世界ミウォッシュ

地上と空を結ぶ詩人の声 ――チェスワフ・ミウォッシュ詩集『世界』

 『世界』の名の元に集められた二十篇。どれも短く平明で素朴な語り口だ。冒頭に置かれたのは「道」。学校から「妹のベレーと兄の帽子が/生い繁った茂みのむこうに見え隠れ」しながら帰ってくる。次は「木戸」、子供たちはもう家のなかだから、それは今ひっそりと閉ざされている。そして「ガネク」と呼ばれる玄関ポーチ、「兄と妹がここで 小さなテーブルをはさんで/膝をついて戦争や追跡の絵を描いている」。それから「食堂」へ。鳩時計から小鳥が飛び出してきて、「最後の声が聞こえたそのとき/母が深鉢から熱いスープをよそい分ける」。

長い映画の静かな始まりを観ているようだ。カメラは無言のまま外から内へと入って行く。子供の眼に映り、耳に聴こえる、幸せな家族の肖像。だがそのまなざしには、どこかただならぬ気配がある。研ぎ澄まされた緊張が漲っている。あたかも外の世界から、頑なに眼を背けているかのような。むしろ内奥にこそ、必死で何かを探し求めているかのような。

最後から二番目に置かれた「恢復」に、再び〈道〉が現れる。「道はまっすぐだ もうすぐ出口だよ」。内なる旅は終わり、〈世界〉へ帰ってゆくのだ。最後の「太陽」の末尾に記された二つの語を読んだとき、この詩集の背景が明らかとなり、最初に感じたはりつめたまなざしの理由がわかる。

「ワルシャワ 一九四三年」

当時三十二歳のミウォッシュは、ドイツ占領下のワルシャワで、ナチスに対する最後の(そして悲劇的な)蜂起に立ち上がったユダヤ人たちの叫び声を聞きながら、この詩集を書いたという。仲間たちが銃を手に「行為」へと赴くとき、自らに書くことだけを強いて。

それを知った上で読み返すと、作中の〈父〉の言葉が身に沁みる。「父が言う ここはヨーロッパなのだ/よく晴れた日にはすべてが手にとるように見はるかせる/いくどとなく押し寄せた洪水の後でいまは煙っているが/家なのだ 人々の 犬や猫の そして馬たちの」。そしてそれに響きあう子供の「ケシの寓話」が。「地球だってケシ粒――ほんとにそれ以上ものじゃない」

「目の前に大きな書物をひもとく」「声をひそめて呪文を唱える」この〈父〉には、宗教的指導者の趣きがある。父と子との対話には、神と人間のそれが重ねられているようだ。そこから「信仰」「希望」「愛」の三篇が紡ぎ出される。それを語るのは、日本の詩歌では聴いたことのない、権威と純真さの入り混じった詩人の声だ。彼自身は地上にいて、人々の阿鼻叫喚を浴びながらも、その眼は高く空に向けられている。この現実のより上位にあるはずの「明るくてあたたかい のびやかで美しい 世界の消息を」求めて。

透き通った清水のような訳文と、丁寧な解説、そして活版印刷の美しい造本が、その声にふさわしい。

(初出:現代詩手帖2016)

http://d.hatena.ne.jp/miasiro/20150916/p1

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