「別居」という言葉のポジティブさを考えてみた

ぼくは「別居親」です。

この「別居親」という言葉を知ったのはごく最近なのですが、最近では、親としての自分の立場を紹介するときパッと説明できる単語として使っています。

離婚したての当初、相手は、「シングルマザー・シングルファザー」、「一人親」、「母子・父子家庭の親」といろんな単語で呼ばれているのに対して、子どもと離れて暮らす親は呼び名があまりないことに気が付いた。

別に積極的に呼ばれたいというわけでもないが、子どものことの会話になったとき、どうしてもズレてくるため、「自分は離婚していて、子どもと離れて暮らしています」と説明しなければならないときがあるため、なんだかそこまで説明しきらずに、自分のことを理解いただける呼び名ってないのだろうかとずっと考えていたときがあった。

とあるお知り合いのシングルファザーのカメラマンさんに、「なら、遠距離ファザーなんてどうですか?」と提案され、「それいいね」と思い、しばらくフェイスブックの紹介プロフィール文に使っていました。

でも「遠距離ファザー」は市民権得られるまではやっておりません。笑 結局は最近「別居親」かなと思い始めています。でも、「別居」という言葉に対してポジティブさをどうしても感じられなくて、「なんだかなー」と思う日々が続いておりました。

しかし、最近、「別居」も、多様な家族の形の一つとして捉えられてきて、離婚もそうですが、「別居婚」とあるように、幸せに結婚しても離れてくらすという意味で使われてなんだかポジティブかもと思うようになってきました。

「別居」自体は、別に不幸せなことではなく、それぞれの幸せの形なのだということ。「別居親」も適度な距離感で子どもと会えて、いい関係をつくれているということであれば幸せです。ぼくはそういう意味では幸せ。両親そろってが多数かもしれませんが、離婚もけっこう増えてきたこの時代、「別居親」としての地位を確立させることがぼくの幸せです。

ちなみに、そんなぼくも「再婚」というライフステージになり、それでも「別居親」という属性は変わらず、今まで通り子どもと会ったりしているわけです。いろいろ考えることはありますが、「子どもと会えない」「親らしくふるまえない」などの不安定さは感じられず、子ども達も父親である自分のことを好きでいてくれているので幸せです。

ぼくが選んだわけですが、そんなぼくを愛してくれているパートナーにはいつも感謝しています。最近、やっと「別居親です」という紹介もポジティブに考えられるようになりました。ポジティブに紹介できるのも、自分のことを認めてくれているパートナーがいるからです。






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