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泥流地帯、その足跡 ~実録レポート~

最初に

皆さま、今夏いかがお過ごしでしょうか。
私は先日、とある小説作品の舞台となった北海道上富良野町という場所へ行きました。
貴重な経験をさせて頂いたので記事として残したく、ちょっと私的な感想を交えながらご紹介したいと思います。(長いです)


きっかけ…

なぜ、上富良野町に行きたかったか。
皆さんは北海道旭川市の誇るクリスチャン作家、三浦綾子氏の「泥流地帯」「続・泥流地帯」という小説作品をご存知でしょうか。
大正15年に起こった十勝岳噴火と、それに伴う融雪泥流を原因とした上富良野地域の被災と復興が描かれた作品です。

私は2020年に初めて三浦綾子氏を知り、泥流地帯を読みました。火山の大規模災害を描いた物語ということで、非常に恐々と読み進めた記憶があります。

しかし、物語はただ災害の恐怖を伝えるものだけでなく、そこで一生懸命に生きた人々の物語でもありました。架空の人物、実在の人物を巧みに織り交ぜながら紡がれてゆくお話は非常に魅力的で、力強く、心打たれるものでした。
SNS上でもひっそりとディープなファンがいらっしゃって、ますますこの作品が好きになってしまい…。

十勝岳噴火は大正15年、小説自体は1978年に新聞小説として連載が始まったものですが、それが今でもこんなにも心掴まれるなんて。

上富良野という町には何かがある…
いつか自分の足で上富良野の地に立ってみたい!と、そう思うようになったのです。


遂に来た!

そして2023年7月12日(水)、遂に北海道へ旅することが叶いました。
本州在住で土地勘も車もない何もない私…そこで大変お世話になったのが十勝岳ジオパーク推進協議会様です。
己の力で小説ゆかりの地をまわる自信が無く「泥流地帯 ツアー」で検索したらクリーンヒットしました…

そちらでは十勝岳ジオパークを巡るツアーというものを主催しており、ウェブページには主に自然を体感できるツアーコースが幾つか用意されていました。
そしてそこに、泥流地帯のツアーもあるのです!

やはり小説「泥流地帯」で語られる大正の十勝岳噴火にまつわる出来事は歴史に大きく刻まれ、十勝岳を語るに外せないものなでしょう…(推測)
そして文学的価値や認知度も高いことから「ジオツアー」のコースの一つとして用意されていた…のかもしれませんね。嬉しい!

他にどんなツアーがあるかはこちらのURLから!
(十勝岳ジオパーク公式HPより)


ツアー出発

早速ツアー申し込みをして、当日JR上富良野駅でガイドさんとご対面&ご挨拶。
気さくで元気なおじさまでした!よろしくお願いします~!
車を用意頂いて申し訳ないです~~っ!
燃料代も高いご時世なのに本当にありがとうございました…

実は当日はお天気が心配で心配で。
雨が降ったり止んだりという状態で開催できるギリギリのところでしたがどうにか決行…!

これがJR上富良野駅…!!!創設当時から場所は変わらない。

ちなみに参加者は私ともう一名おりまして、その同行者は三浦綾子氏の作品を全く読んだことはありません。ツアーに興味を持ってもらえるか、やや心配しながらの出発でした。

「泥流地帯ゆかりの地を巡りたい」という私の要望からガイドさんに組んで頂いたコースは以下の通り。(目安は2~3時間ほど)

***
①日新尋常小学校跡
(※小説では「日進」ですが「日新」と表記されている)
②十勝岳爆発遭難記念碑
③富良野平原開拓発祥の地
④開拓記念館
⑤「泥流地帯」文学碑
⑥土の館
⑦深山峠
⑧明憲寺
⑨聞信寺
⑩日の出公園
(ラベンダーの見頃だったので是非とのこと…!)
⑪上富良野神社
***

ツアー例参考はこちら↓(十勝岳ジオパーク公式HPより)


①日新尋常小学校跡

まず最初に、JR上富良野駅から向かったのは日新尋常小学校跡でした。
泥流地帯の作中で耕作達子供らが通い、…そして泥流に流されてしまった場所ですね。

手書きで申し訳ない

自分なりにグーグルマップで場所を確認してみましたが画像のような位置関係となります。

駅から出発しましたが、学校跡まで直線距離で約5.2kmでも迂回してゆくのでもっと距離があるはず、そして市街から離れた途端に民家も無くなり林道に入り、かなーーーり山奥…(?)に入り込んでいく印象でした。

何かの測量中だったのかな…すぐ奥は富良野川

そして着いた場所がここ。ぽつんと「日新尋常小学校跡」と書かれた古い木柱が残っていました。

おぉ…野ざらしの味…!残ってくれててありがとう…!

