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人工物の響きを持ったことばに、抗いきれずにいる。

不自然な世界の中で 揉まれ続けて20年が経った
世界は異質な ーそれでいてどこか均質的なー 物質と論理で埋め尽くされていて ぼくには息苦しい

自然の中で 自然な暮らしを したい
それが僕の想いなんだけど

ロマン化された「持続可能な」「自然に配慮した」「自給自足の」
みたいな文面がキライなの
そういう概念って人工物の要素が強すぎるんだな きっと

でもじゃあ 自分のやりたいことをどう表現しようとなると
そうした表現に頼らざるを得ない

だってぼくの妄想も これまでの社会が形成した人工物の影響を受けたものだから

でも それは悔しくて
「こういう表現があって、それとはちょっと違うけど、でもそんな暮らしが」
とか 言い訳をしてしまう

ぼくにはいま思い描く理想社会というか
理想の生き方が少しずつ浮かんでいる

それは誰かに強制するものではなくて
自分と 共鳴する人の コミュニティというか

ただ まだ言葉になっていないところもあって
まだ黙っておくことにする
いつか、その話も、きっと




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