見出し画像

山野辺ゆきみと篠井研

 学校帰り。

 校門前でわたしを呼び止めたべゆみと、がんセンターの真ん前にあるデイリーヤマザキで買ったアイスを食いながら、川沿いの遊歩道をだらだら歩いている。やすらぎ堤とかいうのんきな名前だけど、わたしとべゆみがここを歩くのは、あんまり楽しいことがない時だ。

「あー、姉ちゃんの車どっかで壊れねーかな」

 べゆみは学校指定の鞄を振り回す。わたしはそれを足を止めて避ける。べゆみの担任は置き勉禁止するから、英語の日は鞄で殴られると普通に痛い。

「避けんなし」

「避けるわ。帰ってくるの?」

 結婚して隣町に出て行ったべゆみの姉ちゃんは、何か月かに一回ぐらいに、安い中古の軽自動車を転がして帰ってきて、ガブガブお酒飲んで、家のお金持って隣町に戻る。

「くんのよ。けんち、明日泊めてくんない?」

 踊るように翻るべゆみーの夏服ジャンスカは、切っても折ってもいないのに膝上15センチ。べゆみは中学入ってから、アサガオの蔓みたいに細くしなやかに伸びた。こっちは、「中学入れば伸びるから」って2サイズ上を買われて、結局ダルダルのままのズボンを履き続けてるっていうのに。

「ウチも、ねえちゃん帰省してっから部屋ないよ」

「けんちの部屋でいいよ。友達ですっつって上げてもらってさ。おさがりのベッドセミダブルっつってたじゃん」

 姉ちゃんが県外の大学に行ったから、姉ちゃんの部屋だったところは、わたしの部屋になった。兄貴と使ってた二段ベッドは解体され、今は姉ちゃんのおさがりベッドで寝てる。肝心の姉ちゃんは、帰省すると客間で寝起きしてる。

「ダメでしょ……」

 わたしはコーンのしっぽを齧って残ったバニラアイスをすすった。

 確かにハタから見れば友達だと思うけど、わたしの身体は小柄な男子だし、べゆみは女子。人に見つかったりすると、ちょっと面倒。

「この前呼び出されたのも、南田に見つかって面倒だったんだから」

 この辺の桜も見ごろが終わった5月の頭。夜の9時過ぎて、付き合ってた高校生の男子にLINEブロックされた、ってこの世の終わりみたいな顔で言われて呼び出された時の話。

 別に高校生だからってオトナじゃないよ。兄貴がそうだもん。大人っぽいからってオッケーしたべゆみもどうかと思う。そう言うと泣きながら叩かれたし、泣きながら叩かれてるところを犬の散歩してた南田とその母に見つかって、1時間後にはLINEの通知がぶっ壊れた。

「クラスのLINEでめっちゃ詰められてさ」

 橋の下にできた日陰で、いつものように並んで座り込む。セミが元気。

「正直に言えば良いよ。どうせアタシ困らんし」

 笑うべゆみの横顔を見る。伸びた背丈と手足に不均衡な、あどけない可愛さ。こんなだから、Saturdayが読めなくても、7か月で彼氏が4人変わってても、普通にモテてる。

「それはわたしがヤだ」

 誰が誰と付き合ってるとか、そういうののスピーカーになるの嫌いだし、自分にマイク向けられるのも嫌い。

「アタシ、けんちのそういうとこ好き。筋の通ってるの良いと思う」

 べゆみは、自分のことは隠さないし、人のことも基本的には善人だと思ってる。だから人が周りにいっぱいいるし、その半分ぐらいから便利な人間だと思われてる。

「筋が通ってりゃ良いってもんでもないよ」

 わたしはズボンの膝を抱えた。わたしは自分の身体が大嫌いだ。だから、他人の欠点に余計に目が行く。

 南田は調子のいい男子で、あったことを10倍ぐらいにして話すけど、こっちが強めに怒ると自分は悪くないってすぐ言うから嫌い。べゆみも、自分が便利な人間だと思われてること、分かっててそれで良いって言うから、そういうところが嫌い。

 わたしがその蓋を外すのは、べゆみの前だけだ。べゆみはわたしが自分の身体を好きじゃないことも、べゆみみたいになりたい事も知ってるし、知ってて「いいじゃん」って言ってくれた、初めての友達だからだ。

「アタシそういうの苦手だから、いっつも相手のお願いヘラヘラ聞いちゃって、たまに何やってんだろ、って思うよ」

 べゆみはスニーカーと靴下を脱いで、ペタペタと歩く。大してきれいじゃない川に足を浸して「けんち、きもちーよ。おいでよ」と振り向く。翻る長い髪は、このところの暑さなんか気にしないように涼しげ。

「べゆみ、なんかあった? 姉ちゃん以外で」

「うーん……なんもないよ」

 べゆみは川の水を蹴り上げる。

「なんもないけど、たまにあるじゃん。あー、やだなーって日」

 ……ある。なんか決定的な出来事があったわけじゃなくて、小さな悲しさや細かい小石みたいなつらさが靴底に転がってるって、気が付いちゃった日。

「たまたま、そういう日だったから、けんちのこと待ってたんだ」

 スカートのすそをつまんでわたしを見るべゆみは、嫉妬するほどかわいかった。わたしの好きだった教育実習生と付き合って、2か月で別れた麗しいべゆみ。別れ話をこの辺でやってて、それを見てしまったわたしが自分をどうにもできずに、べゆみに突っかかって、それから、わたしとべゆみは友達になった。

「しょうがねえなあ」

 靴と靴下を脱いで、スラックスを膝までたくし上げる。わたしはべゆみの隣でジャブジャブと遊んだ。

 そうしながら、靴から小石を叩きだすように、しょうもない話をした。来週の期末のことだとか、花火誰と見るとか、担任の愚痴だとか、最近見たYoutubeの配信とかの話。

 わたしたちは、お互いの欲しいものをお互いが持ってる。べゆみは荒れてない家とわたしの芯が欲しいし、わたしはべゆみの身体と、あっけらかんとした性格が欲しい。

 足りないときだけ一緒にいて、お互いの足りなさを分け合う。わたしとべゆみは友達だけど、お互いを支え合ったりは絶対にしない。

 お互いの足りなさを分かったうえで、見ないふりをして、一緒にいてくれるだけでいい。それでわたしたちは、ちょっと息をついてまたやっていくのだ。

「べゆみー」

 満足するまで遊んだべゆみの後ろ姿に、わたしは声をかけた。

「週末、なんとか言い訳作って出られるようにする」

「……ほんと? ドンキで花火買って遊ぼ」

「ドンキ遠いじゃん」

「チャリなら一瞬」

「30分だよ?」

「瞬でしょ」

 べゆみとわたしは、瞼を閉じて笑い合った。


【山野辺ゆきみと篠井研 おわり】