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テロルの挫折と〜感想

いや、これめちゃくちゃ面白いんですよ。感想的なものをいつか書こうと思ってたけど、先にスペースかなんかで話しちゃったので気恥ずかしいのですが、改めて書きます。「ネガとポジが抱き合わせになった未分化な幻想」、「土俗的因襲的な世界観とデジタルガジェットとの折衷」「大人とこどもの狭間」など様々な間が出てくる。キーポイントはずばり境界を踏み越える事はナゼカ怖い😱のだということを全体で伝えてくれる。なぜネットにお化けが親和性をもって受け入れられたかの切り口だ。個人的にはこの脱輪さんの評論、テロルの挫折〜が色んな人の目に触れて色んな感想を見たい、聞きたい。中編だけどフツーに独立した読み物として読めます。

さて毒を持って毒を制すとしてデジタルなあの世にお化けが引っ張り出された。そもそもなぜインターネットは悪場所として働くと察知されたのか。それは境界だからなのだろう。昔から湖沼沢山川には妖怪が沸いたし、山伏も山に入る時は臨兵闘者皆陣烈在前と印を切る。敷居や畳の縁は踏んではいけない、といった言い伝えもある。三途の川も言わずもがな、神社や遊郭には橋があったり、あっち側とこっち側を分ける。神社にしめ縄が貼ってあったらわざわざ向こうには行かないだろう。今では平坦につながっているが街や村なんかも境界には処刑場や遊郭といった悪場所、逆に道祖神や神社仏閣といった聖なるものがあったりする。家の中でも靴を脱ぐ玄関は強力な魔力を持っている。日本人なら自ずと靴を脱ぐのだから不思議なもんだ。そんなこんなで日本において境界、またはそれを踏み越えることに大きな力をもつ。そこでインターネットだ。スペースでたしか脱輪さんはパソコンは縦に境界を開いたとおっしゃっていたと記憶している。同時的に、瞬時に情報を授受できる窓であると。こういうものに対価、リスク無しにできることは日本人の心に強烈な恐怖を与えたことだろう。だからお化けが久々に沸いたのだ。いや、これはマジ鋭いと思う。リスクなきジャンプの恐怖がお化けの復活を通じて矮小化ないし克服しようとしたという推察。初めて読んだ時なるほどなとスラスラ読めた。というかそもそもスラスラ読める文章かけるのが羨ましいやい。個人的に今そこまでネットが悪場所にならないのは(ある意味では最悪の自己顕示欲の掃き溜めではあるが)ネットの普及と、ログインと広告というネットに入るための儀式が増えたからではないかと睨んでいる。

ところでここからは感想でもなんでもなく余談になる。読み飛ばしていいよ。1000字超えたし。
インターネットは同時的な悪場所であり、速度化の象徴であるが、それは縦に開かれていることはさっき述べた。では横に開かれた境界はまだあるだろうか?それが電車だと思っている。たまに人身事故が起き、毎日鮨詰めのサラリマンを乗せる駅はもう一つの悪場所だ。日本の駅は中心地においても電車が通過できる形をしている。海外の駅は大概が〜中央駅としてそこから放射状に線路がのびているのである。だから日本の駅は電車が流れるものであり、東口と西口を分ける境目であり尚且つ電車自体が、始発と終点を渡す乗り物である。列車の歴史はインターネットに比べると古いが、やはり幽霊電車、きさらぎ駅など様々な怪談が発生している。切符やPASMOという儀式的手数を踏むからマシなものの。子供の時切符を無くす恐怖はけっこうあるだろう。おれは無くした事ないがくしゃくしゃになった切符が自動改札通らなくて結構焦った事はある。インターネットや駅など現代的なものに怪談が発生する時、自分がリスクを侵さず横切れる方法もしくは何かが横切るのかもしれない。

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