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【好きなものの話】 ノーカントリー

好きで好きでたまらない作品の話をしようと思う。おすすめを紹介するというよりは、個人的な評価点や思い入れを書き連ねるようなプライベートな記事になる。そういった性質上、ネタバレには一切配慮しない。あしからず。

今回語るのは、2007年に公開されたアメリカのスリラー映画、ノーカントリー(原題:No Country for Old Men)。暴力的な内容ながら、数多くの賞を獲得し世界的に評価された傑作映画だ。監督は『バートン・フィンク』『ファーゴ』のコーエン兄弟、原作者はピューリツァー賞受賞のコーマック・マッカーシー。詳しい内容については以下のサイトを参照。「この作品を理解するのにこれ以上のものはない」と言えるほど優れた解説記事(あらすじ有)を先人が書いてくださっているので、そちらのリンクも貼らせていただく。

犯罪モノとしての文学性とスリラーとしてのエンターテインメント性を高い水準で両立した、極めて完成度の高い作品。

正直なところ、大学2年生の秋にDVDをレンタルして初めて観たときの感想は、一言で表すなら「は???」だった。受け入れがたい結末と唐突に訪れるエンディング。一度の鑑賞のみでは到底咀嚼しきれない。しかし、手に汗握るどころの騒ぎではない極上の緊張感を味わえたという点だけでも「すごい映画を観た」という感想は確かに持っていて、視聴したその日はずっとノーカントリーのことを考えていた。夜遅くまでレビューや考察記事を読み漁ったのを、はっきりと覚えている。理解が進むほどにどんどん好きになっていって、原作小説まで買って読み込んだ。パンフレットも非売品プレスも入手した。今となっては不動のマイオールタイムベストムービーだ。つい数日前も、通販サイトで本国版のオリジナルポスターを見つけて、ノータイムで購入しひとり小躍りしてしまった。

「残酷で不条理な出来事」や「取り返しのつかない選択の先に待つ絶望的な結末」を主題とした、“怖い映画”なのは間違いない。何の罪もない人が車に轢かれて死んでしまうとか、マナー違反を注意した人が逆上した相手に殺されてしまうとか、そういう世の中から決してなくならない胸糞悪い事件のエッセンスを凝縮したような作品だ。冒頭でどぎつい殺しのシーンを見せた後からは、人死の描写がどんどん淡白になっていく。「これはありふれたことだ」「もう映さなくてもわかるだろう」と言わんばかりに。徹底的なまでに渇いた世界観が、恐ろしいのと同時に抗いがたく魅力的でもある。

ノーカントリーを語る上で、ハビエル・バルデム演じる殺し屋・シガーの存在を外すことはできない。息をするように人を殺め、そこに要求や快楽は一切ない、謎に満ちた男。独自に定めたルールに則って動いているものの、気まぐれのコイントスで相手を見逃すこともある。何人の命も、彼の前では紙切れに等しい。この作品が描く、世界の不条理や人の悪意の体現者と呼べる存在だ。事実、主人公にあたるベトナム帰りの男・モスは、マフィアの金を持ち逃げしたがためにシガーに殺害され、若く美しい妻のカーラ・ジーンも同じ運命を辿る。騒動とは無関係の一般人も大勢が犠牲となり、語り部にあたる老保安官・ベルは、シガーの起こす一連の事件に為す術もなく、終いには引退を決意する。

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ただし、それだけで終わらないのがノーカントリーのおもしろいところ。この作品には、勝者が存在しない。己の掟に準じて全ての“作業”を終えたシガーは、カーラ・ジーンを銃殺した帰り道の交差点で、信号無視の車に側方から突っ込まれ重傷を負う。商売道具の腕が折れ、その身柄上まともな医療を受けることは難しいであろうシガー(実際、彼は劇中で負ったひどい銃創を自らの手で治療している)が、これまで通り生きていくのは困難であることは、誰の目にも明らかだ。殺戮の使者、あるいは死神そのものと形容しても大袈裟ではない男も、“不条理(ルール)”の前には平等というのが、たまらなく痛快である。

唐突な自分語りになってしまうが、私自身「決定的な瞬間は不意にやってくるものだ」と考えている節がある。具体的に言うと、大切な人に看取られながら寿命を全うするとか、そこまで望まなくても、自分の死期を悟ってそれを逆算しながら旅立つ準備をするとか、そんな最期を迎えられると思えない。ある日突然、何の前触れもなく死んでしまう気がする。それがとても怖い。

この映画がすごく好きなのは、そういった恐怖の要素を内包した物語が優れた映像作品に昇華されているということに対する手放しの敬意と、自分の予感は一笑に付して否定できるものではないと見せつけられることに対するマゾヒスティックな悦びが理由なのだろうと思う。基本的に私は、絶望的な何かについて描かれた作品が好きだ。

最後に、原作小説から、強く印象に残っているシガーの台詞(カーラ・ジーンを殺害する直前のもの。原作ではカーラ・ジーンはコイントスに応じ、その賭けに失敗する)を引用してこの記事を終えたいと思う。

“わかるか? おれがおまえの人生の中に登場したときおまえの人生は終わったんだ。それには始まりがあり中間があり終わりがある。今がその終わりだ。もっと違ったふうになりえたと言うことはできる。ほかの道筋をたどることもありえたと。だがそんなことを言ってなんになる? これはほかの道じゃない。これはこの道だ。”

(原作小説もめちゃくちゃおもしろいよ)


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