喫煙

最近、煙草を吸うかどうか迷っている。

健康上の問題とか、単純に嫌厭されるとか、そういう意味じゃなく、
自分の中で確実に変わる「何か」が、果たして僕にとって良いものなのか、
判断がつかず、コンビニに行けずにいる。

これまでは正直、煙草が嫌いだった。
嫌いな父が吸っていたから、憧れの先輩が吸い始めたから、
自分が知っているひとが煙草を吸うその姿に、複雑な感情を抱いたから、

それは、諦めのような感情だった気がする。
「この人はもう変わってしまったんだな」という寂しさと、
その人が自ら死を選んだかのような喪失感、「そうか、」という諦め、

煙に揺られる彼らの姿から僕は死を連想する。
健康上の被害とかそういう刷り込みも多少は影響しているのだろうけれど、
煙草を吸うという事は生命の一つの区切りであるように見えた。
吐き出されゆっくりと消えていく煙は彼らの生命であるように見えた。

だから寂しかった。
もうその人たちに何故か会えない気がしたから、
煙によって醸される見えない区切りが僕らを断絶する気がしたから、
だけど諦めた。
理由はどうあれ彼らが選択したことだったから、
彼らは進んであちら側へと踏み込んだのだから、

不思議なことだけれど、彼らからはこの区切りは見えないらしかった。
正確には、自分達の中にしかその区切りは無いと思っているらしかった。

今、僕はその区切りの一歩手前にいる。
この区切りを跨ぐことが僕にとって善いことなのか、
それとも僕を失うことに繋がってゆくのか、判断はつかない。
この区切りを跨がない限りは。
緊張と眩暈が迸る、

今日も僕は財布を持ちマスクを着けて玄関を出る。
夜風、街灯の明かり、トラックの運転音、人の話し声、新聞屋のバイクの音
曇った眼鏡の白みをしばらく眺め、家に戻る。

明日買おうか、気が付けばそれが一週間ほど続いている。

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