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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
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#釣り

一枚の写真から。  2021.4.19

いまから37年前に撮影した写真。巨大なサクラマス。僕は当時失業中で、持て余す時間を利用して、この魚の調査に勤しんでいた。晩秋の数週間、防水カメラと借りたビデオを持ち、毎日1人でダム奥の小渓流に通った。ある日の夕刻、幸運にも数枚の撮影に成功した。 北九州のとあるダムに流れ込む小さな渓流。そこに巨大なサクラマスが産卵に遡上することは、一部の釣り人の間では公然の秘密だった。ヤマメの30%ほどは陸封される前の遺伝子を持っていて、下流にダムがあるとそれを海と錯覚してサクラマスに変わる

伊藤靖浩くん。 2021.2.1

2018年の夏、心当たりのない人物からFacebookのメッセージが届いた。突然の連絡を詫びる言葉から始まるその文章には、「FBで偶然見かけたのですが、もしかして36年前に渓流で出会った江副さんですか?人違いならごめんなさい」とあった。たちまち、記憶が甦った。 当時、20代の終盤だった僕は、家業の米屋を手伝いながら、先の見えない日々の只中にあった。一方、24歳の春から始めたフライフィッシングは、病膏肓に入りあちこちの渓流に出掛けていた。中でも良く通ったのが、北九州のダム湖に

釣り師の宴。 2020.12.28

僕の釣りは基本単独行なのだが、ヤマメ釣りは時折気の置けない釣友と遊ぶことがある。気づくと、テンカラやエサなど釣法は違えど、ヤマメを追う釣り仲間たちと繋がって、ちょうど4人揃ったときに、ふざけて釣りおバカカルテットなどと称したのがコトの始まり。 ヤマメは、3月初めから9月いっぱいが釣期で、それが終われば納会ということになる。また、当初メンバーの4人以外にも参加希望があって、しかも複数の料理人が仲間に加わっている。数年間、阿蘇やくじゅう連山を望む絶景の貸しコテージで楽しんでいた

川キリギリス。 2020.10.5

釣り人はいつも魚泥棒だ。年柄年中、川や海にいる魚を釣り上げることばかり考えている。僕はもう40年来の川の釣り人で、大きなヤマメやアユを一匹でも多く釣り上げることに没頭してきた。何よりも釣りを優先し、少しでも川に居ようと悪だくみを絶やさない。 仕事が一段落したらなんて考えない。時間は作るものだし、スケジュールはこじ開けるものと心得ている。他人様が働いている最中に、のうのうと竿を出す。イソップ寓話のアリとキリギリスよろしく、労働に勤しむ人々を尻目に、生産性のない遊びに精を出して

真夏の昼休み。 2020.8.12

そもそも昼休みなんて概念がない。始業も終業もそうだ。曜日も仕事関係のやり取りで意識することがあるくらいで、自分の中では平日か休日かの区別程度。起きてから寝るまで、仕事は常にしてるし、一方でクライアントが絡む打合せや会議以外はいつでも休みになる。 これが夏になると、昼休みは特別な意味を持つ。3月から5月迄は、僕の関心事はヤマメ釣りだが、気温が上がる6月以降は対象はアユに変わる。筑後川が貫流する大分県日田市は、全国的なアユの名川でも知られる。朝夕にピークが来るヤマメと違って、ア

沈んでいた。 2020.6.25

人間にミスは付きものだ。粗相をしない人などいない。かと言って、ミスによる被害や悔恨から自由になれるわけではない。僕も人並みかそれ以上に失敗をする。その中身は数々あれど、特に目立つのが水難系だ。釣り人だから?いや、必ずしもそうでもないという話。 つい先日、夜になってApple Watchを着けていないことにドキリとした。記憶を巡らすと、川に忘れたことに気づく。翌朝、川に入る準備をして直行。釣りではこんな時間に行くことはまずないのに。果たしてApple Watchは、10cmほ

鍋とリール。 2020.1.7

料理をすることが増えた。我が家の事情でそうなったのだが、それが日常になってくると、いやでもスキルは上がる。味噌汁を作る鍋、炒め物などをするフライパン。鍋類で多用するのは、だいたいこのふたつ。鍋はともかく、フライパンは片手で振り回すことになる。 パスタなどは、茹で上がった麺を、具を準備したフライパンに投げ込み、一気に和える。その時、フライパンは左手で保持、右手で菜箸を操るのが相場。卵焼きも、溶き入れた卵を右手の箸で返しつつ仕上げていく。勢い、フライパンは左手で操るのがやりやす

