細田傳造 『アジェモニの家』を読む
二週間かけてシベリア経由で日本に行って、三週間うろうろして、ミュンヘンに帰ってきてからも友人とふたりでチェコを旅したりして、二ヶ月ぶりに静かな日常が戻ってきた。これまで読めていなかった詩集を少しずつ読み始める。
今日読んだのは 細田傳造の『アジェモニの家』。朝食の席で手にとってそのまま一気に最後まで読み通してしまった。こんなにすごい詩人がいたのか、とびっくりする。
中学が通る
朝七時四十七分
中学がふたり
小声で話を
しながら通る
(略)
中学が通る
おなじ大きさのカバンを背負って通る
鞄の中にはみんな
おなじ大きさの雲と殺意が
詰まっている
重いでしょデカルトカント
ショーペンハウエル
「中学が通る」より
といった現代日本の鋭利なスナップショットもあれば、次の作品のように自らの生活の現実を詩に変容させたものもある。
アンゴラの
シャツに包まれたパチュの背中
温かい
連翹の咲いている峠から
陽が差してきて
外に
風が渡ってきた
町から
魚と人糞の匂いが流れてくる
野兎の走る時刻だ
さあ御襁褓を替えてあげよう
走れけさのパチュよ
「パチュの背中」より
かと思えばこんな不思議な世界も。
枝にぶらさがって
桐のひと葉になって
落葉するのを待った
息がきれてしまったら
黄色くなってひらひらと
愚者の庭に落ちていきましょう
幸吉は今、
高い所にいます
「秋」より
軽妙な語り口で、平易な言葉使いなのだが、そこから現出する光景は奥深く、謎めいていて、凄みを感じさせる。
時間(しかん)はあと三十分程度で
金浦国際空港に到着(とちゃく)します
もうすこしで着くねかける
かけるは返事をしない
小さな口を固く結びうすくわらった
わたしにはかけるの心象が見えている
軽蔑(きょんみょる)
時間とか
空間とか
地平とか水平とか
哀惜(はん)とかへの
軽蔑が見えている
「軽蔑」より
かけるに読まれてもキョンミョルされない詩を書かねばと、喝を入れられた気分である。
後半には「数」(三十万なんてコロシテないよ)や「タシュケント」など、戦争の記憶にまつわる作品も登場する。
薄い詩集に収められたわずか二十幾つの作品が、この詩人の底知れなさを雄弁に物語っている。世界中の詩人に読ませてやりたい。だれか英訳してくれないものか。
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