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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
運営しているクリエイター

#プロジェクト

editforest発進。 2021.4.3

エディットフォレストと読む。和訳だと編集の杜。なんだそれ。まあ、そうだよね。そもそもの始まりは、九州経済産業局のデザイン系のプロジェクト。普通なら、クリエイターが集結するその場に、西日本新聞社が参加していた。それがすでに新しい萌芽だった。 言うまでもなく、マスメディアは変化の只中にある。情報を筆頭に、膨大なストックを持つ新聞社が、クリエイティブに関わる可能性は大いにある。時はコロナ禍の只中。繰り返されるオンライン会議。言葉少ないTさんが、ある瞬間にいきなり饒舌になった。僕が

熊本川辺川。 2019.9.8

名前はもちろん知っていた。伊達に釣り人はやっていない。球磨川の上流部、鮎で著名だが、釣り仲間たちからは本流でヤマメのライズがあると聞いていた。もっとも、基本遠征をしないので、他人事のように眺めていただけだった。それが突然我が事になりそうな展開。 熊本県相良村は、その川辺川が貫流するロケーションにある。川同様、村の名前は知っていた。その村から、ブランディングのご相談。仕事のキャパ的には限界に近づいているが、とてもむべにお断りする気にはなれなかった。取り敢えず、数度のSkype

誰が言う? 2019.7.5

粋に生きたい。野暮はご免被りたい。遊びでも仕事でもそれは変わらない。仕事なら誰も解けない難問を鮮やかに解決したいと思う。でもそれは、願っているだけで実現するわけではない。そびえる壁をいかに超えるか。横たわる谷をどう渡るか。猫に鈴、火中の栗。 仕事では、たくさんの会議や打合せを行う。計画やイメージを共有するのは当然だが、試されるのは必ず訪れる難局打開の仕方。そしてその多くは、人が絡んでいるので、現場には感情と欲望が混ざった渦が巻いている。保守、誤解、拒絶、保身、嫉妬、悪意など

ある日辺境で。 2018.12.13

ある日、野暮用でO君を訪ねた。東京から熊本の山間に移住し、いまは貸しコテージや薪販売、NPO運営などさまざまな活動を行っている。コテージと自宅がある広大な敷地。見渡す限りの山、山、山。この場所も山の上。絶景の中に暮らすってこういうことなんだ。 泊まってもいいよ、メシでも喰いましょうとうれしいお誘い。どうせなら、釣りおバカカルテットの忘年会も兼ねようかと思ったら、すでに声掛け済みで、その他にも豊後大野のゲストハウス支配人や竹田のイタメシ屋オーナーシェフまで集合。村の役場の方も

股旅道中。 2018.10.26

旅が多い。ここ何年もあちこちに出かける仕事が続いている。最初は楽しかったが、これは遊びの旅行じゃないんだと気づいてから、移動を減らすことを考え始めている。昨年からスカイプを積極的に使うようになったが、まだまだ出張が劇的に減るには至らない。 9月から、後期を受け持っている大阪芸術大学の授業が始まったので、毎週の大阪通いもスタート。おまけに、10月は大分での4週連続の総合デザイン実践録も開講したこともあり、月の3分の1が外泊になった。大分には現在別宅があるので、すべてがホテルと

ルアー開発。 2018.10.7

分野を特定しない仕事をしたくて、屋号をBunbo(分母)とした。これまで、多様な領域の分子とさまざまなプロジェクトを行ってきた。毎回ジャンルが違っても、コンセプトワークと戦略提案、そしてクリエイティブディレクションが主軸となる。ここはいつも同じ。 しかし、時折コンセプトワークだけとか、商品開発だけを依頼されることもある。今回の、鹿児島南大隅町の観光計画における土産品開発のご相談もそうだった。現地は九州の最南端、通常の解決策では答は見えないと思われた。どんな案件もご希望を超え

ハードワーク。 2018.10.2

子供の頃からだろうか。ハードワークを好まない傾向がある。ただ、怠け者とは少し違う。対象によっては、延々と入れ込んで多大なエネルギーを注ぐ性癖も併せ持っている。長じても、ワーカホリックは毛嫌いしてきた。忙しさに価値を置く感覚は、僕にはまるでない。 近頃、一般の人とは異なる生き方だと改めて自覚する。川に近い田舎に住んで、生業はプロデュースという希な仕事。マイペースでやってきたが、最近ふと我を顧みることがある。すべてをノンビリやることは、果たして善なのか?世間の物差しに近づく気は