梅雨に籠もる。 2019.7.11

五月の陽光が熱を強めて行き、初夏の陽射しが勢力を高める頃、出鼻をくじく梅雨が訪れる。ヤマメ釣りを存分に楽しんでのち、夏最大のエンターテイメント、鮎の友釣りが5月下旬に解禁になる。満を持して、長竿を担ぎ、流れに立ち込み始めると、嗚呼入梅の知らせ。 降り続く強く大量の雨で、川は一気にカフェオレ色の奔流となり、釣りも何も、川に近づけなくなる。まさに去年の今ごろは、日田や隣接する福岡県朝倉エリアは、悲惨な水害が全国ニュースとなっていた。折しも、その降り始めの日、僕は渦中の川に鮎釣り

鮎、福島へ。 2019.6.30

東日本大震災から5年が過ぎた頃、福島県のブランド推進課の皆さんが、日田を訪ねて来られた。曰く、ようやく本来の仕事に戻れますと。この未曾有の災いに関しては、日本中が胸を痛めたが、かと言って何をすればいいのか、途方に暮れた方が大半だったに違いない。 かく言う僕もそのひとりだった。それがこの3月についに現地へ赴き、ブランディングについてお話しする機会をいただいた。テーマは、栽培に成功したばかりのホンシメジで、農家の方や飲食業の方が参加してくれた。その中に、お隣郡山でイタリアンレス

真夏の耽溺。

鮎釣りを始めたのは、次男が生まれた翌年だからもう13年目になる。それまで、春から秋まで、ヤマメのフライフィッシングに現を抜かしていたが、渓流で鮎釣り名人に出会ったのが運の尽き。まったくタイプの異なるこの釣りのいろはを習って、瞬く間に没入した。 岩に付いた苔しか食べない鮎を鉤に掛ける発想は、何度思い返しても驚愕のアイデアだ。縄張りを持ち、そこへ入る鮎を攻撃する習性を巧みに利用し、鉤をまとった囮鮎を泳がせて、アタックした野鮎を釣り上げる。それを友釣りと言う。騙しておいて友とは笑

一日の終わりに。 2019.4.14

オンとオフの僕なりの解釈については、少し前に書いた。僕の時間の使い方は、決して一般的ではない。カレンダーは見てはいるが、ことオフの取り方に至ってはもう好き勝手。世間の都合とは関係なく仕事をする反面、自由気ままに仕事を切り上げることは日常茶飯事。 早朝からデスクに向かうので、外出がなければ、午後遅くにはとっくに終業時間を迎える。と言っても、その概念すらないのだが、それはともかく。ヤマメ解禁後の今の季節なら、エサとなる水生昆虫たちの羽化が集中する夕方は釣りには絶好の時間。一通り

冬が来れば春。 2019.2.8

前の年の9月末、ヤマメが禁漁に入り、ほぼ時を同じくして、鮎は落ち始める。僕ら釣り人は、その寂寥感をもって冬の訪れを受け入れる。それまで、あれだけアタマとココロを支配していた魚釣りが、唐突に終わりを迎え、モードは強引にスイッチオフ。秋風が身に染みる。 現金なもので、その途端に道具はほったらかし、翌春までまず顧みない。他の釣りをしない僕は、呆れるほどオフが鮮明に訪れる。大学で後期だけを受け持っているのは、実はこの釣り人事情に大きく関係している。冗談のようだが、本当だから仕方がな

35℃の天国。 2018.7.13

空が青く、高い。北部九州にもついに梅雨明けが訪れた。降り続いた雨は、山々に染み込み、じわじわと流れ出す。川の水嵩はまだ高いけれど、水の色はもういつもの夏色に染まっている。いきなりの気温上昇で、連日30度を軽く超えて、ほぼひと月ほどの真夏の候。 3月から5月までは毛鉤でヤマメと遊び、6月から9月までは鮎を追って時が過ぎる。雪が舞う山岳渓流と灼熱の開豁な清流は、魚種と釣法もがらりと変わり、楽しみが倍加して心を鷲づかみにされる。鮎の友釣りは、今年で12年目を迎えた。師匠に習ったっ

非生産性。 2018.6.29

僕らの営みの良否の判断に、それが生産的か否かという基準がある。生産的でないと言われれば、それは効率が悪いだの、価値が見出せないだの、なんだか後ろめたさを煽られるような、そんなイヤな物差しなのだ。生産性が低いと、あるいは無いと、本当にダメなのか? 換金できそうな、なにかを産み出さないと、その振る舞いは評価されない判断基準。本当にそうなのか?それは、知らぬ間に背負ってしまった呪縛?世界中の人々を狂喜させてくれるスポーツ。また、深い感動を与えてくれる芸術。そして多種多様な遊びはど