毛むくじゃら、過去、

くらやみから、僕をのぞき込む何か、
毛むくじゃらで三頭身くらいの、一つ目の何か、
それは様々な形を取り、時々薄くなったり濃くなったり現れたり消えたり、
しかし異様に大きい目だけは変わらずそこに在り続けていて、
僕を様々な角度から吟味し続けている、ぱちくり、
少なくとも僕にはそう見える、不確かで不気味な何か、
それを僕は過去と呼ぶ。

気がついた頃から、僕は過去への執着が薄かった。
それは別に特別なことではないと思う。
嬉しい記憶はすぐに無くなるし、嫌な記憶ほどよく頭に残った。
よくある話だ。

でも今は違う。
喜怒哀楽の差などなく、僕には記憶がほとんど残っていない。
ここ4年間くらいの記憶は特にそうで、
想い出の人の顔はほとんど煤色にぼやけて見えなくて、
過去が本当に過去なのか自信が持てなくなることがある、
それは本当に僕が体験したこと、経験したことなのだろうか、

そのくせ、劣等感にまつわる記憶は場面場面で現れたりする。
ああ、あの時の彼なら、彼女なら、もっと上手くやれていただろうな、
今頃彼らはもっといい場所にいて、充実した世界にいるのだろうな、
...別にそれが正しいとは思わない。
彼らは彼らなりの、彼女らは彼女らなりの苦しさを持っていて、
しかしそれでも僕には煌めいて見えるのだろうな、という、ただの妄想だ、

或いは、自分自身にも劣等感を覚えたりなどする。
ああ、あの頃の僕なら、もっと上手く、もっと面白く、もっと、もっと、
記憶が無いという事と矛盾していそうな気もするが、
しかしその記憶が顔を出すのは嬉しい時でも笑っているときでもなく、
果てのない自己嫌悪の中にいる時に限られるのだ、

だから僕は、過去にずっと見つめられているのだろうな、と感じる。
記憶や感情の残滓がうぞうぞと集まって形を成し、目を開く、
そして僕を少し離れたところから見つめ続ける。

意図的に僕から触ることはできない、思い出すこともできない、
しかし必ずいつか向こうから手を伸ばし、僕の感情を助長する、
不気味で不愉快な一つ目の毛むくじゃら、

こうして何の役にも立たない主観を書き並べている僕の部屋の隅、
毛むくじゃらの目がこちらを向いているのを感じる。

いつか、彼と話せるようになる時が来るのだろうか。
いつか、彼の考えていることが分かるようになる日が来るのだろうか。

毛むくじゃらは相変わらず黙ったまま、僕を見つめ続けている。

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