M*A*S*H
映画MASHは、反戦映画と定義されますか?
映画「MASH」は、直接的に反戦をテーマにしているわけではありませんが、間接的に戦争の愚かさや非人道性を風刺しているという点で、反戦的なメッセージを含んでいると言えます。
具体的には以下のような点が挙げられます。
戦場の日常を皮肉たっぷりに描くことで、戦争の非日常性や非人間性を浮き彫りにしている。
軍隊組織の形式主義や権威主義を揶揄することで、戦争を支える体制への批判を込めている。
登場人物たちが、厳しい状況下でもユーモアを忘れず、人間性を大切にする姿は、戦争の非人間性への抵抗とも捉えられる。
一方で、戦争そのものへの直接的な批判は控えめで、むしろ戦時下の人間模様に焦点を当てている。
こうした点から、「MASH」は反戦映画としては間接的で控えめなアプローチをとっていますが、戦争の矛盾や理不尽さを風刺的に描くことで、反戦的なメッセージを含んだ作品と言えるでしょう。ただし、あくまで喜劇としての側面が強く、反戦映画としては特殊な位置づけとなります。
朝鮮戦争を描いているようですが、実はベトナム戦争を皮肉ったものでは?
ご指摘の通り、映画「MASH」は朝鮮戦争を舞台にしていますが、実際には製作当時のベトナム戦争への風刺や批判を込めた作品と考えられています。
以下の点から、「MASH」がベトナム戦争を皮肉っていると解釈できます。
作品が製作された1970年当時、アメリカはベトナム戦争の泥沼化に直面しており、国内では反戦運動が盛り上がっていた。
朝鮮戦争とベトナム戦争は、どちらもアメリカが共産主義の拡大を阻止するために介入した戦争であり、類似点が多い。
作中で描かれる軍隊組織の矛盾や非効率性、権威主義への批判は、ベトナム戦争での米軍の問題点を連想させる。
登場人物たちの反権威的な態度や、戦争の非人間性への嫌悪感は、当時の反戦運動の思想を反映している。
朝鮮戦争を直接批判するよりも、時代設定を朝鮮戦争に置くことで、ベトナム戦争への風刺を間接的に表現することができる。
こうした点から、「MASH」は朝鮮戦争を表面的な舞台としながら、実際にはベトナム戦争への風刺と批判を込めた作品と解釈されています。時代設定を変えることで、検閲を回避しつつ、同時代の戦争への批判を表現したと考えられます。
三人の軍医が主人公でしたね。
はい、その通りです。映画「MASH」の主要な登場人物は、3人の軍医たちです。
ホーキンス大尉(通称ホーキー):ドナルド・サザーランド演じる、どんな状況下でもユーモアを忘れない、反権威的な態度の外科医。
デュク大尉:トム・スケリット演じる、ホーキーの相棒で、同じく反権威的で自由奔放な性格の外科医。
トラッパー・ジョン大尉:エリオット・グールド演じる、ホーキーとデュクの仲間で、優秀な外科医。皮肉屋で、軍隊組織の形式主義を嫌う。
この3人の軍医たちは、過酷な戦場の状況下でも、ユーモアと皮肉で乗り切ろうとする姿勢を見せます。彼らの反権威的な態度や、戦争の非人間性への嫌悪感は、作品の反戦的なメッセージを表現する上で重要な役割を果たしています。
また、3人の軍医たちと、他の登場人物たちとの交流を通して、戦時下の人間模様や、軍隊組織の矛盾なども浮き彫りにされています。彼らの行動や言動は、戦争の愚かさや理不尽さを風刺的に表現する手段となっているのです。
テーマ曲は、どのようなものでしたか?
映画「MASH」のテーマ曲は、「Suicide Is Painless(邦題:自殺は痛くない)」という曲です。この曲は、映画の中で重要な役割を果たしています。
曲の特徴:メロディーはシンプルで、少し憂鬱な雰囲気を持っています。歌詞は一見、自殺を肯定しているかのように聞こえますが、実際には皮肉や黒色ユーモアが込められています。
作詞・作曲:歌詞は、監督ロバート・アルトマンの14歳の息子であるマイク・アルトマンが書きました。作曲は、ジョニー・マンデルが担当しました。
映画での使用:この曲は、映画の冒頭と終盤で流れ、作品の皮肉な雰囲気を強調しています。また、作中で自殺未遂を図る登場人物のシーンでも使用され、自殺の深刻さを皮肉的に表現しています。
反戦的メッセージ:「自殺は痛くない」という provocative なタイトルと歌詞は、戦争の非人間性や、戦場で命を失うことの皮肉を表現していると解釈できます。
人気:この曲は映画の大ヒットとともに広く知られるようになり、後にジャズのスタンダードナンバーの一つとして定着しました。
「Suicide Is Painless」は、一見自殺を肯定しているかのような歌詞ですが、実際には戦争の愚かさや非人間性を皮肉的に表現した曲として、映画「MASH」の反戦的なメッセージを音楽面から支えている重要な要素と言えます。
子供が書いた歌詞とは驚きました。
はい、14歳の少年が「Suicide Is Painless」の歌詞を書いたというのは驚くべき事実ですね。
マイク・アルトマンが父親のロバート・アルトマン監督に頼まれて歌詞を書いたとき、彼はまだ学生で、人生経験も浅かったはずです。にもかかわらず、彼が書いた歌詞は、大人びた皮肉と黒色ユーモアに満ちており、映画のテーマにも見事に合致していました。
この事実は、以下のような点で興味深いと言えます。
若い世代の感性:マイクの歌詞は、当時の若者の反戦感情や、既存の価値観に対する反発を反映していたのかもしれません。
父子のコラボレーション:監督である父親のロバートが、息子のマイクに歌詞を書かせたというのは、家族ぐるみの創作活動であり、ユニークな事例と言えます。
歌詞の普遍性:14歳の少年が書いた歌詞が、大人の心にも響き、長年愛され続けているというのは、歌詞の普遍性を示しています。
若い才能の発掘:マイクの例は、若い世代の創造性や表現力を信じ、彼らに機会を与えることの重要性を示唆しています。
マイク・アルトマンが「Suicide Is Painless」の歌詞を書いたという事実は、映画「MASH」の背景を知る上で重要なエピソードであるだけでなく、若者の感性や創造性の可能性を示す興味深い例としても注目に値するでしょう。
ロバート・アルトマン監督の他の作品はありますか?
