昔傷つけた人に再会した話


僕が昔傷つけてしまった人に2年半ぶりに再会した。

昔の話

 その人は大学オケの同期だ。パートが近かったので1回生の最初期からそれなりに関りがあった。
 踏み込むきっかけとなったのは、その人のピアノの録音を聞いたことだ。僕はこの人になら自分のピアノ曲を扱ってもらっていいと感じた。当時他者に心を開くことがほとんどなかった僕としては、これはかなり特異な発想だった。そして自作を聞いてもらい、話をした。僕は、自分の曲を受け取ってくれていい人としてその人を位置づけた。
 しかし、色々な出来事と僕の弱さのせいで、僕はその後ほとんどの人に対して心を閉ざすことになる。この線引きの時に最も揺れ動いていたのがこの人だ。心を開いて接したいと思っていたがそうするのが怖かった。その挙句、「あなたを信用していいものかわからない」といった文脈で様々な酷いことを言って突き放した。
 今思うと、そうやって傷つけることくらいでしか、その人の中での自分の価値を測れなかったのだと思う。
 しかしその人は、その後も自分に対して必要十分(普通の言葉でいえば等身大)の「その人」として自分に接してくれた。僕が自作曲を実演できたのもその人のおかげだ。そうなればなるほど自分の人間としての器を恥じることになり、これ以上拗らせまいとしながらも結局正面からは向き合えないままうだうだと時間が過ぎた。
 引退のタイミングで少し話す機会があったので、当時の僕の代表作(?)だった曲を教えた。僕にとってこれは信頼の表現だったが、半面これで最後にするつもりでもあった。大学の4年間で僕の考えや価値観は結果的に多くが修正されたが、0からのスタートならともかく、4年間の失態を取り戻そうとして今から何かをするということ自体がもはや失礼に感じられたのだ。

会ってみて

 そもそも会うことが失礼なのではと反射的に思ってしまったが、そうやって卑屈になりたくはないなと思った。会ってみると依然として等身大のその人だった。その在り方へのあこがれは改めて再認識することになった。
 謝罪をするのも違う気がしたので、あくまでも過去は過去として受け入れようとしていることなどを正直に伝えたつもりだ。
 今はもう別々の場所にいるわけなので、節目節目に集まるくらいの関係が細く長く続けばそれが最もいい形だろうと思う。卑屈にならずに適度な関心を向け続けることが今の僕に唯一体現しうる誠意だという気がしている。

 当時の僕が精神的に揺らいでいた原因は別に音楽ではなかったのだが、当のやり取りはほとんどが音楽に関するもので、それは結果的に傷つける道具にもなってしまったと思う。なので、関係性が再生するとしてもそれが音楽ベースになることには少し抵抗がある。今になってようやく、自分の音楽なり何なりを受け入れてもらうこと以外にも信頼関係があるということを分かってきたので、もし続くのであればまずは音楽に頼らない関係性になれたらいいと思っている。音楽のための関係性や、音楽による関係性ではなく、人としての関係性のうえで音楽の話もできればいいと思う。


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