老いていくことがしんどくならないように。
現実、現状を受け入れる。
以前(若い頃)に比べて同じようにはできなくなって当たり前ということを受け入れる。
迷惑をかけないように意識することは大事だけど、いずれは誰もが通る道だから、ある程度はしょうがないし、割り切ることも大事(開き直ってなんでも迷惑をかけ放題、という意味ではない)。
その中で、できることはないかを考えて、自分にできることをとりあえずやっていく。
できれば、どうせやるなら、できることを楽しんで過ごす。
そんなとこ?
認知症のひどい人を間近で見て、「ああはなりたくないわ」「カッコ悪い」「みっともない」「迷惑をかけたくない」と思うから、そうならないように努力?することは大事だけれど、誰もがみんな、いずれそうなるのだとしたら…
周りの人も含めて、考え方を変えていけないかな。
インドとかは、他人に迷惑をかけるのが当たり前の社会なんだそうだ。
日本と真逆。
「がんばれる部分は頑張るけど、ひどくなりそうなら(周囲の人に)その都度頼ると思うからよろしくね」と思いつつ年を経て、そのときにどうしてほしいか、今できることはないかを早いうちから考えていくことも大事なんだと思う。
きっと一番つらいのは、自分ではできると思っていたことが失敗してしまうこと、その時期。
トイレの失敗は、ほんとにほんとに滅入る人は滅入ってる。
その都度落胆して、もう何もかもイヤ、死んでしまいたい、と思うのだけど、そう思っていたことすらすぐに忘れてしまうから、何回もその出来事をループして体験して辛くなる。
まだ大丈夫なうちから、さっさと紙パンツやパッドにしてしまえばラクなんだけど、そういう人に限って男女とか恥とかの意識が強くて、紙パンツへの一線を越えられないのかもしれない。
もう少し症状が進むと、そんなことで悩まなくなるんだけど。
多少周囲は大変になる部分もあるけど、当の本人はむしろニコニコと朗らかに過ごしてたりもする。
日々、いろんな事があって心配事はつきないんだけど。所詮、人の一生なんて、地球や宇宙の時間の経過の中では、わずかな時間でしかない。
そう考えると、些細なことで悩んでるのがほんとにアホらしくなったり。
仏教の考え方を、ちゃんと学び直すというのもいいのかもなあ…。
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