タワーマンション最上階

朝、目が覚めた。何も見えなかった。
僕は朝目が覚めても目を開けず、しばらくそのまま横になる癖がある。
でも、今は目を開けている。はずだ。目を覚ましてから、横になりつつ昨日の反省をして、今日の目標を立て、さあ起きるぞと目を開けた。
依然、見えるはずの天井は見えていない。
瞬きをしている感覚がある。眼球が空気に曝されて冷える感覚がある。手で触れてみても、僕の瞼は開いている。
布団からはもう顔を出している。瞼に触れられる以上、目を覆っているものもない。
いつも寝る時には常夜灯を点けているのだが、その灯りもない。完全な暗闇だ。
今は夜で停電中?こんなに真っ暗になる時間まで寝ていたのだとしたら、バイト先から怒り狂った店長からの電話がかかっているはずだ。
携帯を探そう。遅れるのは初めてだし、こんな長時間寝るなんて明らかに体調不良だろう。さすがに体調不良が原因の初めての遅刻で怒鳴り散らすような人ではないと思いたい。
枕元をオロオロしながら手で探っていると、携帯が震えた。
着信だろうか、規則的な振動が続いている。
音のする方を向くも、携帯の明かりが確認できない。
着信や何らかの通知が来たら画面が明るくなるはず。長く使っているから寿命が来たのかもしれない。手に取って顔の前に持って来ても何も見えなかった。どうやらとうとう液晶がダメになってしまったようだ。
「人の携帯を勝手に触っちゃダメ。」
突然、後ろから女の声が聞こえた。
情けない悲鳴のようなものを発し、ベッドの頭に後ずさる。
「電話が来てると思って戻ってみたら。もう起きてたのね。」
姿は見えないが、20代後半と思しき女の声が近づいてきた。
「お前は誰だ!どうして…どうしてここにいる?」
声に悪意を感じなかったのと、相手も同じ暗闇である状況から、直ちに危険がある可能性を捨てた。それでも身構えながら、吠えるように問い質す。
「私?私は貴方の…恋人…とは言えないか。一方的に貴方を好いているだけだもの。そうね、ファン、が近いかな。」
女の声が更に近づく。ベッドが軋み、少し傾いた。女は今ベッドに腰掛けているらしい。
「答えになってない!誰だ、バイト先の人間か?それとも大学生か?」
恐怖に怒りが混じっているのを感じる。相手を興奮させて危険な状況に陥りかねないと自分を諭し、一呼吸を置いて落ち着いた口調で話しかける。
「とりあえず今何時か知らないか?今日はバイトなんだ。」
「9時よ。朝の9時。」
朝の9時?それにしては辺りが暗すぎる。なぜすぐわかる嘘を言う?何だ、この女は。
女が身動ぎをして、またベッドが軋んだ。音から察するに、髪を弄っているらしい。
ここで異変に気づいた。
僕のベッドはロフトベッドだ。
この女はどうやってベッドの縁に座っている?
女が座っているであろう位置には落下防止用の簡易な柵があるはずだ。例えそこに座ったとしても、マットレスに人の重みがかかるはずがない。
そもそもベッドの階段を登った音がしなかった。こいつは、部屋に入ってきてそのまま歩いてそこに座った。
こいつは人間じゃないのか?
頭の中が疑問文で満ち、必死に周囲の情報を取り入れようとする。
新たな疑問が湧いて出た。
「ここは、どこだ?」
マットレスや枕の感触、それら寝具と部屋の匂い、我が家には無いはずの壁掛け時計の秒針の音、全てが今までの日常と異なっていた。
思い返してみると、さっき女が近づいてきた時の足音がやけに耳と近かったように思える。
まさか、と思い慎重にベッドの縁まで行くと、柵はなく、脚を降ろすとすぐに床に着いた。ここは俺の家じゃない。
「ここはどこなんだ?あんたの家か?」
意味もなく動揺を悟られないよう、冷静さを装って訊ねる。
「あら、見えてないのによくわかったね。」
マットレスにかかっていた女の体重が消え、声が遠ざかる。
「ここは私の家。」
移動しながら、声は続ける。
「今から窓を開けるけど、逃げようとしないでね。ここ、46階だから。最上階なのよ。」
46階?こいつはタワーマンションに住んでるのか。俺の知り合いにそんな金持ちはいなかったはず。昨日酒を飲んで知り合ったのか?しかし、昨日は外出した覚えすらない。普段から記憶を飛ばすことなんてないのに…
カーテンが開く音がした。
飛び込んでくる日光を予想し、思わず手で顔を覆う。
だが、依然として周囲は暗闇のままだ。
そもそもこの女はなぜ暗闇を自由に行ったり来たりして、カーテンを迷わず操作できたのか。
ふと、肌に温もりを感じた。
暖房とも、カイロのような防寒具とも違う、芯に届くような太陽の暖かみ。
「いい天気。窓開けていいよね。」 
風が頬を撫でた。

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