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『魔王』は『魔笛』に優越する

以下の記載は一部の方にとって気分を損ねるものになりかねません。
閲覧は自己責任でお願いします。

筆者

パパゲーノ効果、という言葉を知りました。これは「マスメディアが大衆の自殺行動を防止する作用」のことで、モーツァルトのオペラ『魔笛』の登場人物になぞらえてこう呼ばれる、らしい、です。
パパゲーノは三枚目のキャラクターだが、女にフラれて自殺しようとしたところを妖精さんに助けられて自殺を思いとどまり、魔法の鈴で女を取り戻してハッピーエンド。Wikipediaの記載とChatGPTちゃんによるタレコミを総括するとこんな感じになります。

©朝霧カフカ・春河35/KADOKAWA/文豪ストレイドッグス製作委員会

・・・いや、自殺ナメてね?

・パパゲーノ効果⇔ウェルテル効果

パパゲーノさんのことは百歩譲って置いておくとして。「マスメディアが希死念慮から立ち直った人/希死念慮を抱えながらも生きている人のエピソードを喧伝することで第三者の自殺を抑制しうる」というのは、あまりにも楽観的すぎるのではないでしょうか。

他人の人生を引き合いに出されて自殺を思いとどまるような人間はハナから死にませんよ、と思います。それが1対1で行われる対話ならともかくとして、テレビで「私はこんな理由で人生に希望持ってるからまだ死にません!」と言われても、「僕/私とは違うな、やっぱり自分は異常なんだな」と却って患者を孤立させるだけです。本当に自殺者を減らしたいなら、後遺症を背負った未遂者を晒上げて恐怖心を煽るほうがよっぽど効果的でしょう。


一方でパパゲーノ効果の対義語として挙げられている「ウェルテル効果」については納得がいきます。こちらはゲーテ作『若きウェルテルの悩み』にちなんで名づけられた現象で、「有名人の自殺をマスメディアが報じることで社会全体の自殺者数が増える」というものです。おそらくウェルテル効果の方が科学的な立証も進んでいるものと思います(大学1年次にデュルケムの話と合わせて聞いた記憶があるので)。
しかし理論としての正しさ云々以上に、ウェルテル効果は説得力が段違いです。

記憶に新しいのは2021年12月に亡くなった神田沙也加さんについて。特別ファンだったわけでも出演作品をちゃんと見ていたわけでもなかった(例外的にコンビニカレシは全話見ていたはずですが、なんであんなもん見てたのかはよくわかりません)けれど、非常に心を打たれた報道でした。
芸能界のサラブレットとして生まれ、俳優として/声優として/歌手として文句のつけようがない成果を挙げていた――にもかかわらず、将来への不安等々、個人的な感情により自身の人生に区切りをつけることを選んだ。
「ああ」「これでいいんだ」という安心感を、彼女の新しい歌が聴けない悲しみ(星の海の記憶は好んで聴いていました)と共に抱いていたのを覚えています。

死ぬのは怖いし嫌だしいけないこと、でも死を選ぶ行動は自分に起こせるんだ。安心感は自信につながりました。恋が始まるには、ほんの少しの希望があれば十分です。その逆もまた然り。死にたがりが自分を殺るのには、ほんの少しの勇気があれば十分なのです。このことから、最後の一歩を押すことに関して、マスメディアは大きな役割を担っているといえます。
ウェルテル効果、Q.E.D.

・魔王を受け入れる

しかし死にたがりがポンポン死んでいくのは、それはそれで困ります。自分が死ぬ分にはいいけど、他人が死ぬのは寝覚めが悪い。かといってパパゲーノ効果とやらは期待できない。ならばどうすべきか。
思うに、「あきらめる」というのが現実的な選択肢になります。死に魅入られた人間はその呪縛から容易に抜け出せない、ということを社会が理解することは、救えなかった命への罪悪感を減らす一助となるはずだからです。

さて、シューベルトの楽曲『魔王』はご存じでしょうか。熱にうなされる息子を抱えて馬を走らせる父親。子は魔王のささやきやその姿を訴えるが、父親はそれらを風の音や霧が見せる幻覚だと諭す。しかし医者のもとへたどり着いた時にはすでに子どもは息絶えている、というストーリーの曲です。
ここでは息子の死は前提であり、どれだけ馬を疾く走らせようとも逃れることの敵わない「死」を音楽に乗せて描いています。
この熱にうなされる息子、それが希死念慮を深く抱いている人間の多くと同義です。

子どもはすでに死ぬ運命でした。死が内定している(≠死の淵にある)者とそうでない者とでは風景が違って見えます。運命を変えてしまうような奇跡、『魔笛』における魔法の鈴に相当するものは現れません。
これは希死念慮を抱く人の結末そのものです。

重要なのは、死者が作用するのは死者に対してではなく、今を生きる人に対してだということです。つまり他人の死を受け入れる価値観が醸成できていれば、自殺という問題が社会にとっておおよそ問題ではなくなるということです。医者にかかる前に死んでしまった少年を哀れみこそすれど憤る人がいないように、です(これはちょっと暴論かな?)。
なるべくなら人は死なない方がいい。でも死んでしまうほうに転がり続けている運命について、誰かがどうこうできるものではない。「あきらめる」という選択は、生者にとって都合のいいものであってほしいと願っています。

『魔王』という結末は、『魔笛』という物語より現実寄りでした。

・おわりに

話が重くなり過ぎたのでンンンンンズメィェンンンンンットッッッットゥッッッゥエアム(泉鏡花たむ/文豪ストレイドッグス)にご出演いただきました。あとカエルちゃんも。ンンズメィェンンンンッッッテァットpッパットゥッッッゥウオォォォメ(泉鏡花たむ/文豪ストレイドッグス)、萌えの濃度、略して萌濃度が高すぎる。

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