見出し画像

J-pop まもるくんの謎(お茶代2月)


文学サークル「お茶代」2月のお題①です。
こちらの記事からどうぞ。

 この記事の「守らなければならない危機的状況としての暴力の発生」に自分は興味を持った。昭和の待つ女は家の中、極端な話家を買ってしまえば終わりでは?と考え、どうも「家」が発動していないように思えたのだ。

 昭和から平成の家の変化は範囲の縮小だ。
犬神家の冒頭の葬式のシーンのように空間としての家は襖を外して大広間として冠婚葬祭を請け負っていた。しかし平成、核家族のマイホームでは婚はブライダル式場に、葬はセレモニー式場に、アウトソーシングされてきた。これは一見すると他人任せで便利そうだが、実は親戚地域で完結していた事が外部の業者との接続に、店と客との関係に変わっていったことを意味する。加えて住宅設備、エアコン、水道など、素人に仕組みのわからないものも業者、専門家との接続を表す。そして携帯電話は電源を入れているかぎり外と繋がりっぱなしだ。となると家は「外部」の侵入を受け、空間的に丸裸だ。

 なるほどワラの家は地域という基礎を無くし吹き飛ばされた。では外部はどんな空間か?
 現在、都市はなし崩し的に構築されている。その原動力は経済(金額と需要)と機能だ。車社会の現代最も必要とされる機能は広告・ネオンサイン・装飾といった標識である。なぜなら車社会の速度ゆえパースとして町は見えず、距離感のない関係だけの断片になっているのである。〜まで500m先左折。
 これがもたらす風景は少し前に話題になったファスト風景と無関係ではない。
 看板がシンボルのチェーン店は都市に無限にコピー・ペーストされ、地域の差異が否定される。それは客に対しても個性を持った客たる事を否定する。「名物」のお客様はチェーン店においてはバックヤードで噂される悪口だろう。マニュアル化されたサービスとテンプレート化した設計が与える要請である。

 このように建築空間に用途が制限されることが「暴力」の正体だと思う。ではその暴力にどこまで晒されているか。今ファスト風景について触れた。次に住宅内、これも分譲、賃貸などは改変不可。一軒家を購入してもあらかじめカタログ化された素材で手づくり感は無いだろう。人物が空間に配置されたら空間は人物を慣らせ、人物は空間を支配しようとする。前者は間取りと機能、後者はインテリアだ。ただしインテリアもニトリから提供され嫁入り道具のように地域を持ち込む事もなくなった。ささやかな反抗はフィギュアや推しのグッズを並べる事。手づくりの創生物は刺青、ピアス、整形と皮膚一枚のレベルまで縮小している。前半の家の縮小同様肌まで晒されているのだ。この手づくり不可能な都市の機能の暴力を肌で感じる気配。これからj-popは守ろうとしていると思われる。

 客たれ、住民たれ、喪服の就活戦士たれと強要する町の暴力と改変不可能の退屈さ、これにj-popは無力ながらに守ると謳うのではないか。

 空間ごり押しで暴力の発生について語ってみた。バトルフィールドは整理できた。いかに守るか、なぜ守るか、人の内面の考察は他者に任せよう(力尽きた)


 

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?