文脈の消失。 2018.8.17

さまざまなプロジェクトが、時間を掛けて成就をめざす。発芽のようなアイデアの湧き出しがあって、発想は構想となって具現化が始まり、流れは太く強くなって加速する。しかし、一方では、その途上で計画の迷走や暴走が起こることがままある。なぜだろうか? 根の枯れた大木、文脈の断絶。言い方はいろいろあるが、過去からの経緯が共有されないのは時限爆弾を抱えるに等しい。いや、知ってはいるだろう。お伽話のように。聞いてはいるだろう。フィクションのように。芽の成長の話なんて地味すぎる。物語がいかに始

トルクの維持。 2018.7.25

昔、モータースポーツをちょっとだけ囓ったときに、クルマのメカニズムについても、多少理解を深めることになった。エンジン、シャシー、サスペンション。原則的なことばかりだが、そうかそうやってクルマって走るのかと、腑に落ちることがいくつもあった。 例えばトルク。正確には、ねじれモーメントというらしいが、実感としては回転力だろうか。アクセルを踏み、一旦、吹き上げたエンジンの回転数がすぐに落ちるか否か。レーサーはアクセルの動きに敏感に対応するが、ファミリーカーは落ちにくく運転がしやすい

真意を汲め。 2018.7.8

提案の日々である。いや、これは我が身だけに限るまい。仕事と呼ばれる大半が、クライアント発の課題の解決にあるはずだ。勢い、ヒアリングは課題の確認に当てられるが、このときにほぼ勝負が決まる。クライアントの言葉を如何に聞くかがその分かれ道。 本質を強く意識していないと、言葉面に惑わされる。気弱だったり、真面目すぎても、結果は往々にして同じになる。クライアントが課題を説明する。こんな解決が考えられると具体案を示すかも知れない。ダメなヒアリングは、これをどっぷりと聞いてしまう。そして

OrigeとKibiru

福岡県の八女郡広川町のプロジェクト、ひろかわ新編集が走り出して3年目。大都会でもなければ、すごい田舎でもない。中途半端なと思いがちだが、小さな宝がたくさんあるとも読めた。繋ぎ方と紡ぎ方が鍵を握るというわけ。だから、新しい編集が必要だった。 挙げれば、久留米絣の工房がいくつもあったり、イチゴなど果樹農家が多かったり、ガーベラなどの花卉栽培も実は盛んだったり。一色に染まっていないから希薄な印象なのだろう。もちろん、そもそもの戦略的仕掛けや広報が足りないのは明白。2017年、年明

陳腐な栄養。 2018.3.3

先頃、企画段階の重要性について書いた。どんな計画も、ここでおおよそは決まってしまうから、僕らプロに頼むならここからにしてという、半ば懇願。これと強い関連を持つ類似の状況に、可視化の初期、あるいは具現化の入り口における陳腐な栄養の注入がある。 企画段階では、新しいアイデアほどイメージが伝わりにくい。見たことのないそれが、抽象的であるのは自明の理。企画が困難で難解なのはこのためだ。ここでごく少数の理解者、賛同者が現れて、発想は構想へと進み始める。多くは遠巻きに訝しげな視線を投げ

トーク2態。

いつの頃からか、トークイベントに登壇することがとても増えた。レクチャーは、ひとりでレジュメに添って、自分の仕事の紹介を中心に喋ることが圧倒的だが、セッションは概ねゲストが複数いて、その中のひとりになったり、進行係のファシリテータになったりする。 プロデュースするプロジェクトから派生するトークもあれば、純粋にスピーカーとして呼ばれることもある。仕事を紹介させてもらったり、考え方を伝える機会をいただくのは、大変ありがたいことだ。また、これは学校などでも感じるが、言葉化のトレーニ

創造は妄想の。 2017.12.28

通称ハイブリッドラボ、化学ベンチャーFILTOMのプロデュースに入って、もう3年。あっという間だった。当初から尾池博士の能力と人柄には強く惹かれているのだが、この3年でそのユニークさと面白さはより鮮明になり、他では得られない上質の刺激を受け続けている。 世界で唯一のフィルター技術であるPD膜分離を活用した生プラセンタ製品群はもとより、固形石鹸をジェル化した洗顔フォーム、温泉水を原料とする化粧水は、じわじわ売れていて、今春には新たなパートナーを得て、通販会社も設立した。実はそ