時里二郎 詩書月評「口語自由詩の《自由》について」:現代詩手帖6月号
日本での発売からだいぶ遅れてミュンヘンに届いた「手帖」の6月号、僕も寄稿している大岡信の追悼特集なので、珍しく最初から一つ残らず順繰りに読んで行って、ようやく最後までたどり着いたところで、時里二郎さんが月評の冒頭に我が『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』と『小説』を取り上げてくださっていることを知った。
『単ぼた』の時里評、実に的確で、とりわけ「彼」という作品が天皇制を主題としていることを、拾い上げて下さったのが嬉しい。僕は長く海外に住んで、自我の強い西洋の人々と一緒に過ごしてきたせいか、自分のなかの、よく言えば協調性、悪く言えば付和雷同性、原理原則よりもその場の空気を優先させてしまう傾向に気づかされることが多い。
聖徳太子の和をもって尊しとする美徳の、子供の頃から叩き込まれ擦り込まれてきた結果だろうが、それはしばしば主語がなく、相手の質問に対する肯定否定の結論が文末にくる日本語の構造にも反映されていて、したがって当然詩の書き方にも関連してくることなのだが、僕はそれを自分の内なる天皇制であると感じる。どこまでも論理と主義にこだわるドイツ人と付き合うごとに、なかば彼らに感心し、なかばその頑固さぶりにうんざりしながら、つくづく自分は天皇の臣民であることよなあと思ってしまうのだ。
時里さんは、そういう僕が自分自身を追い詰め暴き立てるような気持ちで書いた部分をピンポイントで取り上げてくださった。さっき言ったことと矛盾するようだが、ドイツ人の前では自らの日本人気質を痛感する僕も、逆に日本に戻ったときにはもっと大きな違和感に苛まれることが多いので、実はこういう詩がどこまで通用するものか、もしも通用しないのだとしたらそれを日本語で書くことに意味があるのかどうか、不安に思っていたところなのだ。それだけに時里さんの言葉はありがたく身に染みる。
だがもっと身に染み、胸に迫ったのは、時里さんがもう一冊の詩集『小説』に僕自身の自画像を見出し、次のように書いて下さったことだ。
特に印象に残ったのがやはり「詩人たちよ!」のパートだ。次々に詩人のパターンが俎上にあげられて小気味よく料理されるのだが、彼自身と目される詩人は出てこない。ではどこに自身の肖像があるのか言えば、「寒い夜の(三つの)自画像」から続く一連の作品がそれにあたるのだろう。それらが余りにも孤独な魂の震えをその内部に隠していることに胸を突かれたのだが……(以下略)
自分では気づかなかったけれど、『単ぼた』の賑やかさの一方で、『小説』には後姿の寂しさがにじみ出ているのかも知れない。だとすれば、それって、大岡信の「宴と孤心」そのものではないか、とまたしても思いは「追悼特集」へと向かうのだ。考えてみれば、先の天皇制の問題もまた、大岡さんの「連詩」の協働性や「移しの詩学」に通じるものだ。
貴重な気づきを与えていただいた。これからは「手帖」が届くたびに時里さんの批評を勉強することにしよう。