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この世は舞台、人はみな役者👻『ゴースト&レディ』忘備録🪔

8月某日、劇団四季新作ミュージカル『ゴースト&レディ』を観劇してきました! 
原作は藤田和日郎さんによる漫画『黒博物館』シリーズです。ちなみに原作は既読です。

私がこれまで観てきたミュージカルの中で、原作が漫画である作品は初めてのものでした。
ミュージカルというと、小説や映画を基にしているものが多いようなイメージがあります。もちろん個人的な印象ですが……
漫画二冊分の原作を「限られた時間の中でまとめなければならない」という制約の中で、多少の設定変更を加えつつも原作の根幹は残したまま綺麗にまとめられていたように感じました。(まあ、とはいえ、そりゃあその道のプロが制作しているので、ん?と思うような作品はそうそう出来上がらないとは思います。)
漫画である原作とミュージカルは芸術間での翻訳がおこなわれているので、同じ作品でありながら、違う作品なのかなと常々思います。

舞台芸術のひとつであるミュージカルは、「台詞をメロディにのせて伝えることができる」というところが大きい魅力のひとつかと私は思っています。ライトモティーフやリプライズの手法が使われることで、人物のキャラクター性や心情がより効果的に表現されており、観る人を物語の世界へ深く誘い込むのだと。

さて『ゴースト&レディ』について、強く印象に残ったことをウィリアム・ラッセルよろしく忘備録的に書き記して置きたいと思います。作品の受け取り方は人それぞれですので、これはあくまでもひとりのオタクの妄言、みなさまがたのお目がもし、お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。
※思いつくままに書いているため、構成なんて存在しません。
※ネタバレが含まれる場合がございます。

  1. 『ゴースト&レディ』について

  2. 演出について

  3. ゴーストとレディ

  4. レディとデオン

  5. サムシング・フォー

  6. 『ゴースト&レディ』と舞台


1. 『ゴースト&レディ』について

まずは『ゴースト&レディ』の簡単なあらすじをHPより引用してご紹介します。

時は19世紀。舞台はイギリス。
ドルーリー・レーン劇場に現れたのは、有名なシアターゴースト グレイ。芝居をこよなく愛し、裏切りにあって命を落とした元決闘代理人。
そんなグレイのもとを一人の令嬢が訪ね、殺してほしいと懇願する。それは看護の道に強い使命感を抱くも、家族による職業への蔑みと反対にあって生きる意味を見失いかけていたフロー。最初は拒んだグレイだが、絶望の底まで落ちたら殺すという条件で彼女の願いを引き受ける。
死を覚悟したことでフローは信念をつらぬく決意をし、グレイとともにクリミアの野戦病院へ赴くことに。次第に絆を感じ始める2人だったが、そこで待っていたのは劣悪極まる環境と病院改革に奔走するフローを亡き者にしようと企む軍医の存在。さらにその傍らにはグレイと同じ、あるゴーストの姿が…。

知らない人はいないであろう、「クリミアの天使」「近代看護教育の母」と呼ばれた史実の人、フローレンス・ナイチンゲールを描いた作品です。
個人的にはまっすぐなフローと皮肉屋なところのあるグレイの掛け合いが魅力的だなと思っています。好きです。

2. 演出について

ミュージカルを彩るのは、楽曲や演出。今回はなんとイリュージョンも。「ゴースト」いう存在がいる世界観を表現するには持ってこいな気がします。
『ゴースト&レディ』の演出を担当したのは、スコット・シュワルツ氏。氏は過去にミュージカル『ノートルダムの鐘』にて演出を担当しています。(あゝノートルダムの鐘。私が愛してやまない作品です。)

原作を読んでいる者としては、「ゴースト」の表現の仕方に注目してしまうというところがあります。はてさてどんな感じかな〜なんて思っていたら、普通にグレイが壁をすり抜けました。ゴーストはどこでも自由に行き来が可能ということが原作通りで感動しました。※原作至上主義の悪いところが出ているかもしれません。
第一幕第二場ではグレイが「俺は違う」を披露するのですが、他のゴーストたちも集まって曲を盛り上げてくれます。薄暗い舞台(ブルーライトで照らされていた気がします)で愉快な踊りを踊る白い幽霊たち。幽霊の表現は色のない白であることが多いように思います。死ぬと血液が巡らなくなって顔が以前より白くなったり、経帷子等昔から白が死の色というイメージが持たれていたからですかね。うーん。
ここでディズニーで育ったオタクは感じるわけです。ホーンテッドマンション、そして『骸骨の踊り』を。なんか途中シロフォンが入っていて、マジで『骸骨の踊り』が彷彿されるんですよね。
ホラーな見た目をしている人物たちが楽しそうで明るい動きをする。
このギャップによって親しみが生まれているように思います。昔からよく使われている表現かとは思いますが、私は好きなんです、これが。

