りんご飴はりんご沼への道だった:Candy Appleに行ってきたよ
生きてると何が起こるか分からない。そんな言葉なんて言い尽くされてるが、自分の身に降りかかると分かってても言いたくなる。生きてると何が起こるか分からない。推しに確定でこの文章を読まれる世界線なんて生きててもなかなか想像がつかんものである。
もうほんとに知ってる人向けというかもはや身内向けの話だが、もふさんのキャスに集まるグルメ情報はどいつもこいつも本当に美味そうで深夜にのたうちまわっている。このメシ情報の津波を真っ向から受けつつ理性を保っているもふさんには畏敬の念を禁じ得ない。私なら絶対に食べ歩きツアーに出かけてしまう。
深夜に空腹を抱えてのたうちまわりながらもふさんのキャスを聞いていると、時折私自身の生息圏内に良さげな店がある情報が流れてきてしまう。空腹が本能を刺激した結果、余計なことをコメント欄に書き込んだりしてしまうのだ。「行ってきます」
前置きの続きとして花たんに対する限界なこの気持ちを書こうかとも思ったが、ギリギリで理性が勝った。題名にりんご飴食ってきたことを銘打っておきながら推しへの気持ちがトンデモな分量で書かれている記事は要求されていないだろう。りんご飴どこ行ったんだよ。
それやったらもふさんに向こう10年分ぐらいの私を弄るネタを渡すことにはなるしそれはそれで美味しい。しかし今回の美味しいのベクトルはそっちじゃねえ。素直にりんご飴の話をしよう。
メインの前に:りんご飴への偏見の話
訪れた東京は吉祥寺のCandy Apple。元は代官山とかいうオシャレなんだか胡散臭いんだかバブリーなんだかよく分からん街(ほんっっっとに個人の偏見です)からやってきたりんご飴屋さんだ。とりあえず高級感出したいってことはわかった。それ以上に「そこら辺のりんご飴とは格が違いまっせ」という主張をビシビシと感じた。
りんご飴への偏見の話だったわ。字面にすると矛盾するが、大好きだけどぶっちゃけ食品としてのクオリティなんて求めたこともないし求めるものでもないと思っていた。噛み砕いて言えば、美味い不味いを論じるような食べ物として扱っていなかった。
何を今更と言う話だが、りんご飴と会う時ってのは(私のヤクルトみたいに少なくて風呂桶より浅い経験の中において)縁日と相場が決まっている。縁日の食べ物に対してそこまで真剣に美味いとかまずいとか考えるものでもないと捉えていた。別にバカにしている訳ではない。縁日と言えば屋台である。もうそこにあるだけでありがたいのである。
お祭りの花火が終わって、気づいたらただの液体になったかき氷、冷めて脂ぎった焼きそば、カッピカピになったわたあめ、行き場がなくてなんとなく無限にボヨンボヨンさせられてるヨーヨー、そういうシーンを思い起こすのに美味い不味いは関係ないやん、むしろ無粋だろ。なんてね。
それでもわざわざ味目線で思い出すと、縁日のりんご飴はそんなに美味しいものでは無かった。スーパーや八百屋ではまずお目にかかれないサイズの小さいリンゴに飴がコーティングされている。食べ始めた当初はコーティングされた飴がこう、お安い飴特有のドカッとした甘さでリンゴの美味しさを加速させてゆく。
このパリシャリな食感と、微妙なクオリティのリンゴのなんか酸っぱい感じと、飴の暴力的な甘さ、こいつらが生み出す不思議な美味しさがいつまでも続いてくれたら。りんご飴を食べる度にそんなことを考えていた。そうすればこいつは屋台の食い物の中で覇権を取れるのだ。
でも、どんな飴なんて皮から染み込むわけもない。この美味しさは線香花火みたいに淡く消えゆく儚いものなんだ。
皮についてる飴が終わったら、あとはパッサパサのカッスカスなリンゴを虚無な気持ちでシャリシャリする作業が待ち構えている。そのギャップはまるで化粧を剥いだメイク上手の女、面接の時だけまともそうに見えた新人くんあるいはパネルマジック。
屋台のクロージングを見ながらこのリンゴをシャリシャリするとえも言われぬ感覚になる。わこれが侘び寂びか。
こんなに長々と屋台のりんご飴の話をして何がしたいんだ、とそろそろ思われることだろう。私がが食ってきたのはそんなりんご飴ではない。
でもそれ故に、だからこそ、ありふれた一般的なりんご飴の話をしたかったのだ。このお店のりんご飴がどれだけこの「普通のりんご飴」感を吹っ飛ばしてくれたのか、それが言いたいがために気づけば1600文字も割いてしまっていた。そろそろ本題に入ろうか。
とにかくりんごが美味いりんご飴
店舗は吉祥寺のパルコの中にあった。1階、正面入口入ってすぐである。パンケーキの時もそうだったが、やはりいいもの出す店ってのは分かりやすいとこにあるべきだ。隠れ家的なものも悪くは無いが、隠れ家的な当たり店は大体にして席数が少なすぎたり営業時間に難があったりする。こういうデデン!!とわかりやすい方が人に伝えやすいのだよ(写真撮り忘れ)
ここでひとつ計算外の事態が発生した。吉祥寺といえばカップルから家族連れまで幅広い層が楽しめる街である。駅前は休日をエンジョイしまくりなカップルと家族連れでひしめいている。
大体10人ぐらい並んでいたのかな。私以外全部が全部家族連れしかいなかったのは本当にどういうことなのか。
そ、そんなにPARCOってファミリー向けだったっけ?そんなにコストコとかイオンモールみたいな空気があるわけじゃないのに(拭えない千葉県民感)
