ピュリスムとトラセ・レギュラトゥール
上野の国立西洋美術館にいくと、大体企画展のおまけで足を運ぶ常設展の端っこにルコルビュジエ の絵画が飾られている。大概、常設展もモネとかシニャックとかそして最後の方にピカソが置いてあるから、知らなければ、ほーん。くらいに見落としてしまう。これがキュビズムに牙を向こうとした建築家ルコルビュジエの野心的な作品の一つであるのに。
ピュリスム(Purisme, Purism)は1918年から1926年にかけてフランスでル・コルビュジエとアメデ・オザンファンによって提唱された芸術運動。その著作、「キュビズム以降」「レスプリ・ヌーヴォー」28冊刊行、と彼らの絵画において主張され、キュビズムの複雑さと装飾性、多視点に対する反動として、シンプルで論理的な表現を追求した。
工業化の進展を肯定的に捉え、比例や幾何学に基づく明快な構成を重視。直線や基本的な幾何学形状(円、三角形、長方形など)を強調し、形態は明確でシンプルに保たれ、複雑な装飾や細部は排除される。
どう見れば良いのかは大体以下。
オブジェクトの輪郭がはっきりと描かれ、形態が明瞭に視認できるようになる。これにより、各要素が視覚的に独立しながらも調和する構成となる。
ピュリスム絵画では、各要素がバランスよく配置され、画面全体に調和と秩序がもたらされる。構図は黄金比が用いられ、安定感が感じられるようになる。
彩色は限定的であり、主に中間色が使用される。明るい色や強いコントラストは避けられ、色彩は控えめで落ち着いたものが選ばれる。物体の機能と構造を尊重し、その実用的な形態を強調する。これにより、描かれる物体はその本質的な機能美を表現するものとなる。
絵画の構成は静的で安定しており、動きやダイナミズムよりも静寂と秩序が重視される。これにより、見る者に落ち着いた印象を与える。
日常的なオブジェクト(ボトル、グラス、楽器など)がよく描かれる。これらのオブジェクトは、シンプルでありながらもその機能性と形態美が強調される。
しばしばオランダで同時期に発生したデ・ステイルとも関連が指摘される。レスプリ・ヌーヴォー誌にデ・ステイル宣言をコルビュジエは評価し載せている。ユニヴァーサルな表現の模索、手段としての幾何学に共通項をもっていた。しかし、抽象化の度合いにおいては差異があったのだろう、コルビュジエはデ・ステイルを一本調子な抽象主義とも評している。
ピュリスムは絵画史のなかで影が薄く、コルビュジエも画家としてではなく、建築で名を馳せた。しかしコルビュジエの絵画はピュリスムの活動停止で頓挫したわけではない。その後も延々と油彩のみならず、パピエ・コレやタピスリーも制作した。有名なのが詩画集「直角の詩」である。全体が「環境」「精神」「肉体」「融合」「性格」「贈り物」「道具」の7層に分割されそれぞれに対応する版画が収められている。これらは放埓的かつ解放的、地中海的でピュリスムとは真逆のようだが、相反する7つの層を直角によって統合しようとする意図にピュリスムの余韻を感じることもできよう。
ピュリスムとコルビュジエの建築を結ぶ用語として、トラセ・レギュラトゥール(規準線)がある。先ほどピュリスム絵画には数学的秩序の感覚も幾何学的配置があると書いたが、それらは規準線に準じている。ピュリスムはキュビズムの無秩序な遊動性を憎んだのである。そして決して規準は自由の足枷ではない。
建築の方でも、「建築をめざして」に載せたシュオブ邸の立面図に多く引かれている。コルビュジエはいくつかの建築書から規準線の方法を学び、自らの構成に利用した、建築の比例に数学的な根拠を求めた理性主義者だった。
規則ある遊動とはこういうものではないか?コルビュジエが東方への旅で持ち帰ったアラブ建築の採光の方法と彼の提唱した水平連結窓によって、これまで縦長で薄暗かった窓の家とは異なり明るいリズムのある採光がもたらされる。そうリズムであり、彼は建築的プロムナードという歩くことで次々と景色の変わる空間を取り入れたのだ。
ルコルビュジエはピュリスムと建築においてトラセ・レギュラトゥールという規則、新たな機械の時代の再現性と規格化、そして規則の中の遊動という、一点からみつめるバロックのような建築ではなく、ピロティ、自由な平面・立面によって構成されたボリューム、水平連結窓がもたらす光、空中庭園、それらを結ぶスロープ・階段によって魅せるシークエンスを発見したのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?