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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
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#自然

なぜ森は尊いか? 2020.11.19

自然を大切にしましょう。子どもの頃から、誰もが何度と言わず聞かされたフレーズ。当然、表立って反対する人はいない。しかし、なぜ?と改めて問われれば、明確に答えられる人は果たしてどれくらいるのだろうか?自明の理のようでいて、実はピンと来ない。 かく言う僕も、仮説を持つ程度にとどまっているけれど、そろそろこれは結論的な何かを用意すべき時機に来ているんじゃないか。僕はこう思っている。自然は言うまでもなくすべてを覆う生態系で、人間はその中で生きている。自然がまずい状態になれば、僕らは

真夏の昼休み。 2020.8.12

そもそも昼休みなんて概念がない。始業も終業もそうだ。曜日も仕事関係のやり取りで意識することがあるくらいで、自分の中では平日か休日かの区別程度。起きてから寝るまで、仕事は常にしてるし、一方でクライアントが絡む打合せや会議以外はいつでも休みになる。 これが夏になると、昼休みは特別な意味を持つ。3月から5月迄は、僕の関心事はヤマメ釣りだが、気温が上がる6月以降は対象はアユに変わる。筑後川が貫流する大分県日田市は、全国的なアユの名川でも知られる。朝夕にピークが来るヤマメと違って、ア

蛍を数える。 2020.6.12

家のそばを蛍が飛ぶ。前の住まいほど山の中ではないのに、実に贅沢な環境だと思う。もっとも、群れ飛ぶというほどの数はいない。多い年なら、数十匹舞っていることもあるけれど、村では当たり前だったたくさんの蛍が連鎖する光のシンクロはさすがに望めない。 数十年前まで、日田ではありとあらゆる水路で蛍が見られたらしい。いまも、市役所の横の水路に時折蛍が光る。地方とは言いながら、それでもなんと優雅なことか。そこから数分の場所にある我が家。大きな神社に隣接し、緑が豊富で、夜は真っ暗。道路を挟ん

アオバズク幻想。 2020.5.19

夏が始まる頃、陽が落ちると、神社の方から聞こえてくる。ホーホー、ホーホー。少しくぐもった規則正しい啼き声。アオバズクだ。最初はフクロウかと思ったが、調べてみるとアオバズクだった。しかも、渡り鳥。初夏にやって来て、ひと夏を過ごす。今年もようこそ。 神社には樹高30m以上になんなんとする何本もの大木がある。彼らはそのどこかに住み処を見つけて、太陽が西の空に沈む頃になると、毎日律儀に声明が始まる。ここ周辺は、夜は真っ暗になるので、その闇の上空から啼き声は降りて来るのだが、この風情

花は桜木。 2020.4.13

今年も桜を見送った。三寒四温のリズムが早まり始める頃、山桜が花弁を開く。ソメイヨシノほど桃色は強くなく、ほぼ白に近い品のいい花が咲いて、いよいよ春の到来。毎年毎年、胸の奥からざわついてきて、ここからしばらくは、陶然と焦燥の日々が続く。悩ましい。 なぜ、これほど桜に惹かれるのかわからない。僕に限らず、多くの日本人が桜に魅入られてきた。花は桜木、人は武士。最上の生き様を謳った好きな古諺だ。満開となった途端に散る潔さは、先の戦争では悪意で汚されたりもしたが、桜花の散り様はただ純粋

草花の春 2/2020.3.21

勢いづく春。三寒四温を繰り返し、季節は着実に気温を上げていく。咲く花も種類を増やし、毎朝の散歩がいつも以上に楽しくなる頃。春夏秋冬、美しさも楽しさも、四季それぞれにあるけれど、中でも春の訪れは、ひときわ特別な高揚がある。春はますます。 ふきのとうが群生するポイントの西側に、時期をずらしてショカッサイの花畑が現れる。諸葛孔明が飢饉対策に植えたと言われる野草。可憐な紫の花の根が食用だなんて頼もしい。早春から地表にポツリポツリと株を散らすスミレが落ち着いた頃、淡いブルーのトキワハ

草花の春 1/2020.3.15

白い秋が終わり、玄い冬が居座る。落葉樹は葉を落とし、風景は色を失い、枯れ野が広がる。木枯らしが舞い、時に雪が積もり、幾度も霜が降りる。自然の命の鼓動は音を潜め、気配さえ消えてしまう。そんな中、枯れ草と落ち葉の隙間から緑が現れる。早春。 最初に色を添えるのは、オオイヌノフグリ。可憐なブルーの小さな花。別名瑠璃唐草。草花では、この花が最も美しいと思っている。ほぼ時を同じくして、薄紫のホトケノザが現れる。どちらも次々に花を付けるが、季節はまだ冬の終わり。度々霜に、時には雪に見舞わ

