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東京タワーの建設は、ほぼ手作業だった



東京タワーの建設は、急ピッチで進められました。要求納期はかなり厳しかったからです。



昭和32年6月に工事が始まって、完成は昭和33年の12月だったので、たった1年半で建設が完了しました。


のべ約22万人の作業員が工事に関わり、朝6時~夜6時までの長時間作業が続きました。


■大活躍した鳶職人


高層部分の建築は、鳶職人が行いました。

鳶職人には、命綱はありません。


多いときでは、約60人もの鳶職人が高層部で仕事をしていました。


建設中の鳶職人


納期が厳しいことから、風速15m/sまでなら作業を行っていたのです。


東京湾からの突風が吹くこともあり得ます。
まさに命がけの作業です。


当時はクレーンもないので、部材はゴンドラに乗せて高所に運んでいました。 


作業場まで作業員を運ぶゴンドラ



■伝説の「死のキャッチボール」


鉄骨をつなぐ鋲(びょう)を、まるでキャッチボールのように渡していました。



通称「死のキャッチボール」です。



800℃まで熱した鋲を、各作業場所までパスします。


東京タワーの鉄骨をつなぐ鋲(びょう)



鋲を受け取る鳶職人は、金属製のバケツで800℃の鋲をキャッチします。


死のキャッチボールは、約28万回も繰り返されました。



このようにして東京タワーは、ほぼ手作業で建設されたのです。



■東京タワーには戦車の鉄が使われた


東京タワー建設には、頑丈な鉄が必要でした。



ちょうどその頃、朝鮮戦争で休戦協定が結ばれ、アメリカの戦車が民間に払い下げになりました。


東京タワーでは、そのアメリカの戦車の鉄を使用しました。戦車の鉄は良質で頑丈でした。



■東京タワーの高さは333m

東京タワーの高さは333mです。
当時、世界一高い建造物であったパリのエッフェル塔(312m)を抜いて、東京タワーが世界一の高さになりました。




参照元: 「建設業界ニュース」Webサイト

以上

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