実は砂防を作る為、ダンプカーの往来が激しい道なのである

ガイドさんの説明では「木柱のある場所から少し奥にある、林の中あたりが実際に小学校が存在していた場所だろう」とのことでした。あの辺りは少し平地になっているので、ありそうだね、なんて話をしたり。

実は、泥流被害により地形がかなり変化してしまいここに学校があった、というイメージは持ちづらいのだそうです。

ですが拓一や耕作、福子に権太…
ここで勉強にいそしみ、元気に走り回り、おおいに笑って遊んでいたのだと想像すると…ジーン…


それにしてもご覧の通りここら辺りに来ると本当に人の気配はありません。
正直ここに来て最初に思ったのは、
「ここにあの小学校があったのかあ!」
というよりも、

「こんなところに人が暮らしていたのか…ここまで開拓をしたのか…」

ということでした…。
地図だけ見てると分かりませんが、実際来てみると開拓の凄さと苦労を実感します…。
100年前、ここには一体どんな景色が広がってたのでしょう。
最初きっと原生林だったのでしょうね…そこを木を切り倒して…家を建て農地を作り学校を建て…人が行き交い…

大体、石村家からここまで結構遠いんですよね。
「家から歩いて通ってたんだ…(驚愕)」感が否めない。

ただ、私見ですが当時の道って雑木林の中とか雑草だらけの土の道で…そこらに畑があって…動物や虫がたくさんいたんだろうなと思うんです。
歩くだけでもいろんな発見があって楽しかっただろうな、ただ大変なことばかりでは無かったのかもしれない、と現代の私は思いました…

また、ここでは堰堤についてガイドさんから教えて頂きました。
十勝岳は今も火山活動をしている活火山です。
噴火によって超高温の溶岩や崩壊物が積雪を溶かし発生する大規模泥流(融雪型火山泥流)が生じる可能性があるため「砂防堰堤」の建設を進めています。

それは、土石流が流れてきた場合に流木や岩をせき止め下流への被害を軽減する、という役割をもつ巨大堤防です。

大量の木々や岩が猛スピードで流れ込むと建物や人々に甚大な被害を及ぼし、ひいてはその後の復興の障壁となる為、それらを堰堤で食い止とめ被害を最小限にするという考えのもと建設されていると、ガイドさんから説明がありました。

詳しくは下記の資料が分かりやすかったので、興味がありましたら是非↓

https://www.hkd.mlit.go.jp/as/tisui/ho928l0000002vba-att/vktdfd0000000bbs.pdf

(国土交通省北海道開発局治水課より)

そんな堰堤などというものが無かったあの大正時代、この辺り一体は泥流に飲み込まれました。
ここに通う小学校生徒も多数犠牲となり、亡くなった幼き命を悼み、木柱の前で黙祷を捧げこの場所をあとにしました。

②十勝岳爆発遭難記念碑

写真で見たことがある、なんて方もいるのではないでしょうか。
こちらは泥流とともに流れてきたという大岩。
なんと重さ70トン!

記念碑には大正15年と刻まれていた。当時彫られたものですかね…

岩自体の高さは2m弱でしょうか。それでも目の前に立つと圧倒されました。なんせ重さは70トン!
ひ、ひええ〜…これが流れてきたのかぁ…

ガイドさんの説明によると、重さが重さなので動かせないしどうせなら残しておこう!となったところ、その場所に道路を作るになり、ちょこ~~っとだけ頑張って動かして今も記念碑として残してあるようです。

なので場所としてはほぼ当時と変わらない位置にあり、泥流が巨岩をここまで押し流す力があったことを今なお証明しています。
想像もつかないですが本当に恐ろしいです…
人間ってこんな時、無力な存在でしかないのでしょうね…

