「やるべきこと」ばかりをやってきた男の日記・9

おはようございます。

順序的に、今回の更新は小説の続きを投稿する予定でしたが、
ここ数日で個人的気づきがあったことを忘れないためにもこの記事を投稿しました。

今後の活動のヒントになりそうなものでしたので、まずはアウトプットとしてここに記載しようと思います。 短めです。

では。


■どぐらさんの「クソキャラ列伝」という動画シリーズについて

私がよくYou Tubeで視聴させていただいてる動画のシリーズがあります。

それはプロゲーマーの「どぐら」さんが投稿している「クソキャラ列伝」という動画です。

これは、数ある格闘ゲームの長い歴史の中から、
「あまりにも強すぎる」
「他キャラより明らかにゲームシステム的に優遇されている」
「こんなキャラにどうやって勝てばいいんだよ!クソゲー!と叫びたくなる」
ようなキャラクター、つまり「クソキャラ」を紹介する動画シリーズです。

※どぐらさんのYou Tubeチャンネルはこちらからどうぞ。

紹介されたキャラクターが登場する作品をプレイしていた方には、
苦い思い出がよぎるような動画ではあるのですが、これがとても面白い。

その面白さについて自分なりに考えました。


もう本題だけ言ってしまいます。

端的にいうと「強い共感」「未知の知識への欲求」という点がポイントなのではないかと思っています。

私自身、割と昔から下手の横好きで格闘ゲームに触れてきました。

そのなかで対戦をすることになるのですが、
「なんだよこれ!どうやって勝てばいいんだ!」
とか
「こんなキャラ使ってるんだから勝つに決まってるじゃん!プンスコ!」
といった憤りを覚えることは誰しもあると私は思っています。

大体は自分がうまく動かせていなかったり知識がないことに起因するんですが、
それでもそう思っていないと「自分の精神(プライドともいう)」を保てないのです。

明確に勝敗が決まるものですから、なおさらです。

格闘ゲームプレイヤーなら誰しもが感じるであろうその経験を、
どぐらさんのツッコミや
講師の先生(そのキャラクターを持ちキャラとしていた方など)の解説によって紹介されることで、

「そうそう!そうなんだよ!やっぱりおかしいよね!」

というような「強い共感」を呼んでいるように思いました。

広告やマーケティングの施策として、「共感」が重要であるという話があると思いますが、まさにそれに相当するものだと思いました。


そしてもう一つ「未知の知識への欲求」というものがあります。

毎回解説に登場する講師の方は、
クソキャラを自身の持ちキャラとして使用されていた方だったり、
深くそのゲームを研究されていた方々です。

いわゆる専門家ですね。

その方たちが解説していくなかで、
「実はこのゲームには、こういう仕様があるんです」といった、
なかなか普通にプレイしていただけでは、
知ることのできないような知識も随所に差し込まれています。

その度に「へー!そうだったんだ!」というナルホドが脳内に芽生えるのです。

そのため、見る度に新しい発見があり、その欲求を満たしているように感じます。

そしてそもそも、格闘ゲームが好き、というのもあるのかもしれませんね。

まとめると、「強い共感を呼ぶ方法」と「未知の知識への欲求を満たす方法」のヒントは、どぐらさんの「クソキャラ列伝」にある、というものでした。

※スピンオフの「よわキャラ(弱いキャラ)」や「たまキャラ(プロゲーマーの魂のキャラ)」も超絶面白いです。


あー もう一つ気づきのあったものがあるのですが、時間的に厳しいので帰ったら更新します。

ではでは。


ということで帰宅しましたので更新です。

やる気が無くなる前にPCに向かう。 頑張ってます。

■イラストが描ける人は称賛を集めやすい説について

これに関してそんな「説」がある、というわけではありません。

私が勝手に思い込んでいる説であります。

私も人並みにSNSは利用するのですが、色々利用していくなかで
「フォロワーを獲得しやすくする方法」
「いいねやRTをもらう条件」について考えていました。

当然のことなのですが、「褒められるに値する材料を持っていること」だと思います。

そりゃあいいものに対して「いいね」をするのだから当然だろう、という話なんですが、
じゃあその「褒められるに値する材料」ってなんだ、というところなのです。

考えられる材料としては、

・なにかの専門知識が豊富
・歌が上手い
・美しい写真を公開している
・容姿が優れている
・絵が描ける
・斬新で美味しいレシピを紹介できる
・誰もが笑ってしまうユーモアを持っている

などなど、挙げればきりがないのですが、これらの材料は、ある一定以上のスキルを発揮してから初めて材料になるものではなかろうか、と思うのです。

歌が上手いと言っても、コメントしづらいレベルだったり、
専門知識とはいえど、少し調べればすぐ出てくるものだったり。

美しい写真、といっても他によっぽどきれいな写真を投稿している人がいたり。

とまぁとりあえず、付け焼き刃ではなかなか材料としての役割を果たせないのではないかなと。

しかし、その中においても、「絵が描ける」というのは少し毛色が違うのかな、という風に私は考えました。

絵は描く人毎に個性がかなり強く出てくる分野であると思います。

同じテーマを扱っても、Aさんの作品とBさんの作品では「味」が違う。

そのため、例えその絵のレベルが神絵師と呼ばれる人との間に雲泥の差があったとしても、それぞれの味として認めてもらえる可能性が高いものではないだろうか、とSNSを見ていて思ったのです。

同じことをしていてはすぐに埋もれてしまう情報社会において、
こういう独自性を出せる強みは相当な武器であると考えます。

そのため、私は「イラストが描ける人は称賛を集めやすい説」というものを信じていたりしています。

とある人の話で「個性は出すものじゃない。出るものだ」というものがありました。

うーむ。 いまは文字だけで試行錯誤している自分。

もっと柔軟に、色々な可能性を模索せねばなぁと今日も頭を悩ませています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?