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哀愁のドナウ

 所属しているオケで,イヴァノビッチの「ドナウ河のさざ波」をやることになった。シュトラウスの「美しき青きドナウ」は何度もやっているが,こちらははじめてではないかな。メロディーは知っているが。
 スコアが来たので,YouTubeで探してみた。最初にヒットしたのが,秋山和慶ーミリオンポップスのもの。

秋山和慶なら問題はなかろうと聴いてみてびっくりした。こんな曲だったのか。 28小節目からのメロディ。第1ワルツ(よく知られている旋律)と同じような形なのだがなんと哀愁を帯びていることか。

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 オケはもう何年もやっているが,この曲を演奏した記憶がない。小学校か中学校の音楽の授業で聴いて以来ではないか。もちろん,この第1ワルツの旋律はあちこちで耳にはしているのだろうが。

 がぜん興味が湧いた。なぜ,改めて聴いて,これほどまでに哀愁を感じるのか。
 インターネットでちょっと調べると,あちこちに「哀愁を帯びた旋律が」と書いてある。しかし,いままでそうは思っていなかったのだから,今回そう思ったのは何かあるはずだ。インターネット上の情報では限りがあるものの,いくつか調べ,Youtubeでもいくつか聴いて,私なりの解釈(「好み」ともいう)をしてみた。

アウフタクトの効果

 「なぜこれほどまでに哀愁を感じるのか」で最初に考えたのが,アウフタクトの効果である。
 第1ワルツの旋律はよく知られてる3拍子。

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これに対し,イントロダクションでは4拍子になっている。

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この違いによる効果はどうか。同じ形で2拍子にしてみよう。

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つまり,伸ばす音と,八分音符2つ分の比率の問題である。2拍子にすると,1 : 1 でほとんど対等。小節ごとにスラーがかかっていることもあり,4小節のフレーズが 小節単位に感じられる。ところが,4拍子になると比率が 3 : 1 になり,伸ばす音が主になるばかりか,八分音符2つの動きは,次の小節へのアウフタクトの意味合いが強くなる。「アウフタクト」というのは「タクト」つまり指揮棒が「アウフ」上にあがることをいう。したがって,その後,指揮棒が下に降りて1拍目を打つにつながるわけだ。最初にアウフタクトで始まるのも,この旋律の性質を示している。スラーは小節ごとにかかっているが,グルーピングは小節ではない。必ず次の小節につながるのである。さらに,この3拍の伸ばしが,哀愁感にもつながっているのだ。3拍の間に,いろいろな思いが去就する,といってもいいかもしれない。次の譜例は管弦楽アレンジのものだ。伴奏は四分音符と八分音符になっているが(クラリネット),オーボエとフルートのまっすぐな音が,アウフタクトと相まって感傷的な旋律を醸し出している。

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 ちなみにミリオンポップスの演奏では,フルートがヴィブラートを極力減らして,オーボエの音色と混じったまっすぐな音にしているのが印象的だ。このあたりも,最初に驚いた要因の一つだ。
 第1ワルツになると3拍子になって比率は 2 : 1 になるのだが,この「アウフタクト」の性質はそのまま残り,哀愁感の漂うワルツとなるのだ。

シュトラウスの青きドナウとの違い

 ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」と,なぜこれほどに印象が異なるのか。長調と短調というだけでなく,いろいろな要素がありそうだ。作曲年代,作曲の背景,それらを見てみよう。
 まず,イヴァノビッチとはどんな人だったのか。
 ヨシフ・イヴァノヴィチ( Iosif Ivanovici)は,1845年生まれのルーマニアの作曲家。軍楽隊の隊長で指揮者でもあった。しかし,彼の作品は数える程しか残っていない。
 一方のヨハン・シュトラウスは1825年生まれのオーストリアの人。ウィーンを中心に活躍した指揮者・作曲家であまりにも有名。生まれ年は20年しか違わない。20歳若いイヴァノビッチは,おそらくシュトラウスのことを知っていただろう。ワルツ王といわれるシュトラウスの曲を知っていて,構成の似たこの曲を作ったと考えられなくもない。
 「構成が似ている」というのは,たとえば,ワルツのつなぎ目だ。第2ワルツから第3ワルツへはつぎのようにつながる。

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管弦楽版だと,4小節目の八分音符はトランペットで,そのあと少し待って(ルバート)旋律に入る。「美しく青きドナウ」の第4ワルツへの入りによく似ている。

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 つづくワルツの旋律がアウフタクトで始まる上昇形というところまで似ている。ただし,イヴァノビッチの方は,まるでシュトラウスの行き方に対比するかのような単調で,第1ワルツの旋律に負けない哀愁感のあるものになっている。

