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言葉と音楽とラーメンの話

昨夜TWで、敬愛する知り合いの方がnoteを書いているらしいのを知った。読みたい。読ませてくれるかしら(笑)。

最初に私が書いた記事を読んでくれた知人の何人かも「また書いてね」と言ってくれた。どの人も10年以上、下手したら20年以上知り合いの人たちだけれど、お互いの心の中身を覗くような機会はあまりないしね。皆さん弱音吐かないからポジティブなことしか話さないし。

そうして最近思ったことは、そういう外側の付き合いでなら同じようなポリシーや生活スタイルでお互いにうまくやっていけているけど、心の中身は実は全く違う人であるかもしれない、ということ。それを明かさないから、関係に大きなノイズを生じさせずにやっていけるのかもしれない。

例えばの話。私は昔から音楽とかちょっと演劇とかにはまり、大学は生粋芸術バカしかいないところで(愛すべき立派な学校で楽しかったですが)、卒業後も留学したり通訳の仕事したりできちんと組織に所属して働いたことはない。これまで一度も。満員電車で通勤したこともない。それでもフリーターしながら子育てしたり病気したり音楽したり、何とかやってきている。

これが一応誰にでも理解してもらえそうな範囲の物語。

もう少し内面の話をすると、私は小さい頃から音楽をやってきたので、音の読み書きと文字の読み書きは同時に覚えた。今でも複雑なクラシック音楽を聴きながら本を読んだりご飯を食べたりするのは苦痛に感じる。つまり2冊の本を同時に読んだり、読書しながらご飯を食べるのと一緒だから、何食べてるのか味が分からなくなりそうだし、咀嚼って聴覚に影響するから、本の上にお皿置いてご飯食べつつ読書しようとする、みたいなことになる。クラシックの曲調とか波動が人間に良い影響を与えてくれることもある(曲によるけど)のは理解している。でも東京の病院で長女を出産する時に「好きな音楽を持ってきたり、クラシックのCDなどもあるので聴けますよ」と看護士さんに言って頂いて、つい反射的に断ってしまった。だって陣痛来てる時に読書(=音楽鑑賞)とか出来るわけないし。

本当の紙の本を読むのは大好きだった(もちろん音楽聴きながらではなく)。特に小学校低学年の頃からアメリカのSF作家ブラッドベリの短編やル・グウィンなどを親の本棚から持ってきては読んでいたので、SF的な世界観には馴染みがあるし、SF映画の外宇宙の風景などを大画面で観ていると感動して泣きたくなったりする(Interstellar のブラックホールに近づくあたりの風景とかね。3回観ました。あそこだけがもう一度観たくって)。

正直言って現実の人間世界より「目には見えないけど確実にそこにある」音楽やSFの世界やSF映画の風景の方に現実味を感じたりする。きっとそういう人は沢山いるんだと思う。でもそういう内面の自分と、子育てとか通勤とかしなくちゃいけない今の地球の現実世界に属してる外側の自分とのバランスを取りながら皆がんばっているんだろうと思う。それに内面の自分についてなんて、精神科医にでもかかっていなければ人に話す機会もあまりないだろうし。そもそも自分の内面の感覚を言葉で表すこと自体がまったくもって難しい。言葉を扱う能力というのものにも本当に段階があって、例えば日本語でならこういう感覚的な話でも何とか書いてみようか、と思えるけど、インドネシア語では絶対無理そうだ。感覚と言葉が同期してないし、自分が日本語で書いたものをイネ語に訳すことも難しいだろうからやりたくない(笑)。

でもね、そういう言語間の分断に対して、音楽は感覚に直結しているのでより用途が広い。抽象的な感覚的な何かを時として言葉より強い圧力で伝えることが出来る。あるいは歌みたいに、言葉によって具体的に伝えられるメッセージの後ろで感覚的で感情的なエネルギーを伝えるとかね。例えるなら、大好きなラーメンを食べるとするでしょう(ああ、九州の豚骨ラーメン食べたい…)、その時に「ラーメン」とか「九州豚骨」とか「細麺」とか「キャベツ載せ」とか説明出来る部分が歌詞だとすると、あの"味”はやっぱり音楽部分じゃないかと思う。そして忘れられなくさせられるのは"味”の部分だよね。

「物事のどの要素がより重要であるかを知りたければ、単純にその中のどれが他と交換可能であるかを考えてみるといい」

さてラーメンの話はこれくらいにして(笑)。遠い南国で冷凍してあったピサンゴレンでも温めるしかない私の、これは内面世界の話なので、基本的にはフィクションだと思ってお読み下さい。これからもっと不思議な変なことも書くかもしれないけれど、それもフィクションだと思ってもらえれば。

「事実は小説よりも奇なり」ってホントだったんだ!と絶句したことが私自身これまで何回かあるけれど、でも人が思いついたり想像できること以上の出来事は(人間の世界では)起こらないらしい。つまり私自身は思ってみたこともないけれど、この地球上での他の誰かはすでにそれを想像していて(小説には書いてないだろうけど。そもそも小説ってある程度一般に支持される見込みがないと出版されないだろうから、小説が突飛な想像力の先端とは言えない)そして事実それは起こることがある。インドネシア在住の方が多分皆聞いたことある(もしかして実体験もある?)のは天気師や黒魔術だけど、日本人の大部分の人には考えてみたこともない話をこちらでは普通に聞く。科学的ではないと否定する人ももちろんいるけれど、「事実ではない」とは言い切れなくて結局保留しているしかない曖昧な現実として多くの人(百万単位だと思う)に信じられ支持されている。

というのもすべて、まずはフィクションとして読んで下さいね。

そう考えていくと、音楽はやっぱりピュアだよね。「フィクションです」とか「エンタメですから」とか取り繕わなくてもいい。言葉は検閲されたりするけど、音楽は目に見えなくてもそこに波動としてちゃんとある。訓練された人であれば楽器なし音源なしでも頭の中で音楽を聴くことが出来る。ほら超能力みたいでカッコいいでしょ(笑)。



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