想像してみて欲しい。これから手元に来るりんご飴を楽しみに目をキラキラしている大体小学生ぐらいの親子連れ。普段は塾に押し込められたりしてるであろう子供、家事に追われる母ちゃん、そしてそんなありふれた幸せな家庭を命を懸けて支えるお父ちゃん。前後左右にこれしかいねえ。模範的な日本の休日だ。この景色をアニメ化すれば令和60年ぐらいまで引っ張れるぞ。サザエさんが出来たんだから間違いない。
そんなファミリーな空気の中に何やら異物が混ざっている。そう、なによりこのえびる自身である。彼らはすごく模範的な人生生きてそうで、オタクのオの字もない。あらゆることをつつがなくやってる優秀な人達が織り成す列に俺がいる。やっとこすっとこで生きてて、推し達を支えにして生きてる俺がいる。ベージュのライダースジャケットで武装したオタクはどれだけ浮いていたのだろうか。
しかしフリッパーズにも夜のクラブにも単身で突っ込んだ私に怖いものなどない。何食わぬ顔して並んで会計済ませていざ実食。ちなみに目玉ドリンクである100%りんごジュースは売り切れていた。りんご飴屋のりんごジュースなんて美味いに決まっている。考えることは皆同じだったらしい
みんなお家で家族団欒しながらりんご飴を楽しむ前提なのか、イートインは僅か3席しかなかった。それでも奇跡的にひとつ空いていたので、りんご飴をぶら下げて慌てて突っこんだ。
ここで白状してしまおう。到着してサムネとこれの2枚しか写真を撮っていない。一体何しに来たんだお前は
既に切ってあるやつとかぶりつきのものを選ぶことが出来たのだが、せっかくなのでまるごとを選ぶことにした。かぶりついてこそりんご飴という謎のこだわりが自分の中にあったことは決して否定しない。
底の部分に飴が集まっているのだが、これが分厚い。まずここからひと口がぶっと。
「バルィィィ!!!」という音と共に飴のハードな破砕音が頭に響き渡る。まず突っ込んでくるのは紅茶の匂いである。これが結構強い。濃いめの紅茶をそのままパウダーにしたかのような、思ったよりそのまんま紅茶な香りが一気に鼻腔を突き抜ける。
そこから1拍置いて、飴の甘みとりんごの甘みが同時にドカッと舌に登場するのだ。甘さと甘さが合わせ技で来るので相応に甘いはずだが、不思議と甘すぎる感じはしない。りんごの甘さに合わせてくどくなりすぎないように飴側でかなり上手な調整をかけているのだろう。
そして何より、分かっていたことだが、りんごがうめえ。超うめぇ。こだわってるって言いまくるだけのことはある。りんご飴とは別にしてりんごだけ串に刺して売ってくれんかねってぐらい美味い。
パンケーキの時にも書いた気がするが、本当にいい食べ物ってのは結局のところとても食べやすいものである。美味しさを全力で叩きつけて来るのに、飲み込んだら何事も無かったのように消えていく。このりんごにもそれがあった。
かぶりついたあとのりんごの中身の黄色がため息出るくらい美しかった。食べかけの断面をネットの海に放流するのは気が引けたので撮らなかったが、なんかもう光ってるような気さえした。
食べ進めていくとりんごだけの部分、飴がまだ残っている部分がある。これを別々で楽しみながら食べるのがこれまた美味しいのだ。パリシャリ、シャリシャリ、パリシャリ、シャリシャリ、歯が喜んでいるのが伝わってくる。
りんごを丸かじりする行為自体が人間の原始的な何かを呼び起こすのかもしれない。もう夢中になってしまった。
そしてここのりんご、蜜が多い。かぶりついてるとマット代わりにしている包み紙にポタポタと蜜が落ちるのだ。文字通り蜜が滴るりんごというものに初めてお目にかかったかもしれない。売り切れていたりんごジュースがとても惜しい。
隣に座っていた親子連れの子供の方が「これ食べてたら歯が抜けそう」と母親にぼやいていた。わかる。この丸かじりの悦びは歯が健全あるいは高性能な入れ歯に許された特権だ。抜けかけの乳歯では不安だっただろう。
そんなこんなで歯が抜けることはなく、私も無事に食べ終わって店を後にした。用が済んだら逃げ足は早いのだ。ほんとに美味かった
この店が本当に食べさせたかったもの
ナガノさんがレポ漫画で「帰り道にりんごを買おう」と描いていたが、割とこのひとことに尽きている。
何より、りんごが、美味いのだ。当然飴も美味しいが。
美味いりんごを本能のままに蜜を垂らしながらかぶりつく。これがCandy appleの正しい楽しみ方である。美味しさと食感の楽しさに飲み込まれながら、人間だって原初の形は猿だった事実に思いを馳せるのがすごく楽しかったのだ。
りんご飴の構成要素とは結局のところ、りんごと飴だけだ。飴とりんごの比率を考えたら、最終的なケリをつけるのはりんごである。そのりんごにこだわったんなら美味いに決まっている。しかし、注目すべきはその先である。
帰り道に抱いた感想は「スーパーでりんごでも買うかな」だった。極端な話、りんご飴は一種の釣り餌であって(失礼!)、本当はりんご飴を通して「りんごはうまい!りんご沼に堕ちろ!」というのが店側のメッセージだったのかとすら感じている。
冒頭に書いた屋台のりんご飴から形成された価値観は完全に吹っ飛んだが、それ以上にりんごという果物の価値を再確認した体験だった。
次は下北沢にあるミートサンドを狙っている。下北沢にお肉ぎっしりのミートサンド屋があるらしい。あらゆる意味で行かない訳にはいかない。
今回行ったお店
Candy Apple 丸井吉祥寺店
https://www.candy-apple.shop/shop/maruikichijoji/
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