 このように,イヴァノビッチがシュトラウスの「青きドナウ」を知っていて参考にした可能性はあるのだが,作曲の背景はかなり異なる。
 「美しく青きドナウ」は,1867年に作曲した合唱用のワルツ。ウィーン男声合唱協会のヘルベックの依頼で作曲したが,完成品を渡したのではなく断片的に何回かに渡って渡したようだ。しかも「美しく青きドナウ」という曲名は,初演の直前に決まったようで,誰が命名したかさえ不明らしい。
 一方,「ドナウ河のさざ波」の方は 1880年に作曲されたが作曲の経緯は不明。ブカレストのコンスタンティン・ゲバウアー社から出版され,エミール・ワルトトイフェルが1886年ごろに編曲した版が1889年に開催されたパリ万国博覧会で演奏されて世界的に有名になったという。ワルトトイフェルといえば,スケーターワルツなどで有名なフランスの作曲家だ。
 では,オリジナルの編成は何だったのか。「ピアノ」と書かれている記事と,彼の楽団のために(ということは軍楽隊)書いたという記事があり,定かでない。オリジナルの楽譜が残っていないのだ。Web の楽譜提供サイトIMSLP にあるスコアはいずれもピアノ版で,しかも中身がすこしずつ異なっている。

イヴァノビッチが見たドナウ河

 前述のように,シュトラウスはオーストリア,イヴァノビッチはルーマニアの人。すると,二人が見ている「ドナウ河」も違っているはずだ。
 ドナウ河の源流はドイツ。そこからオーストリア,ハンガリーを通り,ルーマニアを経て黒海に注ぐ。下流のルーマニアでは川幅も広く,流れも緩やかになっている。ただし,「さざ波」が正しい訳かどうかは怪しい。「Donau Wellen」の Wellen をDeepLで訳してみると,ドイツ語では「波」,ブルガリア語などでは「湧き上がる,冴え渡る」と出る。
 前述の作曲経緯を考えると,イヴァノビッチはともかく,シュトラウスがドナウ河を意識して書いたかどうかもかなり怪しくなる。命名者は別なのだから。
 イヴァノビッチについての資料は少ない。したがって,彼がはたしてドナウ河を眺めながら着想したのかどうかも不明だ。しかし,もしドナウ河を眺めながら着想したとすれば,その背景はなんだったのだろうか。
 作曲された1880年のルーマニアはどんな状況だったのか。ルーマニアの歴史を調べてみる。

19世紀にロシア占領下にあったが,オスマン帝国の宗主下で連合公国が成立。1861年にルーマニア公国へと統合された。1877年にオスマン帝国と独立戦争を展開し,1881年,ルーマニア王国が樹立された。

 したがって,作曲されたのはルーマニア王国が樹立される前年ということになる。国は戦争のさなかにあった。イヴァノビッチは軍楽隊の隊長であった。
 となると,「占領下から独立へ向かう祖国」という背景が見えてくる。そういう背景を見ると(色眼鏡はよくないかもしれないが)序奏,ワルツ,フィナーレの構造が次のように思えてくる。
 序奏:迫り来る軍靴の音。
 ワルツ:シュトラウスのワルツ形式を借りて祖国を思う。
 フィナーレ:独立を勝ち取る

イントロダクションの重要性

 実は,「序奏:迫り来る軍靴の音」というのは,ルーマニアの歴史を調べる前に,イヴァノビッチが「軍楽隊の隊長であった」ということからすぐにイメージした。軍靴の音は,スタッカート(弦のピチカート)で始まり,金管による軍隊の行進に続く。

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ただし,これはオーケストラ版。ピアノ版は次のようになっている。

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ほとんど同じイメージだ。ただし,ピアノ版には,スタッカートがないものや,スタッカートがなくアクセントがついたものもある。

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 前述のように,どれが原曲なのか不明なのだが,「軍隊が行進して近づく」は,スタッカートから始まるのがよさそうだ。しかも,それを弦のピチカートで始め,金管で厚味を増すというオーケストレーションには納得がいく。
 このような構成になっているとしたら,この序奏はきわめて重要なものとなる。

原曲と編曲

 この曲にはいろいろな編曲版がある。管弦楽でもいくつかあるし,管弦楽以外にもいろいろある。仮に,ピアノ版を元にするとして,それに比較的忠実な編曲とそうでないものとがある。元にしたいピアノ版でも少しずつ違っている。冒頭の「軍靴の響き」以外でも,そのあとに出てくる第一ワルツの旋律が,どう始まるかが異なっている。アウフタクトが四分音符のもの,八分音符のもの,アウフタクトのないもの,の3通りがあるのだ。

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管弦楽版でいうと,秋山和慶・ミリオンポップスはおそらく四分音符。それ以外は八分音符だ。また,この旋律をどんな楽器が受け持つかも違う。第一ワルツに入ってからも担当楽器が異なる。旋律をファゴットが重ねている演奏があり,これはこれでなかなかいい。