また『ゴースト&レディ』は「演劇」とかなり密接な関係にあります。作中ではよくシェイクスピアの台詞が引用されていますし、なんといってもグレイはドルーリー・レーン時劇場に現れる名のしれたシアター・ゴーストですしね。
そんな作品が劇場から始まり劇場に終わるのは、なんとも綺麗なミュージカルならではのまとめ方だなと感じました。※原作では博物館で始まり博物館に終わります。黒博物館シリーズなので。舞台だからできる表現というものが生きていていいですよねー!!!


3. ゴーストとレディ

裕福な家庭で育ったお嬢様フローが、周りの不理解と闘いながら看護師としての道を歩んでいく、というストーリーが物語全体の主軸になっています。
この主軸と深く絡み合っているのが、グレイとフローの関係性です。
二人の出会いは物語の始まりの場所、ドルーリー・レーン劇場。
「私を取り殺してください」
そうフローがシアターゴーストに依頼したのが始まりでした。
最初は看護師としての道が家族によって閉ざされそうになり、神の御心に添えないという理由で「死にたい」というフローに対して、首を縦には振らないグレイ。しかし彼女の真剣さに押され、渋々と彼女についていくことになります。※原作だと彼女の生霊と強い眼差し、覚悟に興味を持つという場面があります。ミュージカル版でも、「思いつめた眼差しの奥に俺が見たのは真実かありふれたわがままなのか。おもしれえなこれは悲劇か喜劇か」と歌っています。ふっ、おもしれー女ってやつですね。
そして家族に自分の想いを伝えるフローの様子をみたグレイは、彼女が絶望したら殺してやると約束します。※原作だともうどうせ死ぬのであれば、最期に家族に思いの丈をぶつけてから死にたいと、フローが覚悟を決める場面があります。
グレイはその後も、知ってか知らでかフローの背中を押し、彼女が持っていた「強さ」をより強くさせていきます。
一方のグレイもフローが絶望する瞬間を今か今かと待つ間に、彼女に惹かれていきます。
幽霊であるグレイは、常に霊気が身体中を巡っているため寒いらしいのですが、フローといると温かさを感じると。
また彼女の人となりに触れ、忘れかけていた信じたいものを信じる気持ちを取り戻していきます。
「二度と誰も信じるものか。裏切られるよりも孤独な方がまだマシだ。なのに孤独どころか、おまえのせいで……でもな」と
かつて厳しい人生の中で、最愛の人に裏切られたことで失われていたものを。
互いの存在が良い影響を与え合っている、いい関係だなあと思います。いや本当に。


