫野創音という人間にこの本の曲を頼めて良かったと思う。
完全にわたしの自己満の道楽ともいえる合同誌を快く引き受けてくれたこと、ありがたく思う。つくづく私は幸せな人間だ。

それから、本を手に取ってくれたみなさんも、もし漫画を読んで、そのあと曲を聴いてなんらかの感情を感じてくれたり、自分とどこかで重なってしまったり、この漫画と音楽のライブ感を楽しんでもらえたのならすごく素敵だと思う。そして、できることならその気持ちを何かしらの形で共有してほしい。これは私からのお願いだ。感想ならそれはすごくうれしいし、私も、創音さんも絶対励みになると思う、でも、感想じゃなくてもいいのだ。例えばあなたの創作のどこかに作用していて、それが発信されたり、あなたの人生のどこかにちょっぴりだけでもかかわれたのなら、それは直接的ではないにせよすごくすごくすごく尊くて素敵で、言葉に代えがたいものだから。だから、どうかお願いです、もし何か少しを受け取ってもらえたのならそれを共有したりなにかにあてがえてほしい。極個人的な祈りの話。


 とにかくたくさんの感謝をしないといけない。ここ半年くらいで私に浴してくれる人が界隈問わず増えている。もらった分はできるだけ返したい。漫画を描くこと、それを商業レベルまでもっていくこと、自分の創作で音楽に還元していくこと、どれもたやすい道ではない、でもやっぱり、良くしてもらった分は頑張れなければ不義理というものである。ぐらぐらでか細い私の地盤は、思ったよりもはるかに大勢の方々に支えられている。
だから遺書なんて破り捨てて、進むしかないと思う。
ありがとう、みんな。
もう行かなくちゃ。


またこれからも、見ていてください。

https://ezorisu.booth.pm/items/4746642

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