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成都詩祭レポート その3:ショータとビールを飲む

ショータがビールを飲みたいといった。

かと言って自分から店を探す気配は全くない。こっちに頼りきって後をついてくる。まあ、周りが訳のわからない表意文字ばかりだと、途方に暮れた気持ちになるのかもしれないな。

レストランと思しき店の前で、おじさんが細長いカスタネットのようなものをカチャカチャ鳴らしながら、カンフーみたいなポーズを取って見せている。

呼び込まれるままに入ってみる。

店内は落ち着いた木の床で、広々としていて、とても洒落たところだ。天井は吹き抜けになっていて、二階部分がテラスになっている。

一階の一角にはガラス越しに厨房が見えて、うまそうな料理が並んでいる。

観光地だから英語のメニューがあるかと思ったが中国語だけだ。ウェイトレスの娘さんにBeerと言っても通じない。試しに日本式に「ビール」と言ってみるけどやっぱりだめ。ショータが泣きそうな顔になる。

メモ用紙を取り出してビール瓶一本とコップ二杯の絵を描いてみる。うまそうに飲む仕草までする。娘は首をかしげる。なんでこんなに明白な欲求が通じないのか。その時思い出す。僕らは共に漢字文化の民ではないか。

「麦酒」と書いていみる。娘は首をかしげる。それからこっちの鉛筆を使って、「啤酒」と書いて差し出す。今度は僕が首をかしげる。それからはっと気づく。なるほど中国では外来語を意味だけではなく音でも漢字にするわけか。これは卑弥呼の「ひ」、だからビールに違いない。

僕は大きく頷いてみせる。すると娘はさらに鉛筆を走らせて「冰的」というのと、「常温」というのを並べて書く。これは簡単だ。僕は「冰的」に丸をする。すると今度はメニューを差し出して、ある一角を指し示す。10個以上あるブランドのどれにするか選べ、ということらしい。僕はテキトーに「雪花啤酒」というのを指し示す。

ショータが黙ってそのやり取りを見ている。その表情はどこか憂いを帯びている。何かとんでもない非ビール的な物が運ばれてくるに違いないと思い込んでいるようだ。悲観的なグルジア詩人。

果たしてよく冷えたビールが二本運ばれてくる。ショータが満面の笑みを浮かべる。僕たちは乾杯をした。

しばらくするとショータがタバコの箱を取り出した。火を持っているか、と僕に聞く。持ってるわけないじゃないですか。彼はここにいたってようやく自発性を発揮して、ウェイトレスの娘に向かってライターで火をつける仕草をする。娘が顔の前で手を振る。店内は禁煙なのだろう、と僕らは思う。見回すと誰も吸っている客はいないからだ。ショータは恨めしそうにタバコをしまう。僕らはボソボソと話しながらビールを飲む。

と、厨房の奥から娘がグリル用のチャッカマンを持ってやってくる。嬉しそうにカチカチと火をつけてみせる。ショータが咥えたタバコを突き出すと先端に着火する。ショータ笑顔。娘、踵を返す。昼食どきで忙しいのだ。

「灰皿ねえかな?」とショータが云う。僕はまた娘を呼び寄せて、メモ用紙に「灰皿」と書く。娘が灰皿を持ってくる。ショータは感服しきった顔でそこに灰を落とす。僕は得意気にあたりを見回す。と、僕の頭の上の壁に「不能抽烟」と書いてあるではないか。

「ここ、やっぱり禁煙だってさ」と僕は云う。「ええ?」ショータはタバコを手にびっくりしている。それからゲラゲラ笑い出す。僕はこの街が大好きになる。

娘が戻ってきてまたメモ用紙になにやら書き付ける。「点汁」とか「菜」と云う字があるところを見ると、何か食べないのか?と聞かれているらしい。もう少しあとで、と答えたい。どう言えばいいのだろう。「後時」と書いてみる。全く通じない。娘は、まあ勝手にやってなさいな、と云う感じで立ち去ってゆく。

僕らはまたボソボソと話しながらビールを飲み続ける。話すべきことも、ここでビールを飲んでいる必然性も全くないのだけれど。日常の奥からひょっこり転がりだしてきたような空っぽの時間。虚ろさのなかに漂う仄かな充実。

ショータは携帯で電話をかけ始める。通じないようだ。陰鬱な顔を浮かべている。表情豊かな詩人。どこの誰と話したいのだろうか。僕は彼の私生活を全然知らないと、改めて気づく。彼にも家族がいるのか。娘の宿題を見てやったりもするのだろうか。

お前の携帯にはグローバル・ローミングがあるのか?ちょっと使わせてくれ。大切な話があるのだ。なのに全然繋がらなくて困っているのだ、と彼は云う。遠慮しないって、素晴らしいことだ。僕も学ばなければ。でも今の僕には、どうしても話さなければならないことなんてないけどね。

日常からも、詩からも、自分自身からも遠く離れて、いつまでもここでぼけーとしていたい気分。

はたして僕の携帯だとうまく繋がった。抑揚豊かなグルジア語が流れ始める。黒海の辺りの誰かの息吹きが、ショータを媒介として、成都の空気を震わせている。二一世紀的絹街道。

なにやらややこしそうな事を、長々と話し続けるショータの横でメニューを検討吟味する。そろそろお腹も空いてきたし、面倒臭い外国人のオッサン二人連れに、あれこれ面倒を見てくれた娘に対して、ビールだけでは申し訳ない気持ちがしてきたからだ。

去年トビリシで食べたグルジア名物のキンカリを思い出す。中にたっぷりと肉と汁の入った皮厚のシュウマイみたいな食べ物だ。茹でたてを手で持って、中の汁をこぼさないように吸い込みながら齧りつく。土地のビールによく合った。

メニューの中から「肉」と「包」の二つの漢字が入っている品を見つけて、娘に指差す。娘、あいよと云う感じの返事。電話を終えたショータがなにを頼んだのかと尋ねる。キンカリだ、と僕は答える。成都のキンカリを食べるのだよ。それよりも話はついたのかい?ああ、話はできた、と彼は云う。さほど嬉しそうではなさそうに。

しばらくして運ばれてきたのは、キンカリとは似ても似つかぬ代物だった。豆と挽肉を混ぜて炒めたような料理で、大変辛い。ショータたちまち悲鳴をあげて汗を垂らしながら、パンかライスをとってくれと云う。僕も辛いのには弱い方なのだが、もっと弱い奴がいたとは。

娘に「米」と書いて差し出す。ご飯が運ばれてくる。なんだかんだ言いながらショータは非キンカリを平らげる。

金を払う。71元なり。千円ちょっとか。1元持ってないの?娘が訊く。メイヨー。僕の名前は4元だけどね、と言いたいところだが、どうせ通じないので黙っている。ショータと割り勘。

店の中庭を見物する。昔ながら、かな。

ほろ酔い加減で店を出る。

(続く)




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