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ものとものの遠近法

 パースペクティブはビジネスの世界では、自分と異なる立場に移動させ、その視点から見える景色や感情、考えを推測して理解することにあるらしい。その意味では建築パースは強制的に建築家がそこの位置がいいッ!と思った景色を理解できる。
 パースペクティブの発見はルネサンスに遡り、ブルネレスキやダヴィンチなどがこぞって研究した。その後バロックやロココという権力の強大さとか部分の絢爛さに関心が移り、後に控える新古典主義はギリシャやローマの要素の復古、建築パースの復活は車や映画、写真の発明により、速度、運動からの視線が発見されるまで下火になっていたというのが自分の考えである。そんな下火の中で建築パースを携えて浮島のように現れたのがピラネージである。

ピラネージ  牢獄

新古典主義への流れの中マリーアントワネットがロココ様式の最後っ屁を放つような時代。そそり立つ壁、真っ暗闇、幾重にも重なった階段。ローマの風景の足りない部分を空想の過剰で補うような空間。奥の壁や橋は画面内に消失点を持っておらず視界を遮り、奥を見通せない。近代のパースは未来派やソ連のダイナミックスさゆえの画面外の消失点、ファシズムの強固さを嗜好した画面中心への消失点、コルビュジェは建築的プロムナード、シーケンスを計算に入れてのパース。

いずれも健康的でピラネージに見られるメガロマニアなものはない。このメガロマニアはバロックの幻想性やロココの非対称性を継いだものだろうか?一般的にピラネージはローマを描いた故に新古典主義へ影響を与えたといわれているが、どうもしっくりこない。この時代確かにロココの派手さへの反発とポンペイ遺跡の発見によるローマへの旅行ブームが確固荘重な古典建築への回帰があった。しかしピラネージの大量の拷問器具や建築エレメントは来たるべき「装飾の否定」や「原始の小屋」シンプルさへの反発があるように思える。建築史家マンフレッド・タフーリは画の構成に「支配の必要性の主張が主体の権利の主張と衝突しているもの」と説明する。社会、自然、科学、都市、果ては主体まで合理的にコントロールできうることを拒否したというわけだ。
 何棟の家で都市となるのか、都市には深さがあり一発で表象することは難しい。都市では観察者の少し先に建築物がある。目の前の都市の一部は他の部分が自分の目から離れて存在する。消失点が画面外にあるのは都市の奥深さを表しているのではないか。そしてあふれるオブジェの多さは他のオブジェによって豊かになる。オブジェは一緒になって組織や建物を作り出す。オブジェに充たされた環境を摂取し、ものとものを自分と結び付ける。ピラネージはそういったオブジェと主体との関係のみが遠近法的に存在すること鑑賞者に伝えているのではないか。

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