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2022/05/14 書を捨ててストリップに行こう

 ストリップ劇場の経営は、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)に定める店舗型性風俗特殊営業のひとつに該当する。風適法第2条第6項第3号が、「専ら、性的好奇心をそそるため衣服を脱いだ人の姿態を見せる興行その他の善良の風俗又は少年の健全な育成に与える影響が著しい興行の用に供する興行場(興行場法 (昭和二十三年法律第百三十七号)第一条第一項 に規定するものをいう。)として政令で定めるものを経営する営業」を定義のひとつとしているためである。

Wikipedia 「ストリップ(性風俗)」の記事、「法律上の定義」の項目より

 以上のように、ストリップとは紛う方なき風俗である。ここで、性風俗の是非や法に関する論議をするつもりはないが、ストリップについて語る際には欠くべからざる前提であると思うので、ここに共有させていただいた。私は、ストリップは風俗に属するという前提に立った上で、少しでも興味があるのならば是非一度見ていただきたいと、月並みな感想を述べさせていただくつもりである。それに加えて、一度目のストリップ体験の感想の備忘録という役目も期待しているので、とっ散らかった文となると思うが、どうかお目溢し願いたい。

はじめに

 まず、私がストリップ劇場に行こうと思った動機について軽く触れさせてもらおう。ストリップとは、役者さんが舞台上に出てきて、服を脱いでいくのを見るやつ。それくらいの認識だった。そのため、全く大逸れたものではなく、ただなくなる前に一度は行かねばならないだろう!という意気からだった。

 ライブなどの音楽イベントにも数度行ったきりで、観劇趣味があるわけでもない私がストリップに行こうと思ったのは、間違いなく怖いもの見たさによるものだった。そもそも、必要に迫られない限り人間の顔など見たくもない私からすれば少々異様ではあるのだが、いくら外野から眺めてもその内側で何が起きているか知ることができるはずがない。だったら、行っちゃえばいいじゃん?それだけ。恐らく、ストリップというものに多少興味がありつつも尻込みしている皆さんの中の行きたい気持ちと、そう変わらないのないだろうか。

ストリップへ

浅草ロック座

 さて、今回私が足を運んだのは浅草にありますロック座の、かの高名な上原亜衣さんの復帰公演、『Daydream』である。なんでも、女優として第一線を引く際、同劇場において引退公演ということでストリップの舞台に登ったそうで、今回は六年越しのセクシー女優としての期間限定の復活、ということなのだそうだ。これに際しての取材記事はネット上にいくつかあるので、興味があれば是非目を通して見ることをお勧めする。

 かといって、私は上原亜衣さんのことは名前を聞く程度で、出演作品を見たことはないのだが。強がりでもなんでもなく。なので、劇場を運ぶ人々の中でも珍奇な、ストリップにおいて初めて彼女の裸体を目撃する人間になるのだ、と思いつつその日を迎えた。

夜に撮ったものなので時間帯は違う

 今回、有志を募って同行人が四人、合わせて五人で観劇に向かった。観光の名所浅草寺の雷門の前で待ち合わせ。
 行く道で上原亜衣さんの出てるAV見たことないんですよね、おすすめ教えてください、と言ったらそういうのって人に聞くもんじゃないでしょ、FANZAのランキング高いやつを見ろ、などなどご意見をいただきながら、ようやく涼しい風の吹き出したごった返す道を歩く。
 商店街をくぐり抜けてまもなく。パチンコ屋の向かい側、牛丼屋の横に、大きな図体の建物とは対照的なこじんまりとしたミニシアターを思わせる入口が我々を出迎えた。宵を迎え電飾があやしく煌めき出した初夏の浅草に負けず劣らず、場違いにも思われる、ずらりと並んだフラワースタンドの香りが鼻をくすぐり、より明確な輪郭を纏った柑橘系のフレグランスが意識をかすめた。フラワースタンドは上原亜衣さんへ向けられたものがかなりあり、彼女に向けられた熱量にあてられそうになる。



 こういう場所には入り慣れていないので、知れず生唾を嚥下しつつ、階段を登る。ステージ、受付といった劇場は二階にあった。5月14日、18時20分からの一日4回あるうちの第3公演であった。ちょうど前回公演を終え出て行く客足とぶつかってしまい、人並みに揉まれながら、無愛想なチケットカウンターで諭吉をちらつかせると、四人の野口となくしてしまいそうな頼りないチケットを返される。

半券ですね。

 劇場内へ入った時点で、携帯電話など撮影が可能な機器の電源を切ることを頼まれた。出演者さんはもちろんストリップ全体において重要な要請であろう。これだけはちゃんと守ろう。

 劇場に足を踏み入れると、既に大勢が席に着いていた。常連と思われる客が周囲に声をかけ、この席は空いているだの、と呼びかけており、雰囲気が良かった。既に会場はうっすら暗い。やはり上映前の映画館と似ている。