4. レディとデオン

『ゴースト&レディ』では、レディの他にも強い女性デオンが登場します。まずシンプルに物理的に強い。
第一幕第七場レディとグレイがそれぞれへの想いを歌う、そんな場面の終わり「君がクリミアの天使か」とどこからともなくゴーストが現れます。これまでジョン・ホール軍医長官の後ろで聞こえていた声の主です。
かつて決闘にてグレイの命を奪った凄腕の騎士、デオン・ド・ボーモン。
デオンは生前、父親に息子として生きろ命じれられ、自分も望んで男性として生きた女性だと作中で歌われます。
……というかデオンの曲調がカルメンのハバネラなんですよね。ハバネラはカルメンの妖艶さとミステリアスな魅力が表現されている曲かつ、カルメン自体がフランス語のオペラなので、デオンを表現するにはもってこいなのかもしれません。
※原作では父親のことは描かれていません。史実のシュヴァリエ・デオンは人生の前半は男性として、後半は女性として生きたと言われています。ちなみに、私は原作にて描かれているデオンがフローに患者の手当ての手伝いをさせられるシーンが微笑ましくて好きです。
様々な困難に立ち向かいながら、己の歩くべき道を切り開き進むフロー。その中には「女性」であるが故の障害も多く、「世間では女は見下されるだけ」「女であることは呪いでしかない」とグレイに告げるデオンとどことなく重なる部分があるように感じます。デオンの台詞は、女性として生まれた人で感じたことがない人は少なくないのではないでしょうか。
剣の腕と強くあることでその壁を乗り越えようとしてきたデオンと、自分の弱さを受け入れながら立ち向かうフロー。そんな気がしました。どちらもこだわりというか、これだけは譲れないものがあるというか、芯が強い。
まあ、デオンの場合は、原作中で籠の中のひばりを潰していたり、死ぬ前の瞳の中の絶望がみたいというような狂気的な部分が色濃くあるんですけど、そこがいい。グレイの因縁の相手としてもばっちり。
一方のフローは、原作の中で彼女の巨大な「生霊」美しくは描かれません。ちゃんと不気味な外見で描かれています。「偽善」であったとしても突き通さなければならない「偽善」がある、と自分を信じて行動する強靭的な意志を持っているので、まあなんだかんだで狂気的といえるかもしれませんね。


5. サムシング・フォー

本編で幾度となく歌われる曲に「サムシング・フォー」があります。
マザー・グースの詩であり、結婚式で花嫁が身につけると幸せになれるという4つのものを歌った曲です。
Something old, something new, something borrowed, something blue,
and a sixpence in her shoe.
ミュージカルの中では、アレックスが該当する4つのものをフローへ贈り求婚する場面で最初に歌われます。※原作ではアレックスが登場しないので、フローの回想にてこの4つのものがあると幸せになれる、そんなおまじないのように登場します。またデオンに結婚をしないのかと遠回しに聞かれた際にも「諦めている」とこのサムシング・フォーが登場します。さらにグレイも回想にて、生前最愛の人との駆け落ちの際、このサムシング・フォーを用意している描写があります。結局グレイはそのことが原因で命を落としているので、渡せずじまいですが……

そんなサムシング・フォーですが、劇中でしっかり受け渡しできているのは、最後にグレイから旅立つフローへ贈られるものだけとなっています。
グレイがフローのために用意したのは、宝石やハンカチなどではなく、グレイ自身(なにかひとつ古いもの)、フローが作り上げた新しい看護法(なにかひとつ新しいもの)、ランプ※原作ではかち合い弾(なにかひとつ借りたもの)、青空(なにかひとつ青いもの)と二人に深く関係があり、彼にしか贈れないものなのが素敵だなと思います。
原作とミュージカルでは設定の差異があるので、「借りたもの」が異なります。ランプは病院で見回りをするイメージが想起させられるので、フローらしさが出ているななんて感じました。


6. 『ゴースト&レディ』と舞台

最後に『ゴースト&レディ』と舞台について書き残しておきたいと思います。
古典的戯曲の台詞が後世の作品で引用されることは、小説でも演劇でもしばしば行われることです。とりわけシェイクスピアは。

「人生は舞台、人はみな役者」

フローがホールと対峙した際、グレイはデオンに「オレたちは舞台の役者じゃねえ。舞台に上がるのはいつだって生きている人間。限られた上演時間で与えられた役を懸命に演じるんだ。オレたち幽霊はただ観てるだけだ」といいます。

この有名な台詞が強く意識されているようです。
作中グレイやデオンといったゴーストは、生きている人間たちに影響を与えることはあっても、それぞれ人間が進む道を示すことはしません。決断をするのは、舞台に立っているのは、いつだって生きている人間なのです。

原作では、グレイが旅立つフローへ「かち合い弾」手渡す際、『「悲劇の女王にならないでイイからそのまんまで生きてってよし」なんて許したショーコってやつよ』と告げるシーンがあります。
フローを悲劇の主演女優として仕立てようとしていたグレイが、(彼が当初望んでいた)彼女に絶望して死ぬ道ではなく、自分らしく着きる道を切り開いていってほしいと思うようになったこと。それが美しくて私は好きです。


思ったことをつらつらと書き連ねていたら、まとまりもなく長くなってしました。『ゴースト&レディ』は四季劇場秋での公演は11月11日までなので、よければぜひに☺️

2024.08.17
ひかる

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