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れなちの様に白石麻衣を織田信長に例えてみた

突然ですが、私は「小さな巨人」というドラマが好きでした。
刑事ドラマで、演出は「半沢直樹」の様に大袈裟な描写もありますが、
警察監修の方曰く、実際の警察組織運営を忠実に再現しているとのことで、見ごたえのあるドラマでした。
主演の長谷川博己が演じるキレ者の捜査一課刑事の台詞の中に、
「犯人の気持ちになって考えてみた」という名台詞があります。


今回は、乃木坂工事中や乃木坂46時間TVの中で、「れなち」が乃木坂メンバーを歴史上の人物に例えたらというコーナーを、「れなちの気持ちになって考えてみた」という形で深堀りしていこうと思います。

※今回より山崎怜奈さんを「れなち」と書いていきます。

白石麻衣は織田信長

乃木坂工事中初期の2期生紹介コーナーの中で、「れなち」が白石麻衣を歴史上の人物に例えたら「織田信長」であると言いました。
理由としては「カッコよく描かれる人間なので」と述べています。

2人の共通項

白石麻衣と織田信長に共通する部分はどこかと考えたときに、まず挙げられるのが「カリスマ性」ではないでしょうか。

乃木坂46において結成から卒業するその日まで、グループを牽引してきたのは「白石麻衣」であることは間違いありません。

彼女は、最近もメンバーが話題になった「文春砲」などにも、かすることさえなく、在籍時はグループの発展に全力を注いだ様に思います。
単に同期メンバー、後輩メンバーの見本・手本となるだけでなく、グループ内では精神的支柱であったことも見て取れます。
雑誌モデルとして活躍の場を広げ、写真集は爆発的な売り上げを記録しドラマやCMに引っ張りだこにも関わらず、ホーム番組である「乃木坂工事中」の参加を休むことは少なく、驕ることなく活動を続けて来た様に思います。
その姿はまさに「カッコ良い」ものだったでしょう。

乃木坂46結成当初、白石麻衣は完成したビジュアルでメンバー内でも話題に上がっていました。アイドルとして、ある程度完成形に近い白石麻衣は、グループ内では、もう既に大物感がありました。しかし、先頭を走るメンバーではありませんでした。

イメージしてみると、グループのフロントは言ってみれば、先鋒隊や特攻隊に近いものもあるかと思います。大将は陣地や城で「どん」と構えるのも戦の一つの方法であります。

そして、日本のアイドル、特に秋元康がプロデュースするアイドルの基本路線が「成長していく姿を見せる」というものであり、そこにはまだ年齢的にもビジュアル的にも精神的にも若い、生駒里奈・生田絵梨花・星野みなみ の当時最年少メンバーがフロントに立ちました。

乃木坂46は打倒AKB48という確固たる目標が結成当初からありました。当時のAKBグループは国民的人気グループに成長し、ミリオンセラーも出していましたので、それに対抗するメンバーのプレッシャーはかなりのものだったでしょう。
しかし、全員が全員、AKBの誰々という様な目標を立てるのは困難です。目標とするのに最適なのは身近な存在、つまりグループ内での「出来る人」です。白石麻衣はそんな存在であったと思われます。


名言から見る2人

 織田信長の名言

織田信長は歴史上の人物の中でもNo.1の人気の偉人です。
名言も数多く残しています。
その中から3つを取り上げようと思います。

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1,「必死に生きてこそ、生涯は光を放つ」

日頃から、一生懸命に行動する。その生涯は必ず光り輝く一生となる。
という意味です。

織田信長曰く
人間50年、なんと短いものか…。
無駄に生きず、必死で考え行動し、生きてみよ!
素晴らしい事が、待っている!


2,「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」

有名な俳句です。
小学校の授業でも出てくる文言です。
信長の性格を、「自分の意に介さない者はすべて殺してしまう」、という残忍で短気な性格を表したと学んでいる人が多いのではないでしょうか。

比較として、
「鳴かぬなら 鳴かせて見せよう ホトトギス」(豊臣秀吉)
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」(徳川家康)
の2句があります。

秀吉は、鳴かなければ、何とか知恵を凝らして「鳴かせてみせよう」とする性格。

家康は、鳴かないのであれば、「鳴きたくなるまで待とう」という、ゆったりとした性格と表しています。

これらの句は、信長・秀吉・家康の性格を表す句というよりは、それぞれの「生き様を表している句」に近いと思います。

しかし、信長としては、意に介さないものをすべて殺してしまうというよりは、法度(法律)を破った者や、刃を向けたものには容赦しないという意味だと思います。


3,「是非に及ばず!」

仕方がない、どうしようもない、という意味です。

1582年6月2日早朝、明智光秀が信長に対しクーデター(本能寺の変)を起こした際に、知らせに来た蘭丸に対して、信長が応えたセリフです。


(信長)
これは謀反か、いかなる者の企てぞ!
(蘭丸)
惟任日向守(これとうひゅうがのかみ/明智光秀)が者と申し候
(信長)
是非に及ばず!