③富良野平原開拓発祥の地


さあ、ここが上富良野平原開拓の始まりの地です。
キーワードは「ニレの木」

憩いのニレの木は昭和の頃に枯れてしまいました


私にとって富良野開拓といえばこの言葉です…

『開拓当時、国が発行した手引書には、楡の木を目指すようにと記してありました。大きなニレの木がある場所は、長らく災害のない、安定した土地だったからです。』

三浦綾子記念文学館で過去に「泥流地帯」「続・泥流地帯」の企画展があったのですが、その際オンラインガイドでよく聞いた説明でした。

『泥流地帯』『続泥流地帯』映画化記念企画展「大きなニレの樹の下で」(2021年~2022年)(三浦綾子記念文学館公式HPより)
https://www.hyouten.com/oshirase/10502.html


ここへ最初に入植したのは三重県からやってきた三重団体の人々です。
こちらに入植の経緯が説明されています。↓(三重県公式HPより)

https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/Q_A/detail.asp?record=16

数十戸の家庭を率いて北海道までやってきた田中常次郎氏が、8名の先遣隊を結成してあらゆる難所を乗り越え、この場所までやってきたようです。そうしてやっと大きなニレの木の下で休むことが出来、今後の夢を語った…という話が残っています。

そしてここはもう一つとても重要な場所…

鉄道と田んぼ、といえば…思い出しませんか…あのシーンを…

新・石村家が近い…
ここは新・石村家とは線路を挟んで反対側の場所
踏切の斜め向こうに新・石村家があり、田んぼがあったのでしょう…

もうお分かりでしょうか。
「続・泥流地帯」のラストシーン、福子と節子が乗ったであろう汽車を石村兄弟が田んぼから息をつめて見つめるあの…

ここでガイドさんがおもむろにファイルを取り出し、
「好きなシーンを読むことにしてるんですよ」
と、小説の一部を語り始めました。

「「一つ、二つ、三つ」と、ていが数えはじめる。耕作は体を硬直させて、その一台一台を見送った…」

「乗っている!きっと乗っている、いや、駄目かもしれない…」

「「あっ!」叫ぶ耕作の目の前を、白いハンケチがふられて過ぎた」

「…兄ちゃん!よかったな、兄ちゃん!

…と、この場面なんですよ。本ッ当に大好きな場面で…」


まさかの聖地朗読…!!!
ありがとうございます、私も大大大好きです!!!!!


「ここを是非ともうまく映画の中でも作ってほしいなぁって…」

うわあああああああああ…(泣)

本当にそうですよね。やはり「続・泥流地帯」のこのラストまで含めて大正十勝岳噴火で被災された人々の物語だなと思いますし、またこの汽車から合図を送る演出がたまらないですよね。
しかも福子が乗っていると分かった瞬間拓一は声も出せずただただ稲の中にうずくまるという…
耕作じゃなくても読者全員が良かったな…と胸が熱くなる最後であり、苦難や理不尽続きで、それでも誠実であり続けた拓一への唯一報いの時だと感じました。
この最後に希望を投げかけて終わるラストが大好きです。(オタクの早口)

ガイドさんが語るシーンをバッチリ録画させていただきました。
雨降る中感謝…
ガイドさんの朗読に込められた泥流愛、心に響きました。
家で動画見返してます。


と、この場では、本当にここでしか出来ない経験をさせて頂きました。
贅沢…あまりに贅沢だった…

ここに住めば毎日田んぼで朗読し放題なのでは…??


余談になりますが、富良野川の水質について。

富良野川の水は酸性で赤い

田んぼ脇の水路の水、赤いですよね。これは富良野川の水です。
「富良野」という美しい漢字からは想像出来ませんが、元々はアイヌ語の「フラヌイ」(臭気を持つ)に由来しており漢字は当て字です。
(臭気はおそらく水源である十勝岳の硫黄を指しているとのこと)

そして大正の大噴火により水質は強い酸性となり、農業用水として使うことは出来ない水です。

それ故、水田には別の川のきれいな水を引いて使用しているとのこと。勿論これにはお金が掛かっています。しかしおかげで、水田にはきれいな水が張られ、稲が育ち、生き物が元気に暮らしてました!
なんだか嬉しいですねぇ…

