前立腺歌日記_帯付き書影_

帯の話

柴田元幸さんに新刊『前立腺歌日記』の帯文を書いていただいた。柴田さんに帯文をいただくのは、実はこれが二回目である。最初はいまからちょうど10年前、栩木伸明と一緒に訳したサイモン・アーミテージの詩集『キッド』(思潮社)だった。柴田さんはこんな風に書いてくださった。

「詩とは翻訳で失われる何かである」とロバート・フロストたちは言った。
「詩とは翻訳で得られる何かである」とチャールズ・シミックたちは言った。
この翻訳を読めば、シミックたちの勝ちであることは、一目瞭然である。

ちなみに帯文のことを英語では blurb と言うようだ。

柴田さんから『前立腺歌日記』の帯文案が届いたちょうど同じ頃、Janine Beichmanさんから 「Blurbを書いていただけませんか?」というメールが届いた。Janineはコロンビア大学でPhDをとった後、長く日本に住んで正岡子規や与謝野晶子の評伝を書いたり、日本文学の研究を続けてきた人だが、25年ほど前に出版した大岡信の英訳詩集「Beneath the Sleepless Tossing of the Planets (遊星の寝返りの下で)」の全面的な改訂版をこのほど出すことになったという。その推薦文を書いてほしいという依頼であった。

印刷前の最終ゲラをPDFで送って貰って、しばらく肌身離さず持ち歩いたすえに書いたのが以下の文である。

How young and fresh these poems of Ooka are! Full of joy and excitement, they fuse the ancient tradition of Japanese poetry with the modernism and surrealism of the West. Through Beichman’s translucent translations, polished over 25 years, they are now given a new life for all of us to share on this sleepless and tossing planet.

久しぶりに大岡さんの詩を英語で読んでみての、それが率直な実感だった。戦時中の自己検閲と文語定型への退行、そしてその反動の戦後思想詩のあとで、彼の詩はなんという若々しい歓びに溢れていることか。本当は、古典との和解にまつわる歴史的な苦さとそれがゆえの豊穣さについても触れたいところだが、帯ではとうていそこまでの余裕はない。日本の帯文だったらこれでも長過ぎるくらいである。洋書だと「帯」ではなくジャケットの裏面に印刷するスタイルなので、どうにか収まるようだが。

『前立腺歌日記』は柴田さんの帯を巻いてもらって、もう書店にお目見えしているようだ。はやく帯をほどいて、中を覗きこんでもらいたがっているに違いない。そう考えると、本を手に取り読むという行為がなんとなく淫靡な営みに思えてくる。

Janineの本はアメリカで出版されるので、手元に届くにはもう少しかかるらしい。どんな装丁と造本になっているのか、手にとるのが待ち遠しい。


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