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弦楽器のボウイングとニュアンス:マーラー第9交響曲の例

 アマチュアオーケストラの練習指揮をしていると,弦楽器のボウイング(弓使い)について指示したり,相談したりすることがある。私は弦楽器奏者ではないので,「このようなニュアンスで弾くには?」とコンサートマスターやパートのトップ奏者に相談するのである。
 弦楽器のボウイングについて,説明しておこう。弓の根元(手に近い方)から下に下げる(チェロの場合は右に弾く)のを「ダウン」,その逆を「アップ」という。弓の根本の方では弦に圧力をかけやすい。先の方では圧力が弱くなる。したがって,たとえば次のように使い分ける。
・フォルテでアクセントをつけたい・・・ 根本に近い方でダウン
・ピアニシモでトレモロにしたい ・・・ できるだけ弓先でひく
 ダウン・アップの選択の他,圧力のかけぐあい,ひくときの弓の速度などによって,出てくる音がちがうので,音楽のニュアンスを表現するときにはどのように弾くかが問題になるのだ。
 その例を,マーラーの交響曲第9番の冒頭で見てみよう。(実際にアマオケでやったわけではないが) YouTube にたくさん挙がっているので聴き比べることができる。ただし,動画でないものは弓の動きが分からないので,出てくる音だけが比較の対象だ。
 聴き比べたいところの楽譜は次の通り。

Mahler Symphony No9 1st mov.
Mahler Symphony No9 1st mov.

まず,練習番号1の2小節前からの第2ヴァイオリン。2分音符に4分音符のアウフタクトがついている。そこにダウンボウで始める指示がありアクセントマークもある。練習番号1のところはアップの指示でスラーが切れている。しかし3小節目のアウフタクトはダウンボウの指示になっている。
練習番号2のところは,第1ヴァイオリンでアウフタクトがダウンの指示。
 まずこれだけを見て,先ほど書いた,ダウン・アップの違いによる音の違いを念頭に,どのようなニュアンスで音が出てくるのかを想像してみよう。さらに,弓のどのあたりで弾くか,弓の速度はどうするかまで想像してみよう。

楽譜で音のニュアンスを考える

管弦楽:南西ドイツ放送交響楽団 指揮:ミヒャエル・ギーレン の動画は,スコアつきなので,これをまず見てみよう。

着目する点を2つ。練習番号1の前と練習番号2のところのヴァイオリンパートだ。ニュアンスを図にしてみた。

楽譜の指示とニュアンス

練習番号1の前,アウフタクトの4分音符にダウンボウの指示とアクセントマークがある。アウフタクトが8分音符で動く方はアップボウでアクセントマークはないがスラーが切れている。そこを①のようにするか,②のようにするか。
練習番号2のところも同様。こんどは,8分音符にスタッカートマークがある。ただし,スラーの中のスタッカートマーク。これを③のようにするか④のようにするか。同じような音形の他の箇所も注意したい。
 もう一度,南西ドイツ放送交響楽団の演奏を見てみよう。楽譜を追いながら音のニュアンスを聴いてみよう。
練習番号1のところは①の形。ただし,四分音符のアウフタクトと8分音符2つのアウフタクトは少し異なる。
練習番号2のところは③の形で,スタッカートでほんの少し間があいている。

ボウイングを映像で見る


では,実際にはどのような弓遣いをしているか。ヴァイオリンがアップで映っているものを見てみよう。アバド・ルツェルン祝祭管弦楽団の演奏がわかりやすい。
(1:37くらいから)

練習番号1の前は①のパターンで,4分音符と2分音符がスラーになってはいるものの,弓の速度は一定ではなく,4分音符で少しゆっくりになる。アクセントのニュアンスを出すのに,弓の速度で音を減衰させているのだ。8分音符2つの方も,スラーが切れているので似たような弓の動きになっている。
練習番号2のところも同じような弓の動きだ。スタッカートマークがあるが弓はほとんど止まっておらず,南西ドイツほど間は空かない。そのあとも見ているとわかるが,弓の速度は一定ではなく速くなったり遅くなったり,使う分量も変わる,つまり弦への圧力が微妙に変化し,それが出てくる音のニュアンスに関わってきているのがわかる。
 なお,アバドには,マーラーユーゲントと演奏したものもあり,ニュアンスのつけ方が少し異なる。
 アバドとかなり違うのが,バレンボイム・Staatskapelle Berlinの演奏。24秒くらいから。はじめは 2ndヴァイオリンが映っていないが。

