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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
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#プロデュース

地図なんてない。 2019.10.21

いつだって、新しいことをしたいと思っている。いや、新しいこと自体に価値があるわけではない。いままで出会ったことがない問題に対して答を出そうとすれば、自ずとそれは新しくなるというだけだ。毎度、経験のない地平に向かって足を踏み出す。それは探検だ。 未踏の地をめざす探検に、地図はない。それは想像と抽象の世界。一歩進むごとに、五感を総動員して情報を集める。探検はその繰り返し。なのに、多くの人は地図を求める。初めての領域に向かうのに、そこを記した地図はないのかと当たり前のように問うの

熊本川辺川。 2019.9.8

名前はもちろん知っていた。伊達に釣り人はやっていない。球磨川の上流部、鮎で著名だが、釣り仲間たちからは本流でヤマメのライズがあると聞いていた。もっとも、基本遠征をしないので、他人事のように眺めていただけだった。それが突然我が事になりそうな展開。 熊本県相良村は、その川辺川が貫流するロケーションにある。川同様、村の名前は知っていた。その村から、ブランディングのご相談。仕事のキャパ的には限界に近づいているが、とてもむべにお断りする気にはなれなかった。取り敢えず、数度のSkype

毒を盛るように。 2019.8.19

プロデュースは説得業だと言うことがある。新たなアイデアが出て、それを構想に膨らませようとするとき、関わる人が増えていくわけだが、共感が必ずしもスムースに広がらない局面が生まれてくる。理解の不足なら再度の説明を施し、感情のもつれなら飴と鞭を考える。 ここを越えれば、状況は一気に前に転がり始めるわけだが、それだけに慎重を期しつつも、えいやっと切り込んで行く瞬間でもある。この緊張と集中のコミュニケーションは、独特の空気感を纏っていて、最もプロデュースの仕事をしている気分になるとき

習いと学び。 2019.7.29

他人様に教えるなんて、消え入りたいくらいおこがましい心持ちになる。まずこれが前提。でも、振り返って見ると、曲学阿世の身ながら、あっちで喋り、こっちで話し、教師としての仕事がとても増えている。そんな中で想うことがある。突出した人材は育てられるか? こんな人材がこんな才能がもっといればと、世には教育によって計画的に望む人材を育成しようとする傾向がある。こうした情動は、古今東西繰り返し現れる。でもどうだろう?一定のプログラムを履修したら、自動的に画期的人材がそこに立ち現れるなら最

誰が言う? 2019.7.5

粋に生きたい。野暮はご免被りたい。遊びでも仕事でもそれは変わらない。仕事なら誰も解けない難問を鮮やかに解決したいと思う。でもそれは、願っているだけで実現するわけではない。そびえる壁をいかに超えるか。横たわる谷をどう渡るか。猫に鈴、火中の栗。 仕事では、たくさんの会議や打合せを行う。計画やイメージを共有するのは当然だが、試されるのは必ず訪れる難局打開の仕方。そしてその多くは、人が絡んでいるので、現場には感情と欲望が混ざった渦が巻いている。保守、誤解、拒絶、保身、嫉妬、悪意など

鮎、福島へ。 2019.6.30

東日本大震災から5年が過ぎた頃、福島県のブランド推進課の皆さんが、日田を訪ねて来られた。曰く、ようやく本来の仕事に戻れますと。この未曾有の災いに関しては、日本中が胸を痛めたが、かと言って何をすればいいのか、途方に暮れた方が大半だったに違いない。 かく言う僕もそのひとりだった。それがこの3月についに現地へ赴き、ブランディングについてお話しする機会をいただいた。テーマは、栽培に成功したばかりのホンシメジで、農家の方や飲食業の方が参加してくれた。その中に、お隣郡山でイタリアンレス

希望の中身。

プロ向けのある講座で、ヒアリングのタイトルを「話は半分しか聞かない」としたことがある。クライアントの言い分は全部聞かなくていいとの偏向的誤解があったかも知れないが、殊の外反応が良かった。そのココロは、聞こえる話って、おそらく半分くらいという考察。 クライアントの希望に応えることが、確かに仕事の本質ではある。そこは間違いないのだが、問題は希望の中身だ。言葉面をそのまま受け取ることに疑念を持たないケースが多過ぎるんじゃないか。それは現状の課題解決であったり、欲しい未来のカタチで

