模倣、

電車の中、スーパーまでの道すがら、
気が付いた時、誰かの真似をしているときがある。

きっかけはいつだったか、
多分、中学の頃同級生だったあの子、
生徒会長をして、クラスの劇の脚本を書いて、
運動部系のオラオラな子も、文化部系のおとなしい子も、
皆が彼を慕っていた。認めていた。
彼は僕から見ても、誰から見ても輝いていた、と思う。

彼と同じ高校に進学することになった僕は、気が付くと彼の真似をしていた
彼の電車の中での立ち姿、足の組み方、傘の持ち方、スマホの持ち方、
そうした様々な彼の要素が僕の中に入っていった。
僕は彼のように足を組んだ、腕を組んだ、スマホを触った、
僕は彼みたいになりたかった、
彼みたいに輝きたくて、皆に慕われたくて、
でもそれは無駄に終わった。模倣はオリジナルを超えられなかった。
僕は、彼とは別々の道を歩むことにした。
結果、僕の中に染み付いた彼の習慣と癖だけが残った。

あれから5年以上経った今、
僕は僕なりのオリジナルを、ある程度確立できたと思う。
でも僕の作り上げてきたオリジナルは、
人の目があって初めて成立するものが多い、
つまりこの状況下では自分を確認できない、
自分が積み上げてきたものが本当にあるのかどうか、
自分というオリジナルが本当に存在しているのかどうか、
他者に対しても、自分に対しても、不確かさを感じ続けている、

僕の中に染み込んだ模倣はそのまま僕の中にあり、
時々その模倣に甘んじている自分に気付かされる、
ああ、今自分は彼の模倣をしているな、
あの人みたいな表情をしているつもりなんだな、
僕はあの人に自分を寄せようとしているんだな、
そうして自分の中にある模倣に気付いていると、
益々自分というものが分からなくなってくる、
僕は一体誰なのだろう?

最近、まとまった期間他者と向き合う機会があった。
その仲間の中に、とても面白くて、慕われている人がいた。
僕は僕のスタイルを貫いて、それなりに成功した、と思う。
でも終わり間際、他者に慕われていたのは圧倒的に彼だった。

しばらくの間、劣等感に苛まれた。
何で僕は彼みたいにできなかったのだろう、
それでも、彼の模倣を僕はもうできないという事は分かっていた。
誰かの模倣をして自分を良くしようと思えるほど、
誰かのように...を原動力として自分を変えていけるほど、
僕はもう若くないという事に気が付いた。

僕は模倣することもできず、そして自分を変えることもできず、
ただ、その劣等感とアイデンティティの欠落に苛まれ続けている。

最近、HipHopを聴くようになった。
僕が僕らしくある、という事がどういうことなのか、
僕とは一体どういう人間で、どういう人間になってゆきたいのだろう、

誰でも一度は考える、でもとても大切なことを、
人生から生まれる剥き出しの言葉の中、考え続けている。

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