孤独感、『コントが始まる』

僕には友達がそれなりにいる。
たまに会った時他愛のない話をしたり、
たまに遊びに行こうよ、なんて言ってくれたりする友達がいる。

僕には仲間がそれなりにいる。
一緒に演劇を作ったり、一緒に何かプロジェクトに携わったり、
一緒にミュージカルを作ったり、一緒に合唱したり、一緒のゼミにいたり、
互いに教え合ったり、一緒に小説を書いたり、とかとか、
コミュニティの数だけで言えば他の人よりも多いんじゃないかとすら思う。

でも、僕はずっと孤独感を抱えている。
僕は彼らと、友達にも、仲間にもなれていないと感じる。
大勢でいても、数人でいても、二人でいる時でさえ、
孤独感がずっと拭えないまま、そこに在り続ける。

それは僕の行動のせいもある。
僕は昔から不真面目で飽きっぽかったから、
昔から親に遊ぶ時間を制限されてきた。
友達と遊ぶのは週に一回でいい、二週間でいい、
今は年に一回も許可されていない。
別に、束縛がきついんじゃない。
母子家庭という事情を鑑みれば、自分の就職の事を考えれば、
納得できないようなことではないから、
納得はできるんだけど。けど、それだけ。

またそれは僕の経験のせいもある。
僕は小学生の頃同じグループの子らからいじめられていた、
だからグループでつるむ、という事に対して一定の警戒心がある。
それ以来グループで友人たちとつるむことは無い。

そして僕の性格のせいもある。
僕は面白いことが好きで、突拍子もない事が好きで、独創的なものが好きで
普通のことが好きじゃなくて、当たり前が当たり前であることが嫌いで、
だから話が合わないことが多いし、
何でそう考えるのかと疑問が湧くことが多い。
それがきっかけで、友達に反論して仲を崩してしまったことも何度かある。

だから僕は友達と大勢でつるめないし、
友達と二人でいてもあまり自分の意見を言うことは無いし、
そもそも友達と遊ぶような機会は滅多に訪れない。
だから必然的に孤立する。

別に僕は一人でいることも嫌いじゃない。
そうしている方が安心できることも多いし、
節目ごとに一人でい続けようと何回決心したか分からない。

でも、人は一人で生きていきづらい、生きづらいことを痛感してる。
ドラマではチームワーク、友情、恋愛、街でも、周りでも、
自分がその輪の外側にいることを何度も何度も意識させられる。

ああ、僕にこういう友人がいたら、僕にもこんな仲間がいたら、
何か変わったんじゃないか。この孤独感は埋まったんじゃないか、
コロナ禍、こんなに苦しくならずに済んだんじゃないか、
今更この場所で何かを変えていくことなんてできない。
それをするほど、僕ももう若くなくなってきてしまった。
それでも、もし、この手を伸ばせば、

Zoomで仲間に対面する時、僕はいつも通りの自分を演じる。
愛想笑いをして、自分の内心を隠し、話を合わせて、
亀裂を生まないように、議論の妨げにならないように、
向こうがわの人を否定して傷つけないように、


『コントが始まる』というドラマを観ている。
三人の関係性に憧れて、周りの人たちの温かさに憧れて、
ドラマの中、登場人物たちの関係性は温かくて、温かくて、
何故か胸が熱くなって、嬉しさと悲しさが同時に押し寄せて、
少し泣いた。

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