劇場内の図解。酷い出来です。

 自分はこの図の左端の立ち見席(赤い点のあたり)に同行人と並んで陣取った。上階には照明器具がずらりと並んでおり、スタッフの方が忙しく動いているのが見えた。立ち見も合わせて、広くはない会場には300人程度の客が各々の期待を膨らませ、ひしめいていた。はて、ここからでもきちんと見えるのだろうか、背中しか見えないんじゃないかなど話していると、じきに照明が落ち、ショーが始まる。
 詳細なショーの演目それぞれに対するコメントは差し控えよう。あと二日程度だが、行くなら是非見に行っていただきたい。

ストリップショーの流れ

 これに関しては自分が行ったのがこの一回だけなので一般化せず、以下の記述を読むための資料程度に考えて読んでもらいたい。
 まず、まばゆい衣装を纏って舞台に登場。7人、ストリップをする女優さん全員で出てきたり、3人だったり、2人だったり、はたまたはじめから1人だったり…。このときの露出度はまあコスプレ程度のものである。
 それから数曲踊ったのち、主役が一度後ろに下がり、脱ぎやすい露出度の高い、多くはベビードールのような服に着替える。それからまた舞台へ戻り、下着を解いて……
 退場したのち、一度暗転の後また次のストリップがはじまる…というかたち。

感想

 ショーを見終えて、まず思ったのは、すごいものを見てしまった、という感嘆だった。想像していた爛れたようなやましい、淫靡なものではなかった。純粋な身体美である。かといって、それが性的ではないというわけではない。性的な視線さえも内包した美である。当然受け入れられた上で、それを凌駕する美の体験なのである。

  まず、音楽が鳴る。それは洋楽であったりJ-POPであったり、アニメソングであったりもする。出演者それぞれに表現のテーマが据えられており、それに沿った選曲がされるようだ。舞台に近い場所で見たこともあろうが、骨身に響く音楽のリズムが、まるで自分の心音であるかのように錯覚せられ、陶酔、興奮、高揚、といった状態に導かれる。

 同行人であり既に感想を上げられていた方の記事でも述べられていたことだが、舞台上の色とりどりの光を受け躍動する身体に相対する自分は、見る「目」、それだけになっていた。あの空間において私は観客であるために、目のほかには存在し得ない。見るという体験に純化される。
 風俗という形態であるのに、見る主体と見られる主体に二分されている、奇異に見えていた構造が、スッと身に入ってくる。風俗というより、やはりこれはショーなのだ。
 いや、むしろ、投げられる目線はある種の、体操選手や陸上といった、スポーツ選手に対して向ける憧憬、同一化、それによる満足ーーー、と同じ性質を帯びる。あの、我々にも備わっている身体は、生きながらあれほど美しく舞うことができるのか。あれほど美しく生きることができるのか。そういう感嘆。
 筋肉を感じさせない、細くしなやかな、華奢な体。筆舌に尽くしがたい。ただ見るという経験なのだから、これにどう言葉を尽くしてもあの体験を半分でもかたどることはできまい。できたとして、それは体験の筆写ではなくまた別な表現であろう。

 想像上の身体でもなく画面の向こう側で見ることのできる身体でも、私的な空間におけるものでもない、舞台上の裸体、舞台に立つために、彼女自身の、そして少なからず我々のための、身体。
 彼女たちの振りまく笑顔の輝かしさといったら、何にも例えようがない。あの明るい、このくらい劇場の中で唯一光を浴びて、身体の隠すべき、普段は衣服により隠匿されている身体を躊躇いもなく我々に曝け出す彼女たちの底抜けの明るさ、美しさといったら、どんな言葉を並べ立ててもやはり足りないのだ。言葉を削って、感覚的に訴えてもそれだけではまだ足りない。見ることでしか体験し得ない。言葉にしようとする試みそのものがつくづく間違っている!

 本当にそうなのだ、そうなんだ、きっと同行者は皆、肯いてくれるものと思う。書いていて的外れな語を並べ立てていると、もどかしくて仕方がない。見苦しくも狂人は見てくれ、見てくれ、と叫ぶしかない。

 あの、下着に手をかける時の緊張感。サテンだろうか?あの、結び目を辿る指先、スッとほどける結び目……粗雑にも脱ぎ捨てられる白い足袋、振り抜かれる爪先……引き抜かれた下着を手に巻きつける仕草。
 自らの意志で動き出したピグマリオン。生きていながら、あの彫像のような彫り上げたかのような繊細な身体、生きているからこその柔軟性に富んだ緩急のある動き。

オチもない個人的な考察・感想

 決して形容できない美しさに関してはこの程度にとどめる。以下はオチも何もない感想である。纏まりも悪いので興味がなければ飛ばすことを推奨する。

 興味深かったのは、服飾の果たす役目だ。所作に応じて蝶のようにたなびく、ひらりとした服が印象的だった。踊り子と言われてイメージするものも凡そそういった特徴を備えていると思うのだが、ストリップと言っても何も完全に脱ぎ捨てて全裸になるわけでもない。下着の紐を片方だけ解いてつけたまま…だったり、素肌の上にパーカーのように前面の空いた上衣を纏っていたり、と服飾の果たす役割も大きいのだ。
 おそらく一糸纏わぬ身体よりも、着飾られながら無防備、という点によって魅力が引き出されているのだ。中でも、袖、そのほかはほとんど全て脱ぎ捨てたのにも関わらず、丈の長い袖だけをつけて舞っていた方がいたのが印象的だった。袖、袖だけ……