今の私達から見ると北海道って肥沃な大地だなぁという印象を受けるかもしれませんが、上富良野に限らず北海道は元々泥炭地が多く農業に向かない土地であったと言われていたそうです。
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※泥炭地 参考(国土交通省北海道開発局公式HPより)
https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/sapporo_kitanougyou/kluhh4000000d6vw.html
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その土壌改良は、長い年月と労力、人の知恵、財を投じて行われてきたことでしょう。恐らく上富良野に入植した人々も、初めは土作りから苦労してきたと思われます。

現在に至るまでの治水灌漑工事等、様々な事業や苦労の末に、北海道は豊かな農作物の産地として名を馳せることとなったのだと思います。

開拓の歴史等は多少かじってはいたものの、上富良野に来るまでそのような具体的事はよく知らずに北の恵みを享受していた私です…

色々あったとは思いますが、人間の「どうにかしよう!」という強い意志と行動力を感じました、尊いですね…


④開拓記念館  ⑤「泥流地帯」文学碑

ほぼ同じ場所にあるのでまとめてご紹介。
開拓記念館では十勝岳噴火資料等見ることができます。
驚いたのが当時の様子を動画として記録したフィルムが残っているそうでそれを編集した映像が見れます。

建物は吉田貞次郎村長宅が移築されたもの。当時としては立派な住宅ですね!
こちらが上富良野開拓リーダー、田中常次郎氏。拓北に大きな夢を抱いた!

田中常次郎物語、下記のページが分かりやすく面白く読めます。
ある日家族に内緒で突然北海道へ赴き、拓北の話をつけてから地元に戻って北海道宣伝&入植者を募り、三重団体を率いて北海道へ行ったみたい。かなり熱い人物だったようです。

(北海道開拓倶楽部HPより)https://www.hokkaidokaitaku.club/retuden/kusawake/tanaka_tunejiro.html

開拓した土地を自分の土地として認めてもらうには、5年という期限付きで作物のなる土地にしなければならなかったそうです。
本当に必死に木を切り畑を作り…と、血のにじむような努力をされたのかと。。

実は北海道で違う場所も周ってきたんですけど、そこも山に向かう雑木林の中に開拓の跡地があって、「え、こんな奥地まで開拓を…」と思わせる所でした。案内の方からは「ここは雪が凄いものだから、本当に大変だったと思いますよ」と言われ私は言葉を紡ぐことが出来ませんでした。

そこに今はもう人は住んでいませんが、もっと街に出ればそこも初めは開拓地だったはずなわけで…

現代の我々は、昔誰かが本当に何もないところから拓いた場所に住まわせてもらってるんだなぁということを凄く考えさせられました…

私は北海道に住んでるわけではありませんが、どの土地もきっと誰かが昔切り拓いて、その積み重ねで今があるのは同じだろうと思います…


爆発から60年後の昭和59年5月24日、除幕

そしてこれです。

ああ、やっとこの目で見ることができた…

しばし固まりました、色んなものが頭を駆け巡り…。この碑から感じる人の想いや歴史の重さに気圧されて…。

本来、三浦綾子氏はこのような文学碑等の建立は辞退される方でしたが、こちらの文学碑に関しては、小説を書くにあたってお世話になった上富良野町の為なら、と承諾下さったそうです。(ガイドさん談)

下記から三浦綾子氏が汽車から上富良野を通過した際の経験談を読めます。実に思い入れの深い作品だということを感じられます。
(郷土をさぐる会HPより)


また、上富良野町内での文学碑建立の経緯と、除幕式での三浦綾子氏の言葉は下記から読むことができます。
特に三浦綾子氏の言葉…少し長いですが、どんな思いで作品を書き上げたか、上富良野の人々へどのような思いを持っているのか綴られています。
是非ご覧いただきたいです。(郷土をさぐる会HPより)


綾子氏は最後に聖書の言葉「よろこぶ者と共によろこび、泣く者と共に泣け」と結びました。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章9―15節、と思われます)

