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大切な想いを記してくれてありがとう

青い小鳥のSNSに比べて、ここnoteの雰囲気はとても穏やかで心地よいです。

これまでアメブロ、mixiを経て10年もの間、青い小鳥のアカウントで過ごしてきました。

あそこはとっても面白い場所だけど少々治安が悪いです。見たくもない情報がするりと視界に入ってくる。

3桁あったフォロワーさんたちとの繋がりは3年前にすべて絶ち、現在は新しいアカウントで31名のフォロワーさんたちと快適に過ごしています。そのなかにはよくわからないアカウントもあるけど。リムブロご自由に、のスタンスで。

時に冷静に、時に感情的に、時にポエミーに呟いています。誰にも反応されない、ただの独り言。治安の良い環境を作って、なんだかんだ楽しく過ごしています。

でもnoteは良い環境を「作る」必要はありません。noteのなかを時々ふらふら歩いていると、誰もがこころのうちを大切につづっています。言葉を、表現を、気持ちをとても大事に扱っています。なんて素敵な場所なんだろうと思います。

青い小鳥の雑多感と、noteの落ち着き感。この違い、どこかで感じたことがあるような。

高校に入学したときの感覚に似ていると思いあたりました。

中学校まではお受験しないかぎり「同じ地域に住んでいる」という共通点で子どもたちが集められます。やりたいこととか、勉強への熱量はまちまち。

でも高校は「ここに進学したい」と、少なくとも自分の意志で選びます。

高校の教室に入ったときの安心感はいまも覚えています。わたしが進学したのは英語に特化したコースだったので、みんなのなかに「英語を学ぶ」という共通意識がありました。

わたしはあの雰囲気が好きだった。個性はあるけれど、共通の話題があった。誰もが英語や海外への関心を密かに抱いていました。

あのときの、明言はしないけど「ここにいる事こそが、その証明」というような。好きなもの、大切にしているものが同じという安心感。

noteには似たような安心感を感じています。「表現」をその人なりの方法で重んじている。「このひとは書くことが、描くことが、好きで仕方ないんだな」

傷つくこともあるし、傷つけてしまったこともある。ころころと変わる喜怒哀楽。でもそれらの出来事を愛おしんで、慈しんで、大切に言葉に記します。なんて素敵なんでしょうね。

これからもそっと、そのひとのこころを覗き込んで、色んな感情をわけてもらいたいです。

ここにいるひとたちは、大切な同志。顔も声も何も知らないけれど、生きていてくれてありがとう。大切な今日を記してくれてありがとう。

これからもどうぞよろしくお願いします。


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