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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
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2021年2月の記事一覧

品行方正? 2021.2.19

品行方正、少なし仁。若い頃はこんなことを言ってふざけていたものだ。生まれてこの方、優等生だったことは一度もない。当時は開き直って、そんな戯言を吐きながら悪友どもと笑っていたのだが、最近の世の中の潔癖性向には、言いようのない違和感を感じている。 芸能人の不倫騒動はまだしも、政治家の失言やスキャンダルを、針小棒大、なにか大罪でも見つけたように大騒ぎし、ついには引きずり下ろしてしまうメディアと大衆。当事者たちは、まるで社会を清めているようなご気分かも知れないが、本当に良くなってい

枠と中心。 2021.2.14

コンセプトの話をしているとする。どこからどこまでがOKで、どこからがOUTなのか?と尋ねられることがある。つまり、敵は線引きがしたいのだ。明確な正誤の境界があって欲しいと望んでいる。コンセプトメイクとは、枠を作る作業だと思われているらしい。 イメージの話をしているとする。こんなのはどうです?はたまたこれは?と合致しているかどうかを問われることがある。白黒はっきりつけたいようなのだが、イメージの輪郭は概ねボンヤリ滲んでいることの方が多いんじゃあるまいか。だから、コンセプトもイ

赤紙到着。 2021.2.8

この正月で65歳になった。長いようで短いようで。短いようで長いようで。若い時は想像すらできなかった老境。だが、いざ我が身を置いてみると、そこにはまた新鮮な風景が広がっている。いい気なものだ。どんな変遷があったところで、世界の中心はいま、ここなのだ。 赤紙が来ると聞いていた。介護保険を受けることができる事実の知らせを、召集令状の葉書になぞらえる先輩方の洒落。そしてそれは本当にやって来た。誕生日から遠からぬ某日、封書が届いた。中には、赤ではなくて薄緑の「介護保険被保険者証」が入

伊藤靖浩くん。 2021.2.1

2018年の夏、心当たりのない人物からFacebookのメッセージが届いた。突然の連絡を詫びる言葉から始まるその文章には、「FBで偶然見かけたのですが、もしかして36年前に渓流で出会った江副さんですか?人違いならごめんなさい」とあった。たちまち、記憶が甦った。 当時、20代の終盤だった僕は、家業の米屋を手伝いながら、先の見えない日々の只中にあった。一方、24歳の春から始めたフライフィッシングは、病膏肓に入りあちこちの渓流に出掛けていた。中でも良く通ったのが、北九州のダム湖に

右脳と左脳。 2021.1.26

物事は右脳から始まると思っている。感じることが第一義。その解析と言葉化は、左脳が担う。更にこれがデザイン化されるときは、また右脳に渡る。甚だ乱暴な言い方だが、創造とは、恐らくこの両者を往復する中で果たされるんじゃないか。そんな気がしている。 そして、この右脳と左脳を繋ぐのは、脳梁と呼ばれる神経の束なのだが、興味深いのは、ここに男女差が存在すること。モノの本によれば、平均的女性の脳梁は、2億本の神経の束でできているの対し、平均的な男性のそれは1.6億本しかない由。ただ、希に先

作文の巧拙。 2021.1.19

ストーリーのない書籍、例えば経済、哲学、科学といったジャンル、人文学系の読書をしていて度々思うことがある。もっとわかりやすく書けないのか、と。テーマが面白くて手に取った本。論旨をなんとか理解しようと努めるが、わかりづらくてブレーキが掛かる。 これって内容の難解さ以上に、作文の至らなさが原因なのではないか。売文稼業の末席に座らせていただいている身としては、ついそんなことを考える。出会ったことのない新たなコンテンツを、平易に伝えるというのは実に難しい。重々承知。それでも、時に疑

どこを見るか。 2021.1.13

仕事の仕方の話である。どこを見て課題を把握し、解決のアイデアを出すか。このスタンスで、およそプロセスと結果は決まる。多くはクライアント=依頼主を見ながらだろう。直接的な発注者だし、目の前に現れる打合せ等の相手だし。勢いそうなりがちかもしれない。 だが、ここがやっかいな落とし穴で、本当に対峙すべきなのは、クライアントの向こうにいる消費者や世間であり、課題の在処だって必ずその周辺のはずなのだ。でも、話をくれたのは眼前の担当者や社長だし、肝心のお金を払ってくれるのもその会社や行政