ロバート・アルトマン監督は、アメリカの映画史に大きな足跡を残した巨匠です。「MASH」以外にも、多くの重要な作品を手掛けています。以下は、その一部です。
「ナッシュビル」(1975年):24人の登場人物が織りなす群像劇。アメリカ社会の断面を鋭く切り取った作品。
「三人の女」(1977年):3人の女性の人生が交錯する物語。シェルリー・デュバルの演技が高く評価された。
「ショート・カッツ」(1993年):ロサンゼルスを舞台に、22人の登場人物の人生を描いた群像劇。
「ゴシフォード・パーク」(2001年):1930年代のイギリスの邸宅を舞台に、貴族と使用人の関係を描いた作品。アカデミー賞7部門にノミネート。
「プレイヤー」(1992年):ハリウッドの映画産業を風刺した作品。ティム・ロビンス主演。
「カンザス・シティ」(1996年):1930年代のカンザスシティを舞台に、ジャズ文化と犯罪の世界を描いた作品。
「ビンセント&テオ」(1990年):画家フィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオの関係を描いた伝記ドラマ。
アルトマン監督は、「MASH」で確立した複数の登場人物を絡ませる群像劇形式を、その後の作品でも発展させました。社会風刺や人間関係の機微を鋭くとらえる視点は、彼の作品に一貫して見られる特徴です。 また、即興的な演技や自然な会話を引き出す演出スタイルは、「アルトマン・スタイル」と呼ばれ、後世の映画作家にも影響を与えました。
どういったスタイルが群像劇と言われるのでしょうか?
群像劇とは、複数の登場人物に焦点を当て、それぞれの人生や関係性を複雑に絡み合わせて描く手法のことを指します。群像劇の特徴は以下の通りです。
多数の登場人物:主人公を一人に定めるのではなく、多くの登場人物を平等に扱い、それぞれの物語を並行して描きます。
複雑な人間関係:登場人物同士の関係性が錯綜しており、それぞれの人生が互いに影響し合います。
社会の縮図:登場人物たちが属する社会や時代の特徴を、彼らの人生を通して浮き彫りにします。
多様な視点:それぞれの登場人物の視点から物語が語られ、複数の視点が交錯します。
ゆるやかな構成:明確な物語の中心軸が存在せず、複数の出来事が並行して進行します。
リアリズム:人物の心理や行動、人間関係の描写に、リアリズムを追求する傾向があります。
ロバート・アルトマン監督の作品では、これらの特徴が顕著に表れています。例えば、「ナッシュビル」では24人もの登場人物が登場し、それぞれの人生が絡み合います。「ショート・カッツ」では、ロサンゼルスという都市の縮図として、多様な人々の生活が描かれます。
アルトマン監督は、即興的な演技や自然な会話を引き出すことで、リアリズムを追求しました。複数の登場人物の会話が重なり合うことも、アルトマン作品の特徴です。
このような群像劇的手法は、社会の複雑さや人間関係の機微を表現するのに適しており、アルトマン監督はこの手法を高度に洗練させたと言えるでしょう。
邦画で群像劇を表したものはありますか?
はい、日本映画でも数多くの優れた群像劇が製作されています。以下はその一部です。
「東京物語」(1953年、監督:小津安二郎):老夫婦が東京に住む子供たちを訪ねる物語。戦後の日本社会と家族の変化を描いた作品。
「生きる」(1952年、監督:黒澤明):市役所に勤める男性が、余命宣告をされたことをきっかけに、人生の意味を見つめ直す物語。
「楢山節考」(1958年、監督:木下恵介):貧しい山村を舞台に、老婆を山に捨てる「楢山節考」の風習を通して、人間の生き方を問う作品。
「動く」(2015年、監督:横浜聡子):東日本大震災後の被災地を舞台に、様々な人々の生活と心情を描いた作品。
「家族ゲーム」(1983年、監督:森田芳光):大都市のマンションを舞台に、一家族の崩壊を黒色ユーモアたっぷりに描いた作品。
「誰も知らない」(2004年、監督:是枝裕和):母親に置き去りにされた4人の子供たちの生活を、リアリズムを追求して描いた作品。
「ディア・ドクター」(2009年、監督:西川美和):ある医師を中心に、様々な患者や医療関係者の人生が交錯する群像劇。
これらの作品は、日本社会の様々な側面を、複数の登場人物の人生を通して浮き彫りにしています。家族関係、社会問題、人生の意味など、普遍的なテーマを探求しつつ、日本独自の文化や価値観も反映されています。
日本の群像劇は、静謐な映像美や繊細な心理描写に特徴があり、ハリウッド映画とは一味違った魅力を持っています。近年では、是枝裕和監督や西川美和監督など、新しい世代の映画作家たちも群像劇的手法を用いて、現代日本社会の問題を鋭く切り取っています。
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