演奏の例

 Youtubeにはいろいろな演奏がある。管弦楽,ピアノ,その他。管弦楽でもアレンジが異なる。いくつかの点に着目して聴き比べてみよう。
 まず,序奏。前述の通り,この序奏は重要なので,序奏のないものは除外する。あるかないかは,演奏時間をみればだいたいわかる。3分程度のものは序奏がなくいきなり第1ワルツで始まる。
 冒頭の16小節とその次,すなわちスタッカートのあるなしをしっかり区別していること。これはピアノの演奏より管弦楽の演奏の方が区別しやすいだろう。
 そのあと,軍隊が止まると,クラリネットのカデンツがある。筆者はクラリネット奏者でもあるのでこういうところには目が行く。

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 ここをどんなテンポで構成するか。たとえば,すこしゆっくり始めて加速しながら上昇する。八分音符の「ソファソ(記譜)」は次の「シ」へのアウフタクトとして,「シ」はほんのわずかだけ保って,速すぎないように下降する。八分音符6つはリタルダンド。秋山和慶・ミリオンポップスものは下降の三十二分音符がほんのちょっと乱れていて惜しいところだ。ソフィアのものはきれいにいっていると思う。ピアノの演奏でも難しそうで,なかなかいいものがない。

 このあと,第1ワルツの旋律が四拍子で奏でられる。ここのテンポ。やはりすこしゆっくりな方がいい。ミリオンポップスのものは,ここで「びっくり」したのだ。まっすぐなフルートとオーボエの音に哀愁感が漂う。
 前述のように,アウフタクトの音楽なので,スラーが小節単位であっても,そこで切ってはいけない。管楽器ならスラーの切れ目でタンギングはするがフレーズは切らない。ところが,ピアノの演奏で,ここが切れてしまっているものがある。親指(高く評価)が600いくつも立っている演奏だが大いに疑問だ。
 この旋律の終わりにはターンの音型のあとに八分音符のフェルマータが2つ続き,深く沈むような旋律に引き継がれる。

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ピアノの楽譜はいずれもこのように八分音符で終わり,八分休符になっているが,管弦楽版で四分音符になっているものがある。譜例はJ.A.B.association のアレンジだが,Youtubeでの演奏でも両方ある。

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この違いと,そのあとのチェロのメロディ,これもききどころだ。
 第1ワルツにはいって,そのテンポ感。速すぎない方がよい。そして,メロディの作り。説明がしにくいが,平坦にならずに情感をこめて歌いたい。ピアノ譜には,dolce と書いたものもある。
 そのあとも,フォルテとピアノの対比や,ルバートのしかたなど比較要因はいくつかある。第3ワルツの歌い方も聴きどころ。

意外な演奏:マリンバ

 ピアノ,管弦楽以外のものも探して,マリンバのものに行き当たった。

 正直なところ,「マリンバもありか」ぐらいに思っていたのだが,この演奏は,今まで述べてきた印象にぴったり。クラリネットのカデンツの部分,序奏のテーマ,そのあと,ワルツに入ってからのテンポ感。筆者の感覚にぴったり合っている。
 マリンバでは,ピアノと異なり,長い音はトレモロで持続音にすることができる。長い音だけなく,ある程度の長さがあればトレモロにできるのだ。
 序奏のテーマの部分。

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 このアウフタクトの八分音符を,単打にするかトレモロにするか。付点ニ分音符だけをトレモロにして八分音符は単打というのは当然考えられる。しかし,この演奏ではすべてトレモロ。そのため全体がレガートになるのだ。ところが,フェルマータの前のターンの十六分音符3つは単打にしている。

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楽譜上はスラーがついており,リタルダンドが可能なのでこれもトレモロのままいくことができるのだが,これを「決然と」単打にしている。まるで,それまでの気持ちを打ち消してここで切り替えているかのようだ。しかし,そのあとはトレモロのレガートで気持ちは再び深く沈んでいく。
 譜例にはないが,次の八分音符アウフタクトは単打である。また,第1ワルツと同様にアウフタクトで始まる第3ワルツではアウフタクトを単打にしている。テンポも少し速め。つまり,単打とトレモロはすべて計算されているのだ。実に見事な演奏という他はない。

 「ドナウ河のさざ波」は,歌詞がつけられたり,近鉄特急の発車音に使われたりして親しまれている。第1ワルツの旋律が有名で,「哀愁を帯びた」と評される。しかし,このように調べてくると,表面的な親しさだけではなく,この曲に込められたイヴァノビッチの深い思いをくみ取りたくなる。そのためには,さらなる楽譜の読み込みが必要になるだろう。