私は、この3名言には白石麻衣に通ずる部分があると考えます。
これらの名言から汲み取れる点は、
『一生懸命にやり、後悔のないように出来る限りのことはするが、どうしようもない時もある。』とまとめられます。

 


 白石麻衣の名言

一方、白石麻衣も名言というべき言葉を残しています。

『自分としっかり向き合って、自分を大事に、私らしく』
『休んだ記憶がないです。一日』
『進退については周りがなんと言おうと自分で決めたい』
『何でもチャレンジすることが大事だと思います』

また、白石麻衣の座右の銘は、次の言葉になります。

『後悔しないようにやりきろう』
2018年9月ファッション誌『Oggi』(小学館)にて、“デビューにあたって母親から言われた言葉”と紹介

白石麻衣は、バラエティ番組やライブなど、何事にも全力を出し切っているのが見て取れます。そこには後悔のない様にしたいという強い姿勢が見受けられます。しかし、一方で失敗したときには号泣して次へのリベンジを考えるポジティブさもあります。これは、どうしようもない時には気持ちを切り替えることが出来るということです。

(始球式で満足いく投球ができなかった後に記者会見で号泣しながらも)
『またチャンスがあればリベンジしたいと思います』
その後、
『また夏に同じ場所、神宮球場でライブがあるので
その時は去年同様サインボールを打てたらいいな〜。笑』
と語り立ち直りを見せてます。

つまり、全力で戦う力強い姿勢に多くの人が惹かれるところが2人の共通項だと思います。

 

「れなちの気持ちになって考えてみた」

ここで改めて、れなちの気持ちになって考えてみました。
れなちが乃木坂46に加入したのは、
2期生の合格発表日の 2013年3月28日 となります。
1期生の合格発表日は 2011年8月21日 なので、
この時点で2年半程の経験の差があります。

では、2期生が加入時期の乃木坂46の状況はどうであったかというと、
この年の2月のデビュー日に初めての1周年ライブを開催、ドラマ出演、冠ラジオ放送開始等、活躍時期の初期と言えます。そして、れなちの研究生時代はこの後2年程続きますが、この間、乃木坂46のグループとしての活躍はまさに『上り坂』状態でメディア露出も加速度的に増えていきます。

シングルでの状況は、「れなち」加入前までのセンターは生駒里奈でした。
加入直前(おそらくオーディション中)のリリースシングルは、5枚目シングルの「君の名は希望」です。
れなちが加入した2013年3月28日以降、初めてセンターが交代となり、それが6枚目シングル、白石麻衣センターの「ガールズルール」 (2013年7月3日発売)でした。
その後、7枚目シングル「バレッタ」では同じ2期生の堀未央奈がセンターに抜擢され、乃木坂に新たな流れが出来ます。
そんな中でも、白石麻衣は常に中心メンバーで居続けました。初センターの頃には、乃木坂46初の雑誌専属モデル起用など、新たな境地も見出していきました。

れなちは子役として芸能界での活動はしてはいましたが、本人も言っている様に、特別アイドルに興味があったわけでもなく、勉強ばかりしている子供でした。つまり、純粋に加入してからの印象で「カッコ良く描かれる人間」と白石を称しています。この発言をしたのは、昇格直後の放送なので2015年前半です。研究生時代に先輩を見てそう思ったということです。

単に「カッコ良い存在」ではなく、「カッコ良く描かれる存在」という言葉を選んだのには、「れなち節」が感じられます。

ここでもう一度、「れなちの気持ちになって考えてみた」

きっと彼女の心情はこうでないでしょうか。

・カッコ良いのはそのままその通り
・バラエティ等ではそのイメージを崩して臨む、それがまたカッコ良い
・グループ内で頼りがいがあるところがカッコ良い
・怖い(厳しい)ところもある

それに、れなちは努力の人間です。そういうタイプの人間からすると、目標に向かって努力する人間がは特にカッコ良く見えることでしょう。

そして、これらの同じグループメンバーとしての印象以上に、世間での評され方が、「カッコ良く描かれている」ところに目をつけたのだと思います。

完璧・完全な人間は居ません。
先に書いた通り、織田信長も「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の言葉だけを見て、その意味を直接的に捉えれば、なんて残酷な人だと思ってしまいます。しかし、歴史を紐解きその人の考えを辿っていくと、必ずしも言葉を直接的に捉えただけの意味ではないということが多々あります。
白石麻衣も特に初期の頃は、思い悩み苦しみ、もがきながら乃木坂46というグループを作り上げて来たはずです。その際には全部「カッコ良く」なんて出来るわけがありません。

しかし、辛かったことも振り返れば良い思い出になるのと同じ様に、苦しみカッコ悪くもがいてていても、それを乗り越えたことは「カッコ良い」ですし、描く側からしたら間違いなく「カッコ良い」素材です。

これらの世間的(メディア的にも)「カッコ良く描かれる」姿が共通するということで、れなちは、白石麻衣を織田信長と例えたのだと考えました。



白石麻衣の卒業後

2020年に白石麻衣も卒業し、2021年の今現在も乃木坂46には卒業の波が押し寄せています。グループも10年目に突入し、世代交代が進んできています。
白石麻衣のことを織田信長と例えた「れなち」も同期が次々に卒業し、今ではすっかり後輩の面倒を見る立場となっています。
そして、ラジオやTVで活躍する姿を見て、後輩たちはその背中を見て

「カッコ良い」

と思っていることでしょう。
特にラジオ業界では、今現在「れなち」株は急上昇中です。
乃木坂46メンバーはラジオ出演を恒常的にするグループですので、MCのすごさもわかりやすいと思います。

きっとメンバー内に歴史好きが現れたら、「れなち」も歴史の偉人に例えられ、その背中が「カッコ良い」と言われますよ。


最後に

最初に紹介した「小さな巨人」の名台詞にもう一つ印象深い台詞があります。
それは・・・

「私の勘です」

今回の「れなちの気持ちに考えてみた」も「私の勘です」のであしからず。


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