雑味が残る。

珈琲とか、ワインとか、その領域では特に使われる表現。ボンヤリとした、なにか別の味が混ざっている感じ。味覚的異物感。望みの一色に染めきれないおぼろげな不満。あるいは、狙っている純度を保てないことを割り切れない薄いストレス。そんなニュアンスだろうか。 実は、仕事の自己評価でも類似の感慨に包まれることがある。クライアントやその先では、それなりのリアクションがあったとしても、自分の中ではあるひっかかりが残ることがままある。プロデュースはもちろん、コピーでも、クリエイティブディレクシ

脱線教室。

20年程前から福岡のデザイン専門学校で、数年前からは大阪の芸術系の大学でも教壇に立っている。一度も習ったことがないことを、他人様に教えているという不思議はともかく、例によって、王道からは外れたちょっと変わった授業をやっている。白熱ならぬ脱線教室。 そもそも専門学校では、生徒のアタマの中を掻き回して欲しいとのオーダーだったし、大学はデザインプロデュースという造型から若干距離を置いたレクチャーだし。教科書で読めるような内容を授業で話すのはもったいなさ過ぎる。また、純粋なデザイン

販路の幻想。

これまで、かなりの数の商品開発に携わってきた。食品から、家具、住宅、コスメ、ルアーまで、たくさんの分子との協働で、領域を超えた仕事を続けている。特に機会が増えたのは、10年程前から地域系のプロジェクトが比重が高まったことがきっかけだった。 僕が関わる地域系プロジェクトは、ローカルで展開することがほとんどで、勢い農業など第一次産業や伝統工芸が多く、自ずと食品や手仕事系の商品開発が頻発する。また、地域系プロジェクトはほぼ行政との連携なのだが、ここで意識のズレが露見する。商品やサ

なんとなく。 2019.4.20

理性が感性を凌駕することなんてない。あり得ない。いきなり結論を言うとそういうことになる。どこか気が乗らない。気分がよろしくない。雰囲気が悪い。仕事の現場では、ときおりそんなことが起こる。テーマは最先端。事業規模は大きい。でもなにかがヘン。 会議などでは発言しづらい感情の動き。あれ、なんか違う。おや、おかしいな。なんだか楽しくない、等。言葉以前の生理的反応。アタマと言うより、ココロの奥底に芽生える茫洋たる違和感。言わば魂の叫び。理性的に振る舞い過ぎると、それは現れない。聞こえ

僕の3.11。 2019.3.12

福島へ行ってきた。あの忌まわしき震災から8年。農産物のブランディングに関するレクチャーが今回のお仕事。原発事故の風評被害という負の遺産を背負ったフクシマ。通常の方法論では、すぐに答は出ないかも知れないが、僕にできる復興支援はきっとこのあたり。 あの日のことは一生忘れない。たまたまテレビを観ていて、噓のような津波の映像、趣味の悪い映画のような原発トラブル。阪神大震災、NYの9.11と並ぶ、怖じ気を奮うおぞましいシーンだった。とても現実のこととは思えなかった。ほぼ同時に何かをし

質問の意義。 2019.3.6

学生たちには良く、コミュニケーションを進める最も簡単で効き目がある方法は、相手への質問だと話している。デートにしても何にしても、会話に詰まったら質問を投げれば良い。聞くことなどいくらもある。相手が不快に思うネタを避けながら、さあ切り込んで行こう。 学校にゲストをお招きするトークイベントなどでは、質問はゲストへの礼儀とわきまえるよう伝えている。ゲストに関心があることを示すのは、依頼に応え、ご足労いただくゲストに対する最低限のマナーだが、そもそも、他人の言っていることに関心を覚

板場の包丁。 2019.2.28

このタイトルを別の言葉に変えるなら、「職権の使い方」になるだろうか。職権、つまり職業にまつわる権力は、必要なものである。丸腰の板場なんて意味を成さないのと同じ。職務を遂行するために与えられる刃物。それは鋭利であればあるほど仕事では役に立つ。 ところが、板場なら旨い料理を拵えるための大事な道具が、それ以外の目的に使われることがある。刃物は常にそうだが、他人を傷つける武器にもなる。鋭いほど、誤用の弊害は大きい。職権の濫用は、世に時折起こる喜劇だが、腹立たしい出来事でもある。職権