晩秋の絢爛。 2019.11.28

毎年のことである。夏が終われば秋が来る。炎暑が過ぎれば涼風が吹く。下がる気温が木々を染める。次いで落葉が控えている。赤がある、黄色がある。何十回経験しているのに溜息が出る。何度も見ていても嘆息がある。晩秋の絢爛。四季折々の国で良かった。 実を言えば、今年の紅葉はいまひとつ。気温変化の諸々が影響をして、始まりも遅かったし、色の鮮やかさも昨年のそれには及ばない。けれど、それでもある時期から急激に進んで、我が家の周りもモミジやイチョウが次々に染まっていった。ここに暮らして早6年目

俳句徒然。 2019.11.10

俳句をやっている。ネット句会というヤツ。毎月末、6句をNYに送る。もう10年を越えた。昔、NYに家族と遊んだことがあって、その時知り合った在米数十年という日本人画家の方に誘われて参加したのだった。10人ほどの小さいけれど、なんとも味わい深い集まり。 僕は元々言葉の人。現在のスキルもコピーライターから始まった。それまでも、戯れに俳句や短歌を書いていた。いまはいつも〆切に追われて、ジタバタするばかりで、一向に上達の気配がないが、同人の皆さんの秀句に唸ったり、もとより先達の名句に

雲海慕情。 2019.10.28

日田盆地に暮らして7年目。雲海に目覚めた。去年だったか、ふと思い立って、雲海が見えるポイントを探し始めた。というのも、日田では良く霧が発生し、底霧と呼ばれて馴染みがあるのだが、それって、山上から眺めたら雲海じゃないかと気づいたのがきっかけ。 それまで隣町の玖珠盆地で、見事な雲海が現れることを先輩から聞かされていて、いつか拝んでみたいと思っていたのだが、いや待てよ、同じ盆地ならこの日田でも同じことが起こっているはずと考えた。果たして、目星を付けた数ヵ所にリサーチを掛けたら、あ

秋よ春よ。 2019.10.15

鮎釣りが終盤を迎え、川の色は澄み始め、川面を滑る風はいつしか涼風に変わる。朝晩は、めっきり気温を下げて、日課の朝の散歩は、半袖から出た腕やビーサンの素足が冷たく感じ始める頃。そんなとき現れる大好きな花がある。金平糖を散らしたようなミゾソバだ。 赤に近い紫と白で構成される花は、紡錘状の蕾の固まりがすでに花の趣があるが、そのひとつひとつがまた開花するのである。文字通り溝のような場所に群落を成し、黄緑の葉と茎の上に多くの花が付く。茎が長いので、秋風に揺れるリズムはゆっくりに見える

川よ、さらば。 2019.10.9

春のヤマメ釣りに始まった川通いは、鮎の納竿を持ってその幕を閉じる。3月から数えて7ヵ月強。毎年、半年以上に亘って、川を想い、川に遊び、魚と戯れる。しかし、いざオフになったら、きれいさっぱり川から釣りから遠ざかる。このパターンをもう40年続けている。 大学の授業も、このオフに詰め込んだというのが真相だ。物わかりのいいM教授に感謝したい。ヤマメのフライフィッシングは、20代前半から始めたが、鮎の友釣りはまだ13年を終えたところだ。次男が生まれたその夏に始めた。以後、3月から5月

山上の夜宴。 2019.8.26

僕は2年ぶりの参加だった。この山上の宴は、男池散策と並ぶ、ここのえ低山部の主軸の行事になってきた。翌朝、近所の山に登るのが唯一の低山部らしい活動だが、主役は飲食とお喋り。F隊員が営む標高800mにある旅館叶館の、美しく手入れされた庭が宴会場だ。 当初は、F隊員が料理を担ったが、それでは本人が楽しめないと、料理人を立てるようになった。イタリアン、フレンチと来て、今年は和食。とても幸運なことに、料理人たちが来たがってくれる。一方の主役として、後半はお喋りの輪に入るのも楽しいらし

梅雨に籠もる。 2019.7.11

五月の陽光が熱を強めて行き、初夏の陽射しが勢力を高める頃、出鼻をくじく梅雨が訪れる。ヤマメ釣りを存分に楽しんでのち、夏最大のエンターテイメント、鮎の友釣りが5月下旬に解禁になる。満を持して、長竿を担ぎ、流れに立ち込み始めると、嗚呼入梅の知らせ。 降り続く強く大量の雨で、川は一気にカフェオレ色の奔流となり、釣りも何も、川に近づけなくなる。まさに去年の今ごろは、日田や隣接する福岡県朝倉エリアは、悲惨な水害が全国ニュースとなっていた。折しも、その降り始めの日、僕は渦中の川に鮎釣り