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【内的キャリアのてがかり】人と同じである必要はない。同じでも構わないけれど、それはたまたま。凄いことである必要はない。月並みであってもいい。ただ、それは自分で決めたい。

内的キャリア…端的に言えば、それは働くことの意味や意義、仕事に込める(願う?)意味や意義、あるいは働きがいややりがいだったりするわけですが、こう言われると何だかそれを聞いた人が「お。すごいね」というようなもんじゃないといけないような気がしてはいないでしょうか? と、思うことがときどき
とくに、これから社会に出る方々が面接の準備をしているときなどに


でも、それって自分がどう思っているかどうか、という話なので、聞いた人が「すげ~」とか「かっこい~」とか思わなくてもよいのではないでしょうかね


もしかすると「そう思われたい」というのが本当のところだったりして…
もし、そうだとしたら、それはちょっとしんどいことになりそうですよ
なぜなら会う人ごとに「すげ~」とかと思うポイントが異なりますからね
次から次へと現れる人にそう思わせるというのはなかなか大変
確かに、世の中にはそういう人もいるんですよ。「最年少で○冠」とか、「○歳にして億り人」とかね。それを目指そうとするなら、働くことの意味というのは「あっと言わせること」と言うことになるかもしれませんねぇ…
だとすると「ここならいまからでも大丈夫」みたいな領域を見つけるところから始めるということになりそうです。


月並なものでもよいのではないでしょうか?
月並みなもの、というのはふだんの中にあるものということ
ふだんの中に生きがいだとかやりがいがあれば、それを実感できる機会も多いということになります
日々の中でやりがいとか生きがいとかを感じられる…それはそれで豊かな人生だと思いませんか?


ただそれは、自分でこうかな、と確信している必要はありそうです
ふと隣の人を見たとき、その人のやりがいだとか働きがいを見て、「あぁ、うらやましい」-というのは気をつけておきたいところです
「そういうのも良いかも」「ありかも」と思うなら、そうすればよいだけの話です。欠けているわけではありません


留意しておきたいのは、それを決めるのが自分であること
「親がそういうから」(あるいはそういうものだと親がいっていたから)とか、
「世の中的にはそんなもんでしょ」とか、
というのはねぇ…
結局は「親の路線にしたがっていること」「世の中の趨勢に合わせていること」がやりがいや生きがいということになってしまいませんかねぇ…

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