泥流地帯の中では、人を思いやる・人に寄り添う場面が沢山出てきます。こういった人との繋がりが、災害に見舞われながらも各々の道を切り拓くことを可能にしたような気がします…

そしてこの上富良野で起きた惨事だけではなく、厳しい開拓から今に至るまでの歴史の中で、共に喜び悲しみ生きた人々が居たのだと三浦綾子氏は感じ、この言葉を贈ったのではないでしょうか。

また余談かもしれませんが、5月24日は三浦綾子・光世氏の25年目の結婚記念日でもありました。
「共に喜び共に泣く」というのは、まさに結婚の門出に送る言葉としても相応しいものです。綾子氏は心のどこかでその事とご自身の結婚生活についても思いを巡らしていらっしゃったのではないか…、と綾子氏の日々大切にしているものについても感じました。


⑥土の博物館 土の館

こちらは実際に来るまで存じ上げない場所でした。
スガノ農機株式会社さんが運営する博物館で、様々な農耕の歴史と農耕具の実物や、国内外の土壌標本等が展示されています。

目玉のトラクター博物館…今回は見れませんでしたが世界各国のクラシックトラクターの展示があり、なんと国立科学博物館の重要科学技術資料(未来技術遺産)として登録された貴重な2点の製品も展示しているのだそうです!
科博も認めるトラクター…すごい…

もはや外壁アートと化すコーンの根

ここでの目的は…!この土壌標本を見ることです!!

入植以前の土って泥流の被害受けてないのかな?と気になりました

泥流地帯の土層標本(モノリス)です。詳しい説明は下記からも読めます。(土の館公式HPより)

作中でも泥流をかぶった土は燃える土としてもはや農は不可能とされましたが、「客土」という方法でどうにか農地回復を試みました。

客土と言っても数種あり、
・運搬客土工事
・転倒客土工事
・表層泥流の剥ぎ取り工事

という方法がとられたとガイドさんから説明頂きました。
運搬客土はその名の通り近くの山場からトロッコで土を運んで泥流に被してゆく、というとても地道な作業。
小説では拓一らがこの方法で土を蘇らせていました。北海道は泥炭地と先程書きましたが、大体これらの方法でなんとか畑を作っていったそうです。

ただ、泥流地帯においては標本を見るとお分かりですが1番目の層はとても浅いです。1mも無いんじゃないかというくらいでした。
「人間に出来ることは本当にちっぽけだ」
というガイドさんの言葉が胸に刺さります。

客土層の浅さの為、うっかり深めに土を掘り返すと今も泥流層が出てきてしまうことも。

胸の熱くなる説明書きです。。。

開墾層を想って泥流に立ち向かった。こんな事をした人々って上富良野以外にいるのでしょうか?
農業はただ作物を作るだけの仕事ではない、色々と考えさせられます。


⑦深山峠

深山峠といえば…
「続・泥流地帯」での遠足、ですね!

ガイドさん曰く「深山峠からの景色はここからが1番だと思う。きっとここからみんなで景色見たんじゃないかと思う」とのことで連れてきて頂いたのがこの場所でした。

これが…ふるさとの景色…

自力じゃ絶対たどりつけなかったと思う…地元の人ならではの案内です…!

5月には手前に桜、奥に雪の残る十勝連峰が見えて最高とのことです。
小説内でも「5月の風は心地よかった」とあるのできっと、素晴らしい景色を耕作と子どもたちは見たことでしょう。

そして…
ここであの名言をガイドさんがまたまた再現して下さいました。
この景色を前にしての朗読は本当に心に染み入る朗読でした。

「人間はな、景色でも友だちでも、懐かしいものを持っていなければならん。懐かしさで一杯のものを持っていると、人間はそう簡単には堕落しないものなんだ。…と、耕作はこんなことを子ども達に呼びかけていまして」


うん!!!!!!!
うん!!!!!!!