 意外に思ったのは、無音という音の使い方がなかったことだ。劇場にひとつひとつ、神経質に置かれる物音。爪に至るまで磨き上げられた曲線美、その爪先がひたりと接地する、その音、確かな人の息遣い、空調、衣擦れーーー、そういった場の作り方。

 劇などの舞台芸術においてあえて「無音」の場を作り出す演出の実例やその効果については存じ上げないので、あまりに稚拙な考察になるのだが、音楽によってショーをショーとして、現実から非現実へ引き上げる効果があるのだろうか。現実世界にはbgmはない。しかし、虚構にはbgmがある。物音や音声にしては整いすぎた音楽がある。音楽や整えられた音律を発することによって舞台化する、暗黙の了解があるのだろうか。

 逆に、音楽によって非現実化しているわけで、舞台から音楽を排除してしまうと、その途端に現実になってしまうのかもしれない。ある種のタブーだったりするのだろうか?音楽の波による会場の統一感が個人「私」の経験から集団「われわれ」の体験にさせているのか?

 だからこそ個人的には無音のストリップを見てみたいと思うのは強欲だろうか。観客とヒロインという自他の引かれるべき一線があたかもないように錯覚させる、危うい演出。息をするのもためらわれ、息を堪えなくては、自分の存在をかき消さなくては、と思いつつただただ目を凝らすという体験は是非してみたいものだが。

 その点、今回の講演は音楽があったので、息を潜めるというような緊迫はなかった。しかし、舞台上の人物の置かれた状況、彼女自身の言葉によって語られることこそないが、展開される物語に息を呑むような体験はあった。歌詞になぞらえたり、ストーリー性を持たせた脱衣が展開されていた。「脱衣」というある種比喩的に昇華された表現はもちろん、口を動かして歌詞中の言葉を舞台上の彼女の言葉として発せられることも面白い。彼女たちは自らの言葉ではなく、音楽に言葉を代弁させている部分がある。そうでなければ、身体による表現によせられる。

 ステージの図解で「回転台」と書いた部分は、書いた通り丸い部分がくるくる平面的に回る。ダンサーさんがその上でポージングをするわけだが、これにより彼女自身で角度を変えることなく様々な角度でわれわれが鑑賞できるようになっている、素晴らしい仕組みである。
 この回転台は、少し調べたところでは「盆」と呼ばれるようだが、この盆と言ったらすごい。絶対にストリップ界隈ではこの「盆」以前と以後でまた変わってくるのだろうなというトキメキがある。シアター上野は盆が回らないらしいです。こういうちょっとした機構の盛衰による競技性の変化とかって面白くていいですよね。一人でテンションが上がってしまう。

さいごに

 長々と書いたけれども、結局言いたいことはたった一言である。もし興味があるのなら、行きたいと思うのなら、行こう!ここまで駄文を書き連ねたわけだけどもこんなものいくら読んだってしょうがない。行ってくれ!行きたいなら!行ってくれ!

 一応自分は女性なわけだけども、もし自分が女性だからそういうところはどうなんだろう、という躊躇いがある方に対しては、あなたみたいな方こそ行ってほしい。ただ、地域的には若干治安のよろしくないところに建っているので、一人ではなく誰か誘って行く方が好ましいかもしれない。

 舞台に立っているのは、性の対象の女性の身体という一義的なものではない。ただ美しいのだ、先ほども述べたけれども、我々の身体と地続きの、延長線上の身体があそこまで美しくあれるのか、という喜びは、あなただからこそ感じ入るものがあるはずだと思う。
 風俗という業務形態上女性がNGの空気があるということもない。なんならチケットは女性料金は通常価格よりお安くなるところが多い、見た感じ。行こう!是非!

 書き損ねた最悪な感想を述べておくと、上原亜衣さんのAVを見たことのなかった自分の感想としては、あんな可愛い子が、AVに出るって、出るってそんな、そんなことがあるんですね、というときめきがあって、よかったです。おすすめです。

 公演の後にトークショーをしてらっしゃったのですが、日が進むにつれて洗練されていく感覚があるようで、今日よりも明日の方が綺麗ですよ、というようなことをおっしゃってました。
 上原亜衣さんの出る公演は5/20まで。明日と明後日があります。是非行ってください。みなさん。

 自分としては、今回だいぶ感触が良く、他のところではどう色が変わるのかと興味をそそられているので、七月か八月にでもまた別のところに行ってみようと思っている。

 では、そろそろ書くことも尽きたので、終わりとします。光栄なことに拙文を読んで興味が湧いたら絶対行ってくださいよ、絶対!ここに書いたものなんて本当にばからしいんです、見るに勝るものはありません。絶対に。
 こんなのを読んでいる時間がもったいない。行け、行け、行け!!!!!!!!!!!!行ってくれ〜〜〜〜!!!!!!!