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旅日記:成都詩祭レポート その1

9月11日 

夕方羽田を飛び発ったANAが下降してゆく。夕陽を追いかけて西へ3350Km移動したけれど、日没はとうに過ぎていてあたりは真っ暗だ。座席に埋めこまれた液晶ディプレイに成都の夜景が映し出される。

空の上から見下ろす都市の夜景はどれも同じに見える。ここがベルリンであっても、モスクワであっても区別できなかっただろう。あるいはこれは現在の都市ではなく、遠い過去の光なのかもしれない。例えば1938年あたりの。日本軍は重慶だけでなく成都も空爆したのだろうか。

液晶ディスプレイの画像は儚く、寂しげで、それでいて妙に生々しい。人間の脳のようだ、と僕は思う。青白く瞬いている光の一つ一つが、シナプシスの結合。一瞬の想念であり、時間を貫く記憶なのだ。もしかしたらそこには今まさに書きつけられている詩の一行だってあるのかもしれない。

着陸。現地時間午後9時過ぎ。税関やパスポートコントロールはあっけないほど簡単に通り抜けられる。僕が最後にこの国を訪れたのはもう三十数年前だ。天安門事件よりも以前のこと。当時の空港は薄暗く、物々しかった。

ボランティアの女性が「成都国際詩祭」と書いたプラカードを持って出迎えてくれる。李清と名乗る。Li Qing、繰り返して発音すると早速四声を正される。パッと見には中学生のようだが、地元の大学の三年生、英文学と翻訳理論の専攻なのだそうだ。彼女はiPhoneで運転手を呼び出す。三人で駐車場に向かう。運転手の若い男は英語を話さないが、車はトヨタの最新型ランドクルーザーで、シートは革張りだ。

李清とボソボソ話しながらホテルへと向かう。地上から見る成都の街はだだっ広く、高層ビルがそこかしこに肩を寄せるようにひしめき合っている。ネオンサインの活字がやけに大きい。人工衛星からだって読み取れるのではないか。夜空に「口腔」という文字が浮かび上がっている。歯科専門病院なのだろう。まるで未来都市のようだと思う。実際に、そうなのだ。僕は三十数年の歳月をワープして未来にやってきた。

宿舎のホテルも馬鹿でかい。正面に巨大な電光掲示板があって、真っ赤な漢字の列が流れている。そこに一瞬、「詩」の一文字が浮かび上がったような気がする。ロビーはがらんとしている。僕がチェックインするのを見届けて李清は帰ってゆく。カウンターに戻って、バーはないのかと訊く。メイヨー。どこかビールを買えるところは?メイヨー。カウンター嬢は不思議なことを訊かれたという表情で繰り返す。

302号室に入る。部屋もでかい。浴室とウォークイン・クローゼットを通り抜けてベッドルーム、その向こうにソファーセット、そのさらに向こうに書斎風のデスク。端から端まで宙返りしながら床運動の演技だってできそうだ。李清から貰ったパンダの縫いぐるみを手に、僕はいささか途方にくれる。

(続く)


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