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成都詩祭レポート その2:ショータと古都をさまよう

9月12日

朝食を取りにゆくと、驚いたことにオランダのヤンがいた。彼とは6月に会ったばかり、ロッテルダム詩祭のプログラム・ディレクターである。隣にはウルグアイからきたという詩人。立ち話で、シュペルヴィエルのことなど。

そこへショータがやってくる。彼はジョージア(旧グルジア、ですね)の詩人。最初に会ったのは10年以上前のルーマニアで、その時には白石かずこさんもいた。ショータというのはれっきとしたジョージアの名前である。最後に会ったのは去年の5月、グルジアでの詩祭だった。

顔を合わせるなり「今日はどうする?何をすればいいと思う?」ときいてくる。プログラムによればこの日は夜にレセプションと夕食会があるだけで、昼間は自由なのだ。僕は一人で写真を撮りに行きたいと考えていたのだけれど、まあこれも縁だ、付き合うことにするか。

ロビーにはボランティアの学生たちがたむろしている。なかに李清も。街を散策するとしたらどこかがいい?寛笮巷子(Kuan Zhai Alley)という旧市街がいいよ。清の時代の小路が残ってる。

地図を広げて場所を確認し、ホテルからの歩き方を訊く。学生たちが集まってきて様々に意見を述べる。みんな言うことが違う。詩祭を取材にきていたテレビ局のカメラマンが、地図とは全然反対の方向に歩いてゆけという。でも地図だと……。いや、地図が間違っている、確信をもって彼は断言する。

この間ショータはホテルの玄関でぼけーとタバコを吹かしている。楽して生きてゆく詩人。

うだる暑さの中を歩き始める。東京よりも湿度が高い。もっと内陸性の乾いた気候だと思っていたのだが。道路はだだっ広い。あたりには共産党や軍の大きな建物がぽーんぽーんと建っていて、勇ましい標語ばかりが目立っている。

タクシーに乗った方がいいんじゃないか、とショータが言う。どこまでも自分の足で歩いてゆくタフなタイプかと思ったら、けっこう軟弱なのだった。

タクシーを捕まえるのにまた一苦労。道路が広く、時には歩道近くを反対方向にバイクが走ったりしているので、タクシーまでの距離がすごく遠い。彼方を通ってゆくタクシーには大抵客が乗っている。

ようやくたどり着いた目的地、寛笮巷子は、いかにも昔の町並みを再現してみせました、という感じの観光地であった。

観光客はほとんどが中国人だ。みんな楽しそうに写真を撮りあったり、土産物を買ったりしている。

ミュンヘンにやってくる中国の人たちは、写真を撮られる方も撮る方も京劇みたいに派手な仕草が見ていて面白いのだが、本場でもそれは変わらない。ショータも携帯を取り出して自撮りしている。

土産物屋で目立つのはパンダである。成都にはパンダの繁殖場があって、観光スポットになっているのだ。

道端には屋台が軒を並べて土産物や食べ物を売っている。トランプを売っている屋台。ショータがその一つにオサマ・ビン・ラディンの顔を見つけて大喜びしている。その右隣には毛沢東、左にいるのはなんとプーティンである。ショータは唐詩のアンソロジーのトランプを買い、僕は毛沢東の詩集トランプを買った。

このあたりでようやく21世紀の中国にやってきたんだなあ、と言う実感が湧いてくる。

あ、道端で耳掻きしている!

耳掻き師(というのかどうかは知らないが)の額につけた懐中電灯が、客のこめかみ辺りに小さな光の輪を投げかけている。彼はそれを頼りに、客の耳の奥を覗きこむのだ。まるで形而下的な精神分析医のように。

二人でぶらぶら小路から小路へと歩きまわる。

ビールが飲みたい、とショータが言う。

(続く)



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