モカフラペチーノ

『十一番でお待ちのお客様』
いつからかCDや雑誌、雑貨を扱う店と抱き合わせになった、外国産のコーヒーショップの店内。コーヒーショップとは名ばかりで、殆どの来客は飲んだ瞬間から歯が溶けそうな甘さの飲み物ばかりを頼む。仕事の合間に立ち寄るサラリーマン、学生が数人で固まって談笑したりもしている。どうして参考書を広げておかないといけないのかは不明だ。安売りのオンパレードの世界。いつの間にか笑顔やプライドは愚か、人生すら安売りに転じている。そんな中、中々いい値段で販売されているのが、このコーヒーショップのそれ以外の商品たちだ。現物にまるで関係ない装飾でブランド化された飲み物は、中に高揚感をもたらす麻薬が入っているらしい。さらには、承認欲求を満たすという精神安定作用もあると聞いた。そこで働く店員は、まるで最高級レストランで働くような優雅さでカウンターキッチンの中を歩く。自分の余裕から来る謙虚さをササっと振りかけ、よく分からない注文内容を猫撫で声で繰り返す。
『十一番のお客様。モカフラペチーノ、トールサイズ、豆乳に変更、デカフェで提供いたします。』
やめろよ。と心の中でカズマは叫んだ。田舎から出てきたばかりのカズマは、一通りインターネットで検索した通りの注文をしていたのだ。高まる期待と裏腹に、自分の個人情報を晒された気がして腹が立っていた。手渡された上等な紙コップを眺めて、いたって自然に店内を歩き、席に座る。硬くて座り心地が悪い椅子。温度がすべて奪われそうな無機質。見たことのない異形な蓋を外し、そっと口をつける。歯が疼くほど甘い。ひとくちで身体がそれを拒絶するのがわかった。緑茶と煎餅で育ったカズマにとって、信じられない飲み物だった。ただ不思議と高揚感があった。都会に出てきて、ひとつずつこの街になじむ努力をしてきた。これもその一環。達成感と、噂の承認欲求を満たす魔物がカズマに取り憑いた。口の中にベトベトとした甘さが残る。温度でごまかされていたそれが、しっかりと主張を始めた。これが本質か、と思った次のひとくちで、全てがどうでも良くなった。
(こうして都会に染まっていくのかな。)
全てがブラインドされているわけではなく、本質がコソコソと顔を出す。人間も同じだ、とカズマは思った。ここにいる人たちもそう。誰かや何かを待っているようなふりをしてはいるが、向かいの席に荷物を置いていては、きた人が座れない。周りを少し見渡したり、携帯電話を覗き込んだりしているが、待ち合わせの時間が過ぎているのなら電話をかけても良さそうだ。そもそも先ほどチラッと視界に入った画面にはECサイトが表示されていた。スモールサイズで注文されたここではあまりに目立つコールドブリューは、汗をかく間も無くそこを啜る音が聞こえてきた。一度写真を撮る音がしたが、なるほどその為かとカズマは納得した。
『お次でお待ちのお客様。グランデサイズのお客様。』
背中越しにそんな声を聞きながら、その男は席を立った。おそらく、缶コーヒーで充分だろうけど、自己顕示欲が彼をここへ連れてきたのだろう。SNSへの匿名投稿で、誰でもない誰かから、誰でもない誰かへ向けた自己顕示。承認欲求は架空の世界でも満たされるようだ。このコーヒーショップでは一体なにが売られているのか。飲み干したフラペチーノの後味がまた本質に警笛を鳴らす。
店内で流れる流行りの曲たち。この飲み物と同じように、甘ったるさで何かを誤魔化しているような感じがした。きっとそんなに相手を思いやったことなどないのだ。それなのに言葉にだけ、音符にだけ、甘ったるさを乗せるから、確かに見え隠れしている薄っぺらさはどうだって良いと思えてくる。そして、奥行きのない上積みだけの音楽に、ギリギリの区別化を図ろうと、ネーミングだけはばっちり。コピーライティングというのは偉大だ。

我に返ったように店内を見渡し、カラフルだが統一感のある装飾を一瞥する。手元で汗を書いている何だか分からないものに目をやった。『ありがとうございます。』という文字の横に何だか分からない、クマか、犬か、猫か。親指をどけると、間違えないようになのか、メニュー名が書き込まれていた。
『モカ、、フラペチーヌ』

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