ここも大好きなシーンなんですよね~としばし盛り上がりました。
泥流地帯読んでる人、さては好きなシーン大体同じ説。

泥流地帯って「自分もこう真面目でありたい、でも現実にはなかなか難しい、でもそうありたいという思いを忘れたくない」と思わされる言葉やシーンが多いんですよね。
この深山峠でのこともその一部だと個人的に思っています。

あぁ…ここで誰かと握り飯と馬鈴薯のばくりっこしたい…


⑩日の出公園

「今がラベンダーの見頃なんで是非見てもらいたいと思って!」
と、ガイドさんのご厚意により連れてきて頂きました。日程的に行けないと思っていたので本当に嬉しかったです。

公園は一面紫の絨毯!ラベンダーが咲き誇っていました。

言うなれば水◯奈々のライブで会場が紫ペンライト一色に染まったような感じかしら…と戯言はさておき、こんなに満開のラベンダーは初めて見るかもしれません!!
というのも、ラベンダーのピーク時期がなかなか限定的でありその時期を狙って来ないと巡り合えないものです。

私など狙ったどころか、たまたま「よし行くか北海道!」となったのがちょうどこの時だっただけでした…

すごく偶然が重なって、この景色を見れていると思うとまさに僥倖…

花のところを指で少しこすって香りを楽しむ技を覚えた
この日は天気が残念ですが町を一望できます

このラベンダー畑の中を歩くと自然とランランとしてきちゃいますねぇ。

ガイドさんから教わりましたがラベンダーは、明治・大正時代からあったわけでなく、昭和の始め頃フランスから種子を輸入して栽培を始めたそうです。
そして曽田香料株式会社という1社が、農家で栽培されたラベンダーを全て買い取り、夏に収入を得られるという農家的に大変嬉しい作物だったようです。
(野菜や米は、出荷してから値段が付けられ市場に出て初めて収入となったそうで…)

その後事情が変わって今はこういった観光用ラベンダーがどうにか残っているよ…という歴史があるそうです。

詳しくは下記ページで。
意外と知らない上富良野でのラベンダーの歴史や種類。
(かみふらの十勝岳観光協会公式HPより)


⑧明憲寺  
⑨聞信寺  
⑪上富良野神社


こちらで最後!…といきたかったのですが、今回は時間がなく訪問すること叶わず。以下、ガイドさんからの説明で簡単にご紹介します。

明憲寺(みょうけんじ)
小説作中にも「市街の人たちは明憲山の明憲寺に避難した」出てきますが、当時災害支援の役割を担ったのは宗教組織又は日本陸軍である旭川第7師団でした。
師団は現在の自衛隊のような機能も持っていたのでしょうが、ボランティアのように被災者の支援に携わろうとしたのは寺や神社だったそうです。
ここ明憲寺には144名の被災者の名前を刻んだ慰霊碑が建立されてるとのこと。一人一人がきっと、開拓と上富良野の発展に尽力された方々であったと思われます。
お立ち寄りの際にはどうかそのご冥福をお祈りください。

聞信寺(もんしんじ)
こちらでは横死者の為に昭和の始めに無縁塔を建立・埋葬をされたようです。
以下に経緯が記載されてあります。
(郷土をさぐる会HPより)


上富良野神社
作中では8月1日のお祭りで奉納相撲が行われたシーンが有名かもしれません。
拓一(上富良野代表)と荒木川さん(中富良野代表)の熱い対決が描かれましたね。
詳細は是非小説「泥流地帯」をご覧いただきたく!

聞くところによると相撲の土俵跡は今もうっすら残っているそうですよ。

(上富良野神社HPより)


ツアー終了

以上が今回の泥流地帯ツアーとなりました。
単に泥流地帯ゆかりものを見るだけでなく、十勝岳の噴火の歴史、土壌形成、川の水質、等々地理的な知識と、人々の暮らしをまじえてガイドさんから教えて頂き、上富良野という土地についてとても理解を深めることが出来たと思います!
同行者も楽しめたらしく「ブラタモリみたい!」とのコメント。おお~!
確かに、「この土地はどうしてこうなってるの?」という謎が解き明かされてゆく感じはまさにそれでした。
実際ブラタモリで上富良野回があったようですから、やはりそれだけ語るに値する土地なのでしょうね!

ちなみに、個人的には「どこの家でも大体ラベンダー育ててるよ~」っていう話も驚きでした。
ガイドさんからお土産にラベンダーの切り花を頂いたのですが、どちらのものか尋ねると「うちで今朝とってきたやつです」と言われてびっくりしました。じ、自家製摘みたて~!?

