見出し画像

私の記録 1

私の記録1

生まれたのは東京都江戸川区。
育ったのは秋田県横手市。
2歳半で東京から秋田へ引っ越した。
理由は駆け落ちして東京で暮らしてた両親が地元の秋田へ帰ったことと、
私の小児喘息がひどかったことが理由だそうだ。
1970年代、東京の空気はすこぶる悪くて、光化学スモッグまみれの世界だったそうだ。
秋田に移住してから私の喘息はあっという間に治った。

移住先は2DKの町営住宅だった。
縦に積み上がるビルディングタイプではなく、長屋タイプだった。
田舎なので土地はたくさんあったから、そっちの方が各部屋に庭も作れて便利だったんだろう。

秋田の環境はすこぶる良かった。
まず、空気が綺麗!
私の小児喘息はあっという間に治った。
そして水は湧き水が豊富に湧いていたのでその水を使った水道の料金は、月1,200円という安さだった。
そして水も綺麗で美味しかった。
売ってる水に匹敵する美味しさだったんじゃないだろうか。
庭を掘り起こせばカブトムシの幼虫がゴロゴロ出て、夜に窓を開けると部屋の中に蛍がたくさん入ってきた。
美しい世界だった。
けれどもそれも田んぼへの農薬散布で消えたけど。

引っ越してきたばかりの頃、私はあまり友達がいなかった。
東京の言葉は秋田の子供達にからかわれ、馬鹿にされた。

町営住宅の入り口あたりに小さなお稲荷さんの神社があって、私は何故かそこが気に入って良く一人で行っていた。
そのお稲荷さんのすぐそばにはシャム猫を飼っているおばさんが一人で住んでて(多分)私はそのおばさんと猫のことが好きで、良く遊びに行っていた。

ある時、母から
『あのおばさんの家には遊びに行かないで』
と言われた。(多分)
私はなんとなく悪いことをしている気分になって。言いつけを守って遊びに行かなかった。

そして、稲荷神社にもあるきっかけがあって遊びに行かなくなった。
そのきっかけとは稲荷神社に生えていた植物の松ぼっくりみたいな実に触ったら手がかぶれてしまって、なんか怖くなって一人で行くのをやめてしまった。

それから近所の子供達と自然と遊ぶようになったら、おばさんのこともお稲荷さんのことも私の中でどんどん薄くなってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?