ゴジラについて語る第2回

あけましておめでとうございます。
ゴジラについて語る第2回書きます。前回は1作目〜1975年のゴジラ作品でゴジラの立ち位置について考えてたことを書きました。
 今回は1984年の「ゴジラ」から1995年の「vsデストロイア」でゴジラの立ち位置について考えたことを書こうと思います。

1984年のゴジラは1作目同様単体で登場します。そして対人類という形で出てきます。
  次のビオランテではゴジラと同じように人間が生み出した怪物(ビオランテ)と戦います。立ち位置的には「たまたま蘇ってしまった。」みたいな書き方でした。この作品以降、ゴジラの登場や動きと気持ちは少しだけ予測できるものとして扱われるようになります。1984年については見直さないといけないのですが…ビオランテ以降サイキッカー?テレパシーみたいなものでゴジラと交信できる少女が出てくるのですね。他にも子供たちの夢にゴジラが出てきたりします。飼い慣らすことはできないが、コントロールしようと思えばできるという書き方がされていきます。対してゴジラの敵となる生物は全て人間が生み出したものだけど、ゴジラと違って全くコントロールできないです(モスラは別)。

これらのことからいえる1980年以降のゴジラの立ち位置はたぶん次のようなものなのかなと思いました。
「恐怖の対象なのは変わらず」「敵でも味方でもない」「過去の過ちの産物として人類に受け入れられている」「少しコントロールできる(と思い込まれている)例えるなら自然のようなもの」です。
この辺りの作品は人間の考えや行動が濃く書かれています。すごく愚かなことをしてるようにも見えます。ここは昭和との大きな違いかなと少し思いました。きっとこの時代の人たちは「自然って怖いけれどコントロールできるものでもあるし、それゆえに愚かなことを人間がしちゃうんだよね」って気持ちが強かったんだと思います。ちょっとまとまらなくなりましたから今回はここまでです。次は2000年以降の作品について語ります。ただこれ以降は作品が繋がっているものが非常に少ないので、もしかしたら作品ごとに紹介する記事になりそうです。

参考までに
1984年以降の作品はほとんど繋がっています。
ただし、物事の流れについては「1991年のvsギドラの際に過去改変?がなされたため途切れてる」という説があります。でも登場人物、ゴジラの登場の仕方、スーパーX(対ゴジラ兵器)の番号から判断して繋がってると考えました。
また1954年(1体目)→1984年(2体目)〜1995年の流れとなってるそうです。

以上。今年もよろしくお願いします。第2回はちょっとわかりづらくなりました。


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