そんなこんなで…失礼ながら、今まで「上富良野」といえば「泥流地帯」としか認識していなかったものが、小説含めこんなに奥深い魅力を持つ町だったんだなぁと…
あの有名な富良野にこんな場所があったんだ…と知り、なんだか不思議な気持ちになりました。
上富良野、もっと有名になってほしい。

ということで、そろそろガイドさんともお別れの時間。
最後は焼肉屋さんへ連れて行って頂きました。


何故焼肉屋なのか。


実は私、上富良野では「豚サガリ」というここでしか食べられない貴重な美味な肉があるという情報を知り、それ食べたさに上富良野までやってきたと言っても過言ではない(泥流地帯もだけども!)


参考:豚サガリとは!?↓↓↓(かみふらノートさん note記事より)


…ので、昼食に豚サガリを食べたいのですが~…とガイドさんに事前にお伝えしていたら、最後にオススメの焼肉屋さんに連れて行って下さったのです。ガイドさん、優しすぎる。涙

焼肉まるます
https://www.kamifurano.jp/archives/facility_item/3312/

「ランチ帯だからお値段もお手頃のはずですよっ!」とガイドさんが気遣ってくれてどこまで仏なのか…

と思いながらまるますさんの前でお別れしました。
今回は本当にありがとうございました!

まるますにて

早速注文!

ランチ焼肉セット、すごいボリューム(1人前)
単品でも頼んでしまった

えっ…
ランチでこれは凄すぎませんか…
これ、東京とかで食べたらエライお値段いたしますよ…
でも…本当にお手頃価格。嬉しすぎる。

そして念願のサガリだーーー!!!…いざ実食。

!?!?!?!?!?
しょ、衝撃…

初めて出会うレベルで美味しいと思いました。全世界に広めたい美味さです。
赤身肉ですが、柔らかいのに程よいギュッとした感じと、味わい深さ&ジューシーさ!!
これ、こういうのを求めていた…
うわあぁー肉食ってるうう〜〜!!!
という気持ちにとても浸れます。満足さがもう牛肉とは違いますね。
いや牛もとても美味でした、が!!
もはやサガリだけでも良いとすら思ってしまう。


…と、感動の嵐でつい心がはしゃいでしまう初・豚サガリ体験となりました。いや…これはかなり驚きでしたね…

お腹も満たしたところで少々寛ぎつつ退店。
ありがとうまるますさん…!

こちらの豚サガリ、希少部位として流通が少なくどこでも食べれるお肉ではありません。
これを味わいたいと思ったそこのあなた…上富良野です…

上富良野に来るのです!!!!!!!!!!

上富良野は、文学、自然、食、なんなら温泉も!!全てが揃っております。

今回私が行けなかった場所もたくさんありますので、ご旅行の際はゆっくりと周られることをおすすめしますよ。

終わりに

なんだか最後は上富良野宣伝になってしまいました、、、が。

地元の人と談笑できて、田んぼや畑があって作物がとれて、美味しいごはん屋さんがあって、美しい景色があって。
上富良野って今こんなにも豊かで素敵な町なんだな、と肌でじんわりと実感しました。

三重団体の開拓から始まり、一度は泥流に飲み込まれ…もしそこで人々が復興を諦めていたらこの町はどうなってたのかなぁなんて思うと、本当に今この町が存在することがまるで奇跡のようです。

今回の私の泥流地帯ツアーはこれにて閉幕となりますが、また今度ゆっくりと訪れたくなる町でした!

最後に、ご助力下さった十勝岳ジオパーク推進協議会様、ガイドさん、そして快く付いてきてくれた同行者さん。

ありがとうございました!!!!

そしてそして…

上富良野の地に導いてくださったのはやはり小説「泥流地帯」「続・泥流地帯」でしょう。
三浦綾子・光世氏が苦労と涙を重ねながら作品を残してくれたおかげでもあります。この小説から色々なご縁が生まれました。

いつまでも自分の中の大切な作品として、今回の良き旅の思い出とともに心の本棚に収めたいと思います。

天国の三浦綾子・光世夫妻さま、素晴らしい作品を残してくださりありがとうございました

最後まで読んで下さり感謝いたします

~おわり~


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