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『ジェニーの記憶』を観た。

英語のタイトルは『THE TALE』(おとぎ話、または物語)
監督のジェニファー・フォックスが自身の少女時代に高校のコーチに性的いたずらを受けた経験を描いた作品。
主人公のジェニファーは映画では13歳の少女。馬術を教えてくれる女教師の向かいの家に住んでいる離婚歴のある男性(陸上のコーチ)から性的虐待を受けるという話になっている。

ここからネタバレしますよ。ーーーーーーーーーーーー




この馬術の女性教師もグルです。
少女ジェニーは家庭に居心地の悪さを感じていて、美しく魅力的な女性教師と自分を大人扱いしてくれる男性コーチとのおとぎ話のような現実感のない愛に没頭していくのだが、その裏には少女性愛嗜好のおぞましい欲望が隠れている。

この倒錯的な愛のおとぎ話をジェニーはフィクションとして書き残し、その物語を30年以上たった頃、家の片付けをしていた母親に見つけられ問いただされ、自分の心の傷と向き合っていくのだが。

胸糞悪い映画を見てしまったぜ…。

男性教師は普段から我慢や痛みの先に成功や喜びがあると少女たちに教え、それをジェニーとのセックスの時にも言います。
大人からの愛情に飢えていたジェニーは違和感を感じながらもそれに従い、関係を持ってしまいます。
行為をした後に毎回吐いていたのは、心の叫びをごまかしきれなかったんだろう。

大人のジェニーに母親が
『あんたは虐待を受けていたんだよ』
と諭しても、ジェニーは認めようとしません。
自分たちは愛し合っていたんだと主張します。

大人の男性に恋をする少女の気持ちはわかるが、13歳の少女に欲情する成人男性はダメでしょう。

愛があればなんでも良いのか?
そこに純粋な愛があれば成立するだろうが、せめて少女の体が大人になるまでは待つだろうにと思ってしまいます。
しかも、このコーチ、手を出していたのはジェニーだけではなかったみたいだし。
その少女たちを調達していたのが馬術の女教師でした。

大人って…!!
汚い大人っているんだよなあ。
表面、良い人に見える人ほど信用できない。

ジェニーがこのコーチとの関係で一番傷ついたことは、自分一人が特別に愛されてたわけではなかった。ということではなかったでしょうか。
自分を持っていない人にとって誰かの特別でいるってことは自分の価値を認められたかのようでとても重要なことなのです。(私もそうでした)

その特別な美しい愛がおぞましい性のはけ口だったと知った時、彼女はどんな気持ちだったんだろうね。

自分より弱いものを愛でる傾向は人間誰しもあると思う。
赤ちゃんを守りたいと思ったり、動物を可愛いと思ったり。

けれど、そこにはたとえか弱い存在であったとしても、尊厳を脅かしたりしない、むしろ健やかに育つように手助けするような慈しみの心があるはずだ。

小児性愛や女性蔑視、自分より立場の弱いもので自尊心を満たしたり、欲望のはけ口にしたりするのは愛ではない。
歪んだ自己愛ではないだろうか?
ポッカリとあいた心の穴は弱いものを思い通りにすることで埋まるのだろうか?

そして弱いものたちの愛されなかったという心の穴も彼らから受ける支配的な愛?で埋まるのだろうか?

そうして安心が得られるならばそうすれば良いんだろうけど…。

他人軸で生きている人は他人のご機嫌や顔色を伺ってばかりでしんどくないのかな。

たとえどんな苦しい環境であっても自分がどうしたいか、どうなりたいかで動いていれば大きく道を外れることはないと思う。
ただ、とてつもなく孤独だと思うけど。

私が色々迷って、自暴自棄になった時救ってくれた人がいた。
加藤諦三先生の本にとても救われた。
特に『大人になりきれない人の心理』という本は何度も読み返している。
心が五歳児のまま年齢だけ重ねてしまった大人たちが描かれていて、
腑に落ちる言葉がたくさんあった。

今、誰の助けも得られない人はぜひ図書館に行って加藤諦三先生の本を読んでほしい。

私は本を読むことで自分の認知の歪みをある程度正すことができた。

人生は自分のものなんだよ。
もっとプライドを持って楽しんで生きたって良いんだと思うよ!


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