無いものねだり。 2021.1.6

これは、自分がいま持っていないモノを欲しがるという意味ではない。この世の中にいまだ存在しない何かを欲っする心情のこと。創造性って、要はここなんじゃないかと思う。見たことのない何かを想像し、それを現実化したくなる欲望と能力のカタチがきっとある。 ここにはなくてあそこにある何物かを欲しがるのは、幼児の本能的我欲にも似て、あまり知的とは言い難い。また、あらゆるローカルにはびこる世迷い言、「ここにはなにもない」は、恐らくしつこく絡みついたこの心的背景と言っていいと思う。因みに、僕の

2021 謹賀新年 2021.1.1

新しい年が明けた。2021年元旦。僕は65歳になった。まさか、こんな齢まで生きながらえるとは、若い時には想像もつかなかった。同時に、歳を重ねるだけ、見たこともない新たな地平が現れる人生の妙も、一度と言わず味わって、毎度不思議な感慨に襲われる。 間違いなく一生の終盤に差し掛かっているのだろうが、明日や未来のことを考えては、常にワクワクしている。過去、そして現在と対峙すると、そこに立ちはだかる課題を、なんとしてでも解決したくなる。この世は希望に満ちていると言い張りたいがために、

釣り師の宴。 2020.12.28

僕の釣りは基本単独行なのだが、ヤマメ釣りは時折気の置けない釣友と遊ぶことがある。気づくと、テンカラやエサなど釣法は違えど、ヤマメを追う釣り仲間たちと繋がって、ちょうど4人揃ったときに、ふざけて釣りおバカカルテットなどと称したのがコトの始まり。 ヤマメは、3月初めから9月いっぱいが釣期で、それが終われば納会ということになる。また、当初メンバーの4人以外にも参加希望があって、しかも複数の料理人が仲間に加わっている。数年間、阿蘇やくじゅう連山を望む絶景の貸しコテージで楽しんでいた

関西周遊。 2020.12.21

11ヵ月ぶりの飛行機だった。コロナ禍は、僕のワークスタイルにも少なからぬ変化を強いた。もっとも、元来リモートを前提の田舎暮らしでもあって、オンラインの普及は僕にとってはほくそ笑むような一面もあったのだが、動けないと動かないは、やはり異なる。 今回は、奈良、大阪、淡路を巡る2泊3日。愛用のリモワを引きずる旅は、実に久しぶりだった。2つの仕事のご相談があり、奈良の案件は現場を見る必要があったので、この機を逃さず旅程を組んだのだった。それぞれに、ありがたくいい出会いがあり、最終目

見えないを見る。 2020.12.14

スピリチュアルな意味ではない。上っ面のわかりやすさばかりを求める近代の風潮に、いい知れぬ不安を覚えている。進んではならない方向へ踏み込んでいるような、それでいてうまく表現できず、深いもどかしさを抱えながら、こうして何度もトライをしてしまう。 そんな最中、面白い本に出会った。「天然知能」という。著者は郡司ペギオ幸夫氏。天然知能とは、AIと対極の知恵の有り様で、データで社会を読み解く人工知能、認知された情報だけで世界を構築する自然知能、さらに未知の何かを抱えながら思考する天然知

過疎と過密。 2020.12.7

コロナ一色となった2020年。暮らしや仕事にまつわるさまざまな価値観が、根底から揺さぶられた1年だった。中でも世間を賑わせたのは、「密」の文字。感染者が明らかに都市部で多発していることもあって、3密などといった新たなキーワードが生まれ、広まった。 しかし、それまで流布していたのは、圧倒的にその対極にあった「過疎」だった。ローカルの地域プロジェクトが多い僕にとって、過疎は日常的に見慣れた言葉であり、概念だ。過疎が起こっているとすれば、その裏側には過密があるはずだった。言わずと

月下のジョグ。 2020.12.1

ジョグはだいたい夕方だ。一通り仕事が収まり、走ってから帰宅後、ほぼシャワーからお酒へと流れる。ところが、思惑通りに行かないときもやはりあって、スタートが遅れてしまうと、神社横の大原山を走るのは暗すぎる。こんな時は、諦めるかグラウンドに行く。 家から数十メートルで中学校のグラウンド。部活が終わった後は時々ジョガーが走っている。陽も落ちると暗くはなるが、道路と比べれば運動場は格段に安全に走れる。いつものコースと違い勾配もないので、それも気楽な理由のひとつ。それだけでも御の字だが