●工業高校から薬学部へ②

先日は工業高校に進学したこと、薬学部に進学したいと思った発端を書きました。
それで高校のある先生に
先生、医療系の大学に進学したいです。
と伝えました。(前回参照)

で、その後の先生の言葉が今でも忘れられません。

カリキュラムが違うこの高校で無謀ではないのか
一人上の学年でセンター試験の受験を検討している人がいるが、指定校推薦をもらった上での記念受験をするつもりである。医療系ではなく、工業系ではどうか

今からなら他の進学校に入学しなおしてはどうか

僕は進路相談と同時に補習の依頼もしたかったのですがその日は無謀という言葉を伝えるために2時間も拘束されるというブラック企業ぶり。

この時の担当が理科の先生と進路指導の先生。
たんたんと先生が話をするのを聞かされるだけ。
さすがに泣きそうになったことを覚えています。

しかし、僕はめげませんでした。
自分の中で計画を立てました。
まず各教科の状況を把握。

国語:現代文、古文、漢文とも授業のスピードが遅すぎる。普通科の人の授業コマ数がわからないが明らかに少ない印象。補習を依頼しよう。
数学:3Cまである。プラスで補習を依頼する。
社会:補習を依頼しよう。
理科:化学Ⅰは必修、生物Ⅰ、物理Ⅰから選択。授業は2年生の時にクラスの皆が物理を選択したが、皆から不人気すぎて3年生には皆で物理から生物に変更。
物理や生物はそれぞれ1年間かけて半分程度、化学に関しては2年かけたにも関わらず理論化学しか終わらない有り様。相談したのが理科の先生だったので、この先生には補習を頼みたくなかった。独学で対応してどうしてもわからないところは聞くスタンスでいこうと決めた。
英語:3年間を通して中学英語のみ。補習で補う必要あり。

つまり僕はほぼ独学と当時高校と家の中間地点にあった予備校を利用(数学と英語のみ)して大学受験に挑みました。
そして月日は流れて僕はとある大学の薬学部を受験。
科目は英語、数学、化学ⅠⅡ、生物ⅠⅡでした。
受験後3月頃に家に通知が届きました。

合格でした。

あれから10年ぐらいたった今でもその時の合格通知は家の机の引き出しに入れてます。
それぐらい思い出が詰まった通知だったりします。
僕が高校時代に学んだことは計画の重要性、繰り返すことの大切さでした。
今でも何かやる時はそのことを意識しています。

以上が工業高校から薬学部に進学した経緯です。

次からは薬学部の生活についてつづっていきたいと思います。
ではまた!!

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