音の減衰の具合がちがっていて,全体的にニュアンスの着け方が淡泊だ。弓の速度の変化を見ても違いがわかる。

ルバートも含める


 ルバート:すこしテンポを緩める:は楽譜の指示にはないが,それも含めてニュアンスを出している演奏もある。バーンスタイン・ウィーンフィルの演奏。59秒あたりからテンポをとりながら聴いてみるとよい。

4分音符のアウフタクトでルバートしており,かなりゆっくりだ。8分音符2つのアウフタクトはほとんどインテンポで,使っている弓の量も違うことがわかる。4分音符は長くひいているので結構弓を使っている。音形としては①のタイプだ。
練習番号2のところもルバートしている。弓使いはルツェルンに似ている。むしろ南西ドイツのように,スタッカートで間が空く方演奏の方が少ない。

日本人の指揮者

日本人だからって,どうということはないが,まずは小沢征爾・ボストンのラストコンサート。始めに話が入っているので,2:25くらいからスタート。

練習番号1のあたりは割に淡泊だが,2の方はルバートして入り,楽譜にないダイナミクスの変化が感じられる歌い方だ。
次に,山田一雄・新日フィル。こちらは映像はなく,音楽だけ。やはり練習番号2のあたりで歌いこんでいる。

ワルターの演奏

 ブルーノ・ワルターは,マーラーの親友であり,よき理解者であった。マーラー自身は第9番を演奏せずに死去し,初演をしたのがワルターだった。オケはウィーンフィル。(1912年) そのワルターが,どのようなニュアンスで演奏させているかは興味深いだろう。どちらかというと②,④に近い。
ワルター・ウィーンフィル(1938年,モノラル:音だけ)
練習番号2のところ,スタッカートで切れていない。
ワルター・コロンビア交響楽団(1961ステレオ:音だけ)
練習番号2のところ,スタッカートであまり切れていないが,ウィーンフィルのものと少し違う。
 ワルターの演奏は,この冒頭だけでなく,やはり全曲を聴きたい。コロンビア交響楽団の方は,第二楽章で足踏みの音が聞こえる。

その他

 YouTubeには多くの演奏がある。減衰の程度,ニュアンスのつけ方が①③に近いものと,②④に近いもので分けてみた。ただし,程度はすこしずつ違うのではっきり分けられるものではないし,練習番号1と2のところで異なるものもあるので,異論はあるかも知れない。

①③に近いもの
ラトル・ウィーンフィル
ハイティンク・コンセルトヘボウ
ノリントン・シュトットガルト
 ロジャー・ノリントンはマーラーでもノンヴィブラートだ。練習番号2は④に近い。

②④に近いもの
ノイマン・チェコフィル(音だけ)
カラヤン・ベルリンフィル(音だけ)
バルビローリ・ベルリンフィル(音だけ)
ブーレーズ・ニューヨークフィル(音だけ)
クレンペラー・ニューフィルハーモニック(音だけ)
 クレンペラーは,練習番号2のスタッカートのところは音が切れていて③に近い。

他の楽器のニュアンス

他の楽器,それも管楽器がどのようなニュアンスで吹いているかも聴き比べて見よう。たとえば,練習番号2の前のイングリッシュホルン・クラリネット・ホルン。

特にイングリッシュホルン。2の1小節前,フォルテでアクセントがあり,その後デクレシェンド。このアクセントつきの8分音符の演奏が,オケによってかなり異なるのだ。楽譜のイメージに近いのは,小沢征爾・ボストンだろうか。(3:32あたりから)

 以上,プロのボウイングは,アマチュアにはなかなか真似のできないところがある。弓の速度の変化,圧力の具合など,プロは自由自在であり,また,指揮者がどう指示しているかも関係する。(特に指示しないかもしれない)
 そのあたりを考えながら聴き比べるのも面白いというものだ。