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昭和恐慌とは

できるだけ、わかりやすくご説明いたします


〈目次〉
1. 昭和恐慌の概要
2. 日本を襲った世界恐慌 
3. 金輸出解禁とデフレ
4. 農業恐慌
5. 昭和恐慌に向けた4つの対策


1.昭和恐慌の概要
昭和恐慌とは、1930年〜1931年にかけて日本を襲った深刻な不況のことを言います。

昭和恐慌が起こった原因は大きく2つあります。

原因その1:1929年に起きた世界恐慌の影響を受けた

原因その2:1930年に金本位制と再開させた(金輸出解禁)

2.日本を襲った世界恐慌
1929年、アメリカのニューヨーク株式市場での株価大暴落をきっかけに、世界が大不況に見舞われました。(世界恐慌)

世界恐慌による不況の波は、アメリカから遠く離れた日本にまで波及しました。

世界各国の経済活動が停滞してしまったため、日本からの輸出品が全然売れなくなってしまったのです。

輸出品が売れなくなると、売れ残った商品を売り切るため、商品の値段が急激に下がり始めました。

商品価格が下がって会社の利益が減ると、会社はリストラをしたり設備投資を中止したりして、節約するようになりました。

そして、リストラによって収入を失った人々は物を買えなくなり、会社の設備投資が減れば、それを請け負う別な会社の商品やサービスも売れなくなってしまいます。

そのため、輸出品に関係のない商品・サービスまでもが、買ってくれる人を増やそうと商品・サービスの値下げを始めました。

このように、スパイラルが起こり、大不況が日本を襲うことになりました。


3.金輸出解禁とデフレ
デフレ→不況という流れにさらなる追い討ちをかけたのが、1930年1月に実施された金輸出解禁(金本位制の再開)です。

ちなみに、金本位制とは「国家が金を保有して通貨との交換を認めることで通貨の信頼性を担保する制度」のことです。

金本位制を維持するためには、国が保有している金の保有量が世に出回っている通貨より必ず上回らないといけません。(「国が保有する金保有量」>「通貨量」ということ)

そこで日本政府は、金本位制の再開(金輸出解禁)に向けて、国家が保有する金の保有量に通貨量を合わせるため、世に出回っている通貨の量(マネー=ストック)を減らすことにしました。

この日本政府の政策が、世界恐慌で傷ついた日本経済にトドメを刺してしまいます。

問題なのは、『世に出回っている通貨の量(マネー=ストック)を減らす』って部分です。

世の中のお金を減らすと、みんな今まで以上にお金を使わなくなります。そうなれば、ますますデフレ(商品価格が下がる)になって、景気はさらに悪くなっていきます。

世界恐慌&金輸出解禁のダブルショックによって、日本は昭和恐慌と呼ばれる大不況時代に突入していったのです。


4.農業恐慌
昭和恐慌は、日本のあらゆる産業にダメージを与えましたが、特に農業へのダメージが深刻でした。

そのため、昭和恐慌のうち農業分野に及んだ不況だけをピックアップして農業恐慌と呼ぶことがあります。

農作物の価格が大暴落したことによって農民たちの収入はガタ落ち。農民たちは貧困のどん底に突き落とされました。

もちろん、工場で働く労働者たちもリストラされて生活に苦しみましたが、農民たちはそれ以上に厳しい生活を強いられました。

理由の1つは、農村の主力商品だった米・生糸の価格の暴落が激しかったためです。

もう1つの理由は、出稼ぎで都会に出ていた労働者がリストラにあって、一気に農村に出戻りしていったためです。

ただでさえ生活に苦しいのに、農村ではリストラされた労働者をも受け入れる結果となり、困窮に拍車がかかったのです。


5.昭和恐慌に向けた4つの対策

日本政府は、昭和恐慌でボロボロになった経済を回復させるため、大きく4つの政策を打ち出しました。

対策1:金輸出再禁止
1931年12月に犬養内閣が成立すると、大蔵大臣になった高橋是清が中心となり、本格的な経済対策が始まります。

先ほど紹介したように、金本位制の再開によるマネー=ストックの減少が昭和恐慌の一因でした。

高橋是清は、大臣就任直後の12月に金輸出再禁止を決定しました。

その代償として、金による担保を失った日本円の価値は大暴落し、為替相場は大幅な円安で推移してしまいます。

ただ、円安には輸出品の国際競争力を高める効果があります。世界恐慌によって急減した輸出品ですが、大幅な円安によって息を吹き返すことになりました。

対策2:マネー=ストックの増加
金輸出再禁止によって金の保有量に合わせてマネー=ストックを減らす必要がなくなると、高橋是清は逆に、マネー=ストックを増やすため世の中に一気にお金をばら撒きました。

先ほどマネー=ストックの減少が昭和不況の一因になったという話をしましたが、逆にマネー=ストックが増えれば、世の中に出回るお金が増えて、人々は値段が高くても物を買うようになります。

物が高く売れれば、企業の業績も良くなって企業活動が活発になったり、給料がUPして、さらに高くても物が売れる、という好循環が期待できます。

高橋是清は、マネー=ストックを増して正の好循環を生み出すことによって、昭和恐慌を乗り切ろうと考えたのです。

金本位制から解き放たれた政府は大量のお金を刷って、そのお金を政府支出として世間にどんどんばら撒きました。

支出先は大きく2つあって、軍事費と農村経済を復興させるための公共事業に多額のマネーが投じられました。

対策3:重要産業統制法
1931年、政府は商品価格の下落を防止するため、重要産業統制法という法律を制定しました。

重要産業統制法は、企業のカルテルを政府が公認する法律で、カルテルを通じて商品価格の下落を防ごうとしたのです。

対策4:農村経済の立て直し(農山漁村経済更生運動と事業)

特に被害の深刻だった農村に対しては、2つの政策を行いました。

1つは、時局匡救事業と呼ばれる公共事業です

政府は公共土木事業をたくさん実施することで、農村の人々に仕事を与えました。

もう1つは、農山漁村経済更生運動という取り組みです。

農山漁村経済更生運動では、農民たちに補助金を与えたり借金の返済期間を延長することによって、農民たちに立ち直りのチャンスを与えました。

さらに、各町村ごとに経済立て直し計画が策定され、町村の有力者を中心として人々が一致団結する体制が出来上がりました。 

5.昭和恐慌が日本に与えた影響
日本政府、高橋是清が行った対策は大成功しました。輸出の大幅増加、軍事産業の発展を招き、1933年には日本は不況から